第7話 渇き

 顔も頭も運動神経もいいって言われてる吸血鬼。だけど、何から何までいいことばっかりって訳じゃなくて、吸血鬼ならではの困ったことだって、ちゃんとある。


 そのひとつが、『渇き』っていう名前の症状だ。


 これが発症すると、その名の通り強い喉の渇きが襲ってきて、さらには全身に物凄い苦しみを感じることになる。

 昔、伊織ちゃんはそんな風に言っていた。


 そして今、伊織ちゃんはそんな渇きの症状に襲われていた。


「渇きって、もう良くなったんじゃないの? だから学校も通えてるんじゃないの?」


 実は、伊織ちゃんが渇きに苦しんでるのを見るのは、これが初めてじゃない。

 昔一緒に遊んでた頃、なんの前触れもなく発症したことが何回かあった。


 その度に遊ぶのは中止になって、私は家に帰された。伊織ちゃんが学校にも行かず、ずっとあの家にいたのも、渇きのせいだった。


 けど、伊織ちゃんは言ってたんだ。

 もう少しで渇きを怖がることもなくなるって。そしたら、学校にも通えるようになるって。


 それから六年も経って、今こうして学校に通えてるんだから、もうとっくに大丈夫なんだと思ってた。


「前に比べたら、ずいぶんマシになったんだよ。けど、今でも月に一度くらい、こういうことが起きるんだ」


 そうだったんだ。

 前はもっとしょっちゅう起きてたから、確かにそれは、マシになったって言えるかもしれない。


 けどそれでも、今伊織ちゃんが苦しんでるのは確かだ。


「案内の途中なのに、こんなことになってごめんね」

「そんなのいいから! それより、保健室にでも行く?」

「ううん。そこまでしなくても大丈夫だから」


 そこまで言うと、伊織ちゃんとはヨロヨロと立ち上がって、体を引きずるようにして歩き出す。


 どこに行くの? 辛いなら肩を貸そうか?

 そう思ったけど、行き先は思いの外近かった。


 元いた場所のすぐそばには中庭があって、そこにはベンチが置いてあった。

 そして伊織ちゃんは、そのベンチの上に、体を横にして寝そべった。


「保健室に行っても、薬や手当でどうにかなるものでもないからね。それに渇きってのは、少しの間休んでたら、自然と治まるものだから」

「そ、そうだっけ」


 そういえば、昔渇きについて話を聞いた時、そんなことを言ってた気がする。


「少しの間休むって、どれくらい?」

「早ければ、十分か二十分くらいかな」


 案外早い。昔、伊織ちゃんに渇きが発症したら、私はすぐに家に返されてたから、もっと長い時間苦しい目にあうのかと思ってた。


 それくらいで治まるなら大丈夫かな?

 けど寝そべってる伊織ちゃんの息は相変わらず荒々しくて、時々苦しそうに顔を歪めてる。

 すぐに良くなるからって、平気ってわけじゃないんだ。


(何か、私にできることってないかな?)


 渇きについて、他に知ってることはなかったか、思い出してみる。


 そもそも、どうして渇きってのが起こるのか。それは、体の中にある精気が足りないから。


 精気っていうのは、生き物みんなが持っている、生きるためのエネルギーみたいなもので、目には見えないけれど、体中に流れているんだって。

 それで、その精気が足りないと、こんな風に渇きが発症して、それを知らせてくれる。もっと精気がほしいって、体が言ってくる。

 つまりそれは、精気を得る手段があるってことだ。


「えっと、たしか他の人から血を吸ったら、血の中に流れてる精気も一緒に吸い取って、渇きも治るんだよね?」


 これが、私の知ってる限り、渇きを治すのに一番手っ取り早い方法だった。


 精気は体中のいたるところにあるんだけど、血に含まれてる精気の量は、特に多い。

 吸血鬼がその名の通り人の血を吸うことができるのも、そうやって吸血って方法で精気を得るため。

 つまり吸血鬼って言っても本当に欲しがってるのは、血じゃなくてその中にある精気なの。


 だけど今の世の中、実際に血を吸って精気を得る吸血鬼なんてほとんどいない。


「一応言っとくけど、血なんて吸わないからね」


 伊織ちゃんは相変わらず苦しそうにしながら、それでもハッキリと言う。


「血を、それに、その中にある精気を吸うなんて、そんな危険なこと絶対にしないから」


 やっぱり。そう言うだろうなってのは、だいたいわかってた。

 吸血によって精気を吸い取るのは、とても危険だからね。


 精気ってのは生きるためのエネルギーなんだから、それを吸い取ると、こんどは吸い取られた相手のが大変なことになる。

 特に吸血による精気の吸収は、一度に大量の精気を吸い取ることになるから、下手をすると命を落とすこともあるんだって。


 だから、伊織ちゃんだけでなく、他の吸血鬼の人たちだって、まずそんなことしない。


 けどそうなると、今の私にできることなんて何もない。


「えっと……輸血パックとかの血じゃ、ダメなんだよね」

「うん。体から出た血からは精気がどんどん抜けていくから、人から直接吸わないと意味が無いんだ」


 そっか。それじゃやっぱり、このまま落ち着くまで見守ってるしかないのかな?


 伊織ちゃんは、相変わらずベンチの上で横になったまま、いつの間にか眠るように目を閉じていた。

 さっきよりも、少しは落ち着いたかな。

 そんなことを思いながら、私もすぐ近くにしゃがみこんで、その様子をじっと見つめる。

 その時だった。


「きゃあ! 景村くん!」


 すぐ後ろで、悲鳴のような声があがる。何事かと思って振り返ると、そこには一人の女子生徒が立っていて、目を丸くしながらこっちを見ていた。


 白い肌にパッチリとした目と、なかなかの美人だ。


「えっと、これは渇きって言って、体の中にある精気が足りなくなってるらしいの」


 何があったか説明するけど、その人は話を最後まで聞かなかった。


「そんなの、いちいち言われなくてもわかってるわよ。たまに景村くんがこうなるってこと、この学校で知らない人なんているわけないじゃない!」

「そ、そうなの?」


 そんなに有名なんだ。

 でもそっか。伊織ちゃん、この学校じゃすっごく有名みたいだから、渇きのことだってみんな知ってても不思議じゃない。


「それよりあなた、見ない顔ね」

「ああ。私、今日からこの学校に転校してきたから。それで、学校案内してもらってる最中に、こんなことになったの」

「学校案内? 影村くんに? へ〜え、ふ〜ん、そう」


 訝しげな目で、めっちゃ見てくる。

 ああ。これは多分、女子である私が、伊織ちゃんと一緒にいたのが面白くないんだろうな。

 なんだか居心地が悪くなるけど、話はそれだけじゃ終わらなかった。


「あなた、まさかとは思うけど、景村くんに精気を渡してないでしょうね」

「それって、血を吸われたかってこと? してないよ!」


 そりゃ、一瞬考えはしたけど、キッパリ断わられたし、命の危険になりかねないことだから、さすがに軽々しくできない。

 だけどその子は、それを聞いて叫ぶ。


「そっちじゃないわよ! キスよキス!」

「ふぇっ? き、キス!?」


 キスって、あの、口と口を合わせるキス?

 いきなり出てきた場違いな言葉に、一瞬何が何だかわからなくなる。


 だけど、すぐに思い出す。吸血鬼が人から精気を吸い取る方法が、血を吸う以外にももう一つあったことを。


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