第9話 女子生徒達の阿鼻叫喚

 あまりに突然で、一瞬、何が起きたかわからなかった。

 だけどほんの少しの間を置いて、私と伊織ちゃんの口が重なってるって──いわゆる、キスをしているような状態なんだって理解する。


 そして驚く間もなく、次の衝撃がやってきた。


(うぅっ!)


 急に、体中から力が抜ける。まるで全力疾走したみたいにどっと疲れが出てきて、しかもそれがどんどん積み重なっていく。頭がクラクラしていく。


(精気を吸い取られてるんだ!)


 さっき女子生徒が言ってたことが、自分の身に起こってることに気づく。


 精気ってのは、生きるためのエネルギーみたいなもの。それを吸い取られてるんだから、疲れるのも当然だ。


 足がガクリと折れて、倒れそうになる。


 何とか咄嗟に踏ん張ったけど、その時、それまで伊織ちゃんと重なっていた唇が離れた。


 途端に、これまで溢れ出ていた疲れが治まってくる。


「はぁっ──はぁっ──はぁっ────」


 もちろん、一度吸い取られた精気が戻ってくるわけじゃないから今も疲れはあるし、頭はクラクラしたまま。


 だけどさっきまでと比べたら、ずいぶんマシになった。


「そうだ。伊織ちゃん、どうなったの!?」


 私から精気を吸い取ったなら、伊織ちゃんの渇きはどうなってるの?


 そう思って目を向けると、伊織ちゃんは上半身を起こしたまま、寝ぼけてるみたいにキョトンとした顔でこっちを見てた。


「ん……?」


 そこに、さっきまでの苦しそうな様子は全くない。

 渇き、治まったの?


「瑠璃ちゃん、顔が赤いけど、どうかした?」

「えっ?」


 言われて、初めて知る。今の私の顔、赤いんだ。

 いや、でもそれって、伊織ちゃんのせいだから!


 だけど当の本人は、相変わらずキョトンとしたままで、自分が何をしたのか、全然わかってないみたい。

 もしかして、さっきのこと覚えてないの!?


 するとその時、急に耳を劈くような声が辺りに響いた。


「あ、あ、あなた、何をやってるの! 景村くんに、き、き、キスするなんて!」


 叫んでいるのは、さっき私に色々言ってきた女子生徒。

 いや、彼女だけじゃない。この場に集まっている女の子のほぼ全員が、私を見ながらキャーキャー声をあげていた。


 もちろん、伊織ちゃんにかけているような黄色い声なんかとは訳が違う。ショックと怒りが混ざりあった、悲鳴としてのキャーだ。


「ち、違うから! 私がキスしたんじゃなくて、キスされたの!」


 元々彼女らは、誰かが無理やり伊織ちゃんにキスするのを阻止するために集まった子たち。そんな人たちの目の前で私からキスしたってことになったら、なんて言われるかわからない。


 そう思って、なんとか弁解しようとしたけど、それを聞いて真っ先に声をあげたのは、女の子たちじゃなかった。


「キス? 瑠璃ちゃん、キスってどういうこと?」


 キスという言葉に反応して、どういうことかと聞いてくる伊織ちゃん。

 やっぱり、何があったか覚えてなかったんだ。


 だけど、周りの反応を見れば、察するのは簡単だったみたい。

 ハッとしたように目を丸くすると、それから、恐る恐るといった感じで聞いてくる。


「も、もしかして、僕がキスしたの? 瑠璃ちゃんに?」

「…………う、うん」


 一瞬、なんて答えようか迷ったけど、結局は素直に頷く。だって、ここまできたらごまかすなんて無理だもん。


 するとその途端、伊織ちゃんの顔が、みるみるうちに青くなっていく。さっき寝ていた時も十分青くなっていたけど、もしかするとこれは、それ以上かもしれない。


「……瑠璃ちゃんに、キス? ……僕が、瑠璃ちゃんに?」


 焦点の合わない目をして、うわ言のように呟く伊織ちゃん。せっかく私の精気を吸って回復したってのに、このままじゃまた倒れてしまいそうだ。


 しかも、事態はそれだけじゃ終わらない。

 今まで闇雲にギャーギャー騒いでいた女の子たち。だけどその感情が、明確な怒りとなって私に向いてきた。


「よくも景村くんの唇を奪ったわね!」

「あのクソアマ! ぶっ殺す!!」

「この××××!」


 ちょっ、なんてこと言うのよ!

 特に最後のやつ。伊織ちゃんの前でそんなこと言って平気なの?


 だいたい、私は唇を奪ったんじゃなくて、奪われたんだって。

 だけどそれを言ったら、その瞬間伊織ちゃんが倒れてしまいそう。

 なんなのこの状況は!


 どうすればいいか全くわからなくなったその時、急に私の手が握られる。握ったのは伊織ちゃんだ。

 相変わらず、顔は真っ青なままだけど、それでも、手を握るその力は強かった。


「え、えっと……とりあえず、来て!」

「えっ?」


 返事をする間もなく、伊織ちゃんは私の手を引いて走り出す。つられて私も走るけど、もちろんそれを放っておく女の子達じゃない。

 むしろ怒声はますます大きくなり、血相変えて追いかけてくる。


 私は、足はけっこう早い方だけど、手を繋いで走っているこの状況じゃ、いずれ追いつかれそう。


 そしたら伊織ちゃん、それまで繋いでいた手を離したかと思うと、なんと走ったまま、私の体を抱えあげた。

 しかも、いわゆるお姫様抱っこって言われる抱え方だ。


「えっ、ちょっと!」

「ごめん。ちょっと急いで走るから!」


 そう言うと、その言葉通り、伊織ちゃんの走るスピードがぐんぐん上がっていく。


 嘘でしょ! 私をお姫様抱っこしてるんだよ! 吸血鬼が運動能力高いってのは知ってるけど、こんなに凄いの!?


 これには、追ってきた女の子たちも追いつけなかった。

 あっという間にその距離は引き離され、おまけに右に左にとあちこち逃げ回るものだから、すぐに誰も見えなくなる。


 そうして走り回って、周りに誰もいない校舎裏へとやってきたところで、ようやく伊織ちゃんの足が止まった。


「と、とりあえず、ここなら二人だけで話ができるかな」

「そ、そうだね」


 私も、ようやく伊織ちゃんの腕の中から解放されて地面に足をつけるけど、まともに話ができるかなんてわからない。

 さっきから色んなことが起こりすぎで、心臓がバクバクしっぱなしだ。


 すると、伊織ちゃんは何を思ったのか、急にしゃがんで、地面の上に両膝をついた。


 そんなことしたら、ズボンが汚れるよ。もしかして、また発作が起きたの?

 そんなことを思ったけど、どうやらそうじゃないらしい。


 それから伊織ちゃんは、両手の手の平を地面につけ、言う。


「ご、ごめん! 僕、とんでもないことを!」


 それと同時に、額が地に付くくらいまで頭を下げる。


 こ、これってもしかして、土下座ってやつ!?

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