第29話 試合が終わって

 サッカーの試合が終わた後、伊織ちゃんはサッカー部の人たちに、参加してくれてありがとうと何度もお礼を言われていた。


 そうして、今は帰り道。

 伊織ちゃんは、本当なら生徒会の仕事があったらしいけど、今日はサッカー部に貸し出したってことで、そっちは免除になったらしい。


 だから、私と二人、一緒に歩いて帰ってる。


「応援してくれてありがとう。瑠璃ちゃんの声、プレーしてる時でもちゃんと聞こえたから」

「私、声は大きいからね。伊織ちゃんがスポーツやってるところなんて初めて見たけど、カッコよかったよ」

「ほんと?」


 一言カッコいいって言っただけで、パアッと顔を綻ばせる伊織ちゃん。

 たったこれだけで喜んでくれるなら、いくらでも言ってあげよう。実際、真剣にプレーする姿は、凄くカッコよかった。


「あと、みんなと一緒にプレーしてるのも、なんか嬉しかったな。前に伊織ちゃん、いつかたくさんの人と一緒に遊んでみたいって言ってたじゃない」

「ああ、そういえばそんなこともあったっけ」


 私がまだこの街から引っ越す前。伊織ちゃんに学校の友達の話をした時のことだった。

 みんなでワイワイ騒ぎながら遊ぶってのは、当時あの家からほとんど外に出ることのなかった伊織ちゃんにとって、とても眩しいものに思えたみたい。


「実はね、今日の試合に参加するの、ちょっと不安もあったんだ」

「えっ、どうして?」


 そういえば、サッカー部の人たちにお願いされてた時、なかなか頷こうとしてなかったっけ。

 私が見たいって言ったらアッサリ出ることにしたけど、なんでそんなに渋ってたんだろう。


「学校に通うまで、他の人より運動が得意って実感がなかった。だけど、やってみたら面白かったし、人の輪に入るには、できないよりできた方がいいかなって思って、頑張ってみた。それで、けっこう上手くなっていったと思う。けどね……」


 そこで、伊織ちゃんはそっと目を伏せる。

 それだけでなんとなく、あまり良くないことが起きたんだって想像できてしまった。


「そのうち、アイツは吸血鬼だからできるんだ。そんなの卑怯じゃないかって言われるようになった」

「そんな、なにそれ!?」

「実際、全くの間違いってわけじゃないんだけどね。スポーツの大会でも、吸血鬼は参加できなかったり、部門が分けられてることもあるから」

「でも……」


 吸血鬼の方が人間より運動が得意ってのは、確かにその通り。今日やってたサッカーだって、公式の大会だと吸血鬼は選手として出場することはできない。身体能力があまりにも違いすぎるから。


 けどそれを卑怯って言うのはおかしい。


「そんなのって、ただ自分より上手いからって妬んでるだけじゃない!」


 私が空手をやってた時も、たまにそんな人がいた。

 上手い人や、大会で良い成績を残した選手がいると、あいつはコーチに贔屓して指導してもらってるからずるい、対戦相手に恵まれただけで勝ち上がれるなんておかしい、才能に恵まれてる奴は努力なんてしたことない。そんなことを平気で言ってくる。


「何もしないで上手くなれる人なんていないのに。伊織ちゃんだってそうでしょ」


 さっき伊織ちゃんは、頑張ってみたって言っていたし、実際その通りだと思う。

 今日の試合を見ても、テクニックはサッカー部の人たち程じゃなかったかもしれないけど、基本はしっかりしてたし、他の選手としっかり連携をとってプレーしてた。

 そんなの、いくら身体能力が高くたって、努力無しでできることじゃない。


「妬んで悪口言ってる暇があるなら、もっと練習して追い越そうってくらい思いなさいよ!」


 考えれば考えるほど腹が立ってくる。

 するとそんな私を見て、なぜか伊織ちゃんが吹き出した。


「どうして僕より瑠璃ちゃんの方が怒ってるのさ?」

「だって、そんなの腹が立つじゃない。伊織ちゃんは平気なの?」


 ううん。平気じゃないから、今日の試合に参加するのだって渋ってたんだよね。

 だったら、私は余計なことをしたかも。


 だけど、今の伊織ちゃんの顔は、不思議と晴れやかだった。


「確かに、前にそんなことがあって、嫌な気持ちにもなったよ。けどそれでも、瑠璃ちゃんみたいに言ってくれる人がいる。今日の試合だって、サッカー部のみんなは全然卑怯だなんて言わずに、むしろもっと全力を出せって感じだった」


 それは、私も見ていて思った。

 一緒のチームの人たちは伊織ちゃんが活躍するとちゃんと喜んでたし、相手チームは、どうやって倒してやろうかとあの手この手を使ってきて、それはそれで楽しそうだった。

 そして楽しそうだったのは、伊織ちゃんも同じ。他の人たちと同じように夢中でプレーしてたし、だから私も、応援するのに熱が入った。


「嫌なこと言う奴がいれば、それに怒ってくれる人も、ちゃんと一緒にプレーしてくれて楽しんでくれる人もいる。当たり前だけど、今日試合に出たことで、改めてそれがわかった。だからさ、今は、試合に出れてよかったって思ってる」


 そう言った伊織ちゃんに、いつの間にかさっきまでの寂しそうな表情はなくなっていた。

 それを見て、私も嬉しくなる。


「よかったね、ちゃんと楽しめて」

「うん。だけどやっぱり、一番嬉しかったのは、瑠璃ちゃんが応援してくれたことかな」

「へっ!?」

「ありがとう。瑠璃ちゃんのおかげで頑張れたよ」


 どうしてそういことをサラッと言うかな。


 伊織ちゃんは身体能力とかより、こういう不意打ちをしてくるほうかズルいと思う。


「私が照れるってわかってて言ってるでしょ」

「ごめんね。照れてくれたら嬉しいなって思って言っちゃった」

「もう!」


 思わず声をあげるけど、伊織ちゃんも、ほんのり顔が赤くなってることに気づく。さては、自分で言ってて照れてるな。


 だけど、そんな風に話している途中、急に伊織ちゃんの足が止まる。


「どうしたの?」


 何かあったのか聞いてみるけど、伊織ちゃんは何も答えない。

 ただ無言のまま苦しそうに、荒々しい呼吸を繰り返している。


 それを見ただけで、何が起きたかはだいたい察しがついた。


「もしかして、渇きが起きたの?」


 小さい頃も、そして少し前も見た、渇きの症状にそっくりだ。

 ただ何となく、今の症状は、この前見た時よりも苦しそうに見えた。


「おかしいな。こんなになるのは、まだ当分先だと思ってたんだけど。うっ…………くぅっ!」

「伊織ちゃん!」


 耐えきれなくなったように、苦痛の声が漏れる。

 呼吸はますます荒々しくなって、背中を丸めた状態で、体が激しく上下に揺れる。


 やっぱりだ。伊織ちゃんが渇きを発症したを見たことは、今までにも何度かある。だけどこれは、多分そのどれよりも酷い。


 でもなんで?

 確かに伊織ちゃんは、定期的に渇きを発症するって言ってたけど、次にこうなるのはもう少し先のことだと思ってたのに。


 ううん。今は理由を考えるより、苦しんでる伊織ちゃんをなんとかしなきゃ。


「少しだけ、歩くことってできる?」


 腕を掴んで、支えるように肩を貸す。この近くに公園があったから、とりあえずはそこで休ませよう。


「うん。迷惑かけてごめんね。少し休めば、すぐによくなるから」


 そうだよね。どんなに苦しくても、渇きの症状は、休んでいれば自然と治まる。命の危険なんてこともない。

 けどそうとわかってても、どうしても心配になってくる。


 なんとか公園にたどり着いてベンチに座らせると、もう一度唸るような声をあげた。

 やっぱり、相当辛いんだろうな。


 この時間、ここを利用する人はいないのか、公園には私たち以外に誰もいない。

 このまま休ませる? それとも、救急車呼んだ方がいい?


 だけど、そのどちらでもない、これをすぐになんとかする方法ならある。


「ねえ。また、私の精気吸ってみる? そうしたら、なんとかなるでしょ」

「それは、ダメ……」


 即答された。


 これは、仕方ないけど予想通り。

 精気を吸われたら、その分私は酷く疲れる。伊織ちゃんなら、そんなの絶対断るだろうなってのは、なんとなくわかってた。


 でも、本当にそれでいいの?

 精気を吸われるのが危険だってのは、さっき久保田先生に釘を刺されたばかり。だけど吸血でなく、口付けで吸うくらいなら大丈夫とも言ってた。

 実際、前にそうやって精気を吸われたけど、もの凄く疲れはしたものの、今もこうしてピンピンしてる。


 凄く疲れるくらいですむなら、やった方がいいんじゃないの?


 口付け、つまりキスするのは恥ずかしい。なんて気持ちは、ほとんどなかった。

 前に一度やってるってのもあるかもしれないけど、それ以上に、苦しんでいる伊織ちゃんを目の前にしたら、そんなの気にしてる場合じゃないって思った。やっぱりこれは、キスって言うより人工呼吸に近いんだと思う。


「うぅっ!」


 伊織ちゃんがまた、小さく声をあげ、ギュッと体を丸める。

 やっぱり、このまま何もしないで見てるだけなんて嫌だ。


「あの、伊織ちゃん?」


 もう一度、精気を吸ったらどうかと聞いてみよう。また断られたら、強引にでもいいからなんとかした方がいいかも。


 だけど、そう思ったその時だった。

 急に伊織ちゃんの手が伸びてきて、私の腕を掴んだかと思うと、グッと引き寄せられる。


「えっ?」


 あまりに突然すぎて、一瞬、何が起こったかわからなかった。

 だから、反応が遅れた。どうすることもできなかった。


 気がついた時には、伊織ちゃんは大きく口を開き、呆然とする私の首筋に歯を突き立てていた。




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