第18話 一方的な片想い

 吸血鬼は、普通の人間とは比べものにならないくらいの高い身体能力を持っている。

 普段は大人しそうな伊織ちゃんだって、私をお姫様抱っこしながらすごいスピードで走ってた。


 けどだからって、殴られても痛みを感じないってわけじゃない。

 空手有段者である私の手刀をくらって、伊織ちゃんはしばらくの間、頭を押さえて悶絶していた。


 あっ、言っとくけど、ちゃんと手加減はしたからね。

 咄嗟のことだったから、どれだけできたかはわかんないけど。


「る、瑠璃ちゃん……?」


 ようやく頭から手を離した伊織ちゃんは、突然出てきた私を見て、目を丸くする。

 金城さんも、腰を抜かしたまま呆気にとられてるけど、そっちは後回しだ。


「伊織ちゃん、何やってるの! なんとかするって言ってたけど、それがこれなの? こんなことされても、私ちっとも嬉しくない!」


 確かに、こんな風に脅せば確かに私への嫌がらせはなくなるかもしれない。けど、それじゃ伊織ちゃんはどうなるの?


 ケガをさせられた金城さんが、それからどうするかはわからない。けど、どうしたって伊織ちゃんにとって良いことにはならないだろう。

 そんなのは嫌だ。


 だけど伊織ちゃんも、じゃあやめるなんて、簡単に言いはしなかった。


「でも、僕にはこうするしか思いつかなかった。僕のせいで迷惑かけたんだから、なんとかしなきゃ。ううん、例え原因が何だったとしても、瑠璃ちゃんが大変な目にあってるなら、何をしたって守る!」

「ケガでもさせたりしたら、伊織ちゃんだって大変なことになるじゃない!」

「そんなの構わない!」


 伊織ちゃんとこんな風に言い争うなんて、初めてだ。こんなに意地になる伊織ちゃんは、見たことない。


 きっと、それだけの覚悟を決めてやったことなんだろうなって思う。


 だけどね、譲れないのは、伊織ちゃんだけじゃない。


「 構わないって、そんなわけないでしょ!」


 伊織ちゃんが意地になるのと同じように、私だって、意地でも止めてやるって思って飛び出してきたんだ。


「本当に構わないって言うならさ──」


 言い合いの途中で言葉を切った私は、強引に伊織ちゃんの腕を掴む。そして、言う。


「どうしてこんなに震えてるの!」


 掴んだ伊織ちゃんの手は、小刻みに震えてた。

 今だけじゃない。さっき金城さんに突きつけていた時も、冷徹そうな言葉を言いながら、実はずっと震えていたんだ。


 無理もないよね。だって伊織ちゃん、魔術がほんの少し暴発しただけで、震えて泣くくらい怖がってた。自分の力を、そんなにも恐れてた。

 それを人に向けて使うんだから、なんとも思わないわけがない。


 そして何より、誰かを傷つけて平気でいられるなんて、そんなの伊織ちゃんじゃない。

 例え子どもの頃とは変わってたとしても、どれだけ平気なフリをしたとしても、それくらい簡単にわかる。


「本当は、こんなことやりたくないんでしょ?」


 伊織ちゃんは、何も答えずに目を逸らす。

 わざわざ言葉にしなくても、これじゃ「はい」って言ってるようなもんだ。


 それでも、伊織ちゃんはまだ食い下がってくる。


「それでもやらなきゃ。でないと、また瑠璃ちゃんに酷いことをするかもしれない」


 そう言って、未だ腰を抜かしたままの金城さんを見る。


 例えやりたくなくても、自分自身が傷ついても、私への嫌がらせが続く限り、やめる気はないのかもしれない。


 だけど私のためにやろうとしてるっていうなら、なおさら止めなきゃ。

 それに私は、こんな時、人に任せて守ってもらうだけってのは嫌だった。

 本気で何とかしたいなら、誰かじゃなくて自分が動くんだ。


「伊織ちゃん、見てて」


 そう言って、伊織ちゃんから金城さんのいる方に、体ごと向き直す。


「金城さん。さっきも言いましたけど、私、空手の有段者なんですよね」

「えっ?」


 突然出てきた関係のない言葉に、わけがわからず変な声を出す金城さん。


 私はわずかに腰を落とすと、そんな彼女の顔に向かって、思いっきり拳を突き出した。空手の基本、正拳突きだ。


「ひっ──!」


 短い悲鳴があがる。だけど私は、金城さんに命中するギリギリのところで、拳を止めた。


 当然、金城さんにはケガも痛みもない。だけど、今の今まで震えてた彼女を怖がらせるには、これで十分だった。


 声も出ないまま、尻もちをついたまま後ずさる。


「今のは寸止めしました。だけど、次にまた何かされたら、今度は止めません。伊織ちゃんに無茶をさせるくらいなら、私が自分の手でなんとかします」

「あっ……あぁ…………」


 普段の彼女なら、私がこんな風に力で脅してきても、聞き耳なんて持たなかったかもしれない。

 だけど今は、既に伊織ちゃんによって、十分に恐怖を植えつけられた後。それなら、こんなやり方だって通じるかもしれない。


 それでもダメなら仕方ない。本当に、徹底的に戦ってやるんだから。


 だけど、それに、納得しない人がいた。伊織ちゃんだ。


「だ、ダメだよ! 手をあげたら、瑠璃ちゃんが悪いってことになるかもしれない。それなら、やっぱり僕がなんとかする!」


 むぅ……確かに手をあげたらまずいかもしれないけど、だからってじゃあ止めますなんて言えない。


「だって、私は伊織ちゃんに無茶してほしくないの。私のためにそんなことするくらいなら、自分の手で何とかしてやるんだから!」

「僕だって、瑠璃ちゃんにそんなことさせない! どうしてもやるって言うなら、その前に僕がやる」


 今の伊織ちゃんは、普段からは想像できないくらい強情で、決して折れようとはしなかった。


 結局のところ、私も伊織ちゃんと、やろうとしてることは同じだ。


 私は伊織ちゃんに、伊織ちゃんは私に手をあげさせるのが嫌で、そうなるくらいなら自分がなんとかするって思ってる。

 だから、伊織ちゃんが必死になる気持ちだってわかる。


 けどこのままじゃ、いつまで経っても終わりそうにない。


 だけどその時、そんな私達の言い合いを掻き消すように、金城さんが声をあげた。


「わ、わかったわよ! もう、二度とあなたには手を出さないから! 他の子にもそう言う! だから、もういいでしょ! だから許して!」


 それは、ほとんど懇願していると言ってよかった。

 叫びながら、ガタガタと震えている。


 けど彼女にしてみれば、空手有段者と、魔術を使う吸血鬼が、どっちが自分を倒すかで揉めてるようなもんだ。

 私だけでなく、あんなに熱をあげてた伊織ちゃんに対しても、今はすっかり怯えきった目で見ている。


「本当に、もう嫌がらせはしない?」

「し、しないから!」


 なおも震える金城さん。これじゃ、どっちが悪者かわからない。


 まあ私としては、これ以上嫌がらせをしないでくれるなら、なんだっていい。


「嫌がらせしないって言うなら、私だって何もしない。伊織ちゃんは、それでいい?」

「……瑠璃ちゃんがそう言うなら」


 伊織ちゃんは、まだちょっと警戒しているみたいだったけど、なんとか承諾してくれた。


 金城さんは、そんな私たちのやり取りを聞いて、コクコクと、何度も首を激しく揺らして頷く。


 ここまで怖がられるのも複雑だけど、それだけに、もう何もしないって言葉には、それなりの説得力があった。


 ただそんな状態でも、震える声でこんなことを聞いてくる。


「あ、あなた達、本当に好きとか付き合ってるとか、無いの?」


 それ、まだ疑ってるの?

 もう何度も違うって言ってるのに?


 ここは、念のためもう一度しっかり言っておいた方がいいかな。


 だけど、私が何か言う前に、伊織ちゃんが先に口を開いた。


「ええ、付き合ってませんし、瑠璃ちゃんは、僕のことをそんな風には思ってませんよ。僕の、一方的な片想いです」

(へっ……?)


 伊織ちゃん、今なんて言ったの?


 そんな私の心の声が聞こえるはずもなく、伊織ちゃんはさらに言う。


「瑠璃ちゃんは、僕にとって一番大切な人だから。そんな子が傷つけられたら、腹も立つし、傷つけた相手を許せないって思う。そしたらどうなるか、もうわかってますよね」

「は……はい!」


 最後にひと睨みすると、金城さんはほとんど悲鳴のような返事をし、あとは逃げるようにさっさと去っていった。


 伊織ちゃんガチ勢のリーダーだった彼女だけど、あれだけ怖がっているなら、さすがにもうそれを続けることもないかも。


 これで本当に全部の嫌がらせが終わるかどうかはわからないけど、とりあえず一つの区切りはついたと思う。


 ただ、一件落着ってするには、さっき伊織ちゃんが言ってた言葉が、どうにも引っかかった。

 思いっきり、引っかかった。


「あ、あのさ、伊織ちゃん?」

「なに?」

「えっと……さっき言ってた、片想いってのは、どういうこと?」


 ま、まあ、よくよく考えれば、私を守るためにそういうことにしといたってだけだよね。


 友達に手を出すなって言うより、彼女に手を出すなの方が、言葉に力がありそうだから。きっとそうに違いない。


 って思ってたんだけど……


「そのままの意味だよ。僕は、瑠璃ちゃんが好きなんだ。子どものころから、ずっと片想いしてたんだ」

「ふぇっ!?」


 予想もしていなかった言葉に、私はただ、変な声をあげることしかできなかった。

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