第28話 血を吸うことの危険

 けど、そんな人がどうしてわざわざこんなところに来ているんだろう。


「君は、吸血鬼の彼、景村くんととても親しくしているんだってね」

「えっ? は、はい。親しいというか何というか、まあ、仲はいいです」


 ここは、すぐに彼女ですって言ってもいいところかもしれないけど、未だにちょっとした照れがある。相手が初対面の人なら尚更だ。


 って言うか、私と伊織ちゃんのこと、校医の先生まで知ってるの? どれだけ噂が広まってるのよ。


「景村くんが、時々渇きによって体調が悪くなるのは、常々報告を受けてるからね。少し気になって見に来たんだ」

「えっ? それって、こんな風に激しい運動をしちゃ危ないってことですか?」


 伊織ちゃんの渇きについては知ってるけど、だからって運動に制限がかけられてるなんて話は聞いたことがない。

 けどこうして医師の先生がわざわざ見に来たってことは、何か重大な問題でもあるの?


「ああ、不安にさせたのなら申し訳ない。確かに彼は定期的に渇きで体調を崩すことはあるが、それも一時的なもので、命に関わるようなこともないよ」

「そ、そうなんですか」


 よかった。

 もし運動させちゃダメっていうなら、軽い気持ちでサッカーするところが見たいなんて言うんじゃなかったって後悔するところだった。


「ただね、吸血鬼に関する医学的な研究は、まだまだ発展途上なところがある。一見大丈夫そうに見えても、実はどこかに危険が潜んでいるかもしれない。僕は、吸血鬼に関する医療については強く興味を持っているからね。つい気になってしまうんだ。まあ、今回のことは、いらない心配だと思うけどね」


 そう言って、久保田先生は、再び伊織ちゃんに目を向ける。

 全力でプレーしているその姿は、とてもどこかに問題があるようには見えなかった。


 けどそこで、久保田先生は、再び私を見て言う。


「ところで、噂で聞いたんだが、君は以前、景村くんに精気を吸われたことがあるそうだね」

「えっ!? は、はい。そうですね。精気、吸われました」


 これを知ってるってことは、私と伊織ちゃんがキスしたってことも知ってるんですよね。

 私たちの情報、いったいどこまで筒抜けになってるんだろう。


 伊織ちゃんファンたちならまだしも、大人の人にまでこんな話をされるのは、めちゃめちゃ恥ずかしい。だいたい、なんでいきなりそんなこと聞くんですか!?


 だけど、久保田先生にふざけてる様子は一切なく、至って真面目そうだ。


「急に変なことを言ってしまってすまない。けれど、話しておいた方がいいと思ったんだ。精気を渡すというのは、場合によっては大きな危険を伴うことになるとね」

「危険、ですか?」

「ああ。と言っても、前に君がやったように、口からの讓渡ならば問題ない。危険なのは、血と共に精気を吸われる場合の話だよ」

「あぁ──」


 血と一緒に精気を吸われるのが危険だってのは、わざわざ言われなくても、私だって知っている。


 だけど、それを話す久保田先生の様子は真剣だ。わかってるので大丈夫です、なんて軽々しく言っちゃいけないような気がした。


「精気というのは、生きるために必要なエネルギーみたいなものだ。吸血によって吸い取られる精気の量は、口付けによるものよりもずっと多い。その方法で大量の精気を吸い取りさえすれば、例えば致命傷のような大きなケガを負った吸血鬼でも、たちどころに治ると言われている。医者である僕からしたら、一種の奇跡のようなものかもしれない」

「そんなに……」

「ただし血を吸われた方は、それだけの奇跡を起こせるだけの精気を失うんだ。当然、無事ではいられない。どれだけの量の血と精気を吸われるかにもよるが、命を落とすことだって有り得る」


 それも、一応知識としては知っている。だけどそんな風に言われると、本当に、キスで精気を吸われたのとは段違いなんだなって思えてくる。

 命に関わることなんだって、医師である人から言われると、より一層重いものみたいに感じられた。


「こんな話、聞きたくはなかったかもしれない。けれど、君は既に一度彼に精気を渡している。今後、万が一軽率な行動をとってしまったら大変なことになると思って、念のため忠告させてもらったんだ。不快にさせてしまったのならすまないね」

「いえ。そんなこと、ないです」


 わざわざこんなこと言われなくても、自分から血を吸われようなんて、さすがに思わない。たとえ、精気不足でどうしようもなく辛くなったとしても、キスして精気を吸わせるだけでなんとかなる。


 それでも、久保田先生が言っているように、これは伊織ちゃんのそばにいる上で、しっかり覚えておかなければならない事なのかも。


「今の話を聞いて、絶対に血を吸われちゃダメだって思いました。だって、それで私に何かあったら、伊織ちゃん、すっごく自分を責めると思うから」

「──うん?」


 私の言葉が予想外だったのか、久保田先生は怪訝な顔をする。

 だけど、実際そうなると思う。


 伊織ちゃんがどれだけ私のことを大事に思ってくれているかは、ちゃんと知っている。

 そんな私を命の危険に晒すなんてことになったら、多分、自責とか後悔とか、そんな言葉じゃ片付けられないくらい、自分を責めるんだろうな。


「私だって伊織ちゃんが苦しむところなんて見たくないから、そんなこと絶対させません」


 そんな私の気持ちがどれだけ伝わったかはわからないけど、久保田先生はそれを聞いて、そうかと小さく呟いた。


 するとその時、グラウンドの方から、ワッと歓声が響く。


「あっ、いけない! 試合試合!」


 すっかり話し込んじゃったけど、今はサッカーの試合の途中だったんだ。


 試合はもう終盤。両チームとも最後の力を振り絞るこのくらいの時間が、一番見どころがある。もちろん、伊織ちゃんも全力でプレーしてる。


 私も、グッと手を握り応援を続けるけど、そんな時間も間もなく終わる。

 試合終了のホイッスルが鳴って、結果は2対2の同点だった。


 伊織ちゃんのいるチームが勝つことはできなかったけど、スポーツしてる伊織ちゃんっていう、今まで見たことないものを見ることができて、私は満足だった。


 それから、両チームの選手達はクールダウンのため軽いストレッチをしたり、水分補給をしたりしている。

 するとそこで、グラウンドの外から女の子が入ってきて、一人の選手に、タオルを手渡していた。


 渡された方は、笑ってそれを受けとっていて、なんだかいい雰囲気。

 もしかしてあの二人って、彼氏彼女なのかな? 試合で頑張った彼のためタオルを届けにきた、気の利く彼女って感じ。


 一方私は、全くの手ぶら。私だって伊織ちゃんの彼女なんだし、ただ応援するだけじゃなく、何か持ってきていた方がよかったかも。


 すると、隣にいた久保田先生が、再び声をかけてくる。


「よかったら、景村くんにこれでも渡してくるかい?」


 そう言って差し出されたのは、スポーツドリンク入りのペットボトル。

 伊織ちゃんだって相当汗をかいただろうし、水分補給は必要だ。


「いいんですか?」

「ああ。変な話に付き合わせてしまったお詫びだよ。それに彼も、私みたいなおじさんより、彼女からもらった方が嬉しいだろう」

「うぅ……」


 彼女。自分で言う分にはいいけど、人からそう言われると、未だにちょっと照れが出る。


 けれどせっかくだし、これは、ありがたくいただいておこう。


「ありがとうございます」


 お礼を言いながらスポーツドリンクを受け取ると、伊織ちゃんのところに向かって歩いていく。


 それを渡された伊織ちゃんは、予想通り、めちゃくちゃ喜んでいた。

 次にこんなことがあったら、最初から自分で用意しておこう。


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