第4話 伊織ちゃんとの出会い(後編)
「大丈夫だよ。そんなに痛くないし、こんなのツバでもつけときゃそのうち治るって」
「つ、ツバでも?」
「そう。ツバでも」
もちろんそんなことはないんだけど、こうでも言わないと、この子が泣いちゃいそう。
するとその子、ケガした私の腕をじっと見る。そして、自分の服の袖を傷口に押し当て、出てくる血を拭いてくれた。
「あっ! そんなことしたら、君の服が汚れちゃうよ。それに、拭いてもまたすぐに血が出てくるかも」
服まで汚してくれたのに悪いけど、傷口は塞がってないから、少ししたらまたすぐに同じことになっちゃいそう。
だけどそこで突然、その子は何を思ったのか、私の腕を掴んで、自分の口元に向かって引っ張った。
「えっ、なに?──ひゃっ!?」
服で血を拭いてくれたのにもビックリしたけど、今度はもっともっと驚いた。なにしろその子、私の腕の擦りむいた所に、自分の口を押し当ててきたんだから。
「ちょっと、くすぐったい!」
噛み付かれたわけじゃないから痛くはないけど、妙にこそばゆい。
なんでこんなことするの? もしかして、ツバでもつけときゃ治るって言ったの、本気にしてるの?
「待って待って! 離して!」
声をあげ、くわえられてた腕を勢いよく振ると、ようやく彼の口が離れる。
「えっとね、ツバで治るっていうのは、それくらい大したことないって意味だから。ツバで本当に治るわけじゃ──って、あれ?」
そこまで言ったところで、おかしなことに気づく。さっきまで確かにケガしてたはずの私の腕。だけど今、どういうわけか傷は塞がってて、流れてた血も止まってた。
「なんで? もしかして、ツバって本当に効くの?」
もしそうなら、今度からケガした時はつけてみよう。そう思ったけど、そこで男の子がモジモジしながら言う。
「その……多分、君のじゃ無理だと思う」
「えっ?」
「えっとね、吸血鬼の唾液には、小さな傷なら塞ぐ力があるの。でないと、噛みついて血を吸った後も、噛んだところからどんどん血が出ちゃうからだって」
「んん〜?」
男の子の言ってることは、いきなりすぎてすぐにはよくわからない。だけど、その中でひとつ、気になるところがあった。
「よくわからないけど、君って吸血鬼なの?」
「…………うん」
小さく頷く男の子。
吸血鬼。世の中にはそういう人たちがいるってのは聞いたことあるし、テレビではたまに見ることもあるけど、実際に会ったのは初めてだ。
驚いていると、なぜか男の子は、急にシュンとする。
「ごめんなさい」
「へっ? どうして謝るの?」
「僕が吸血鬼って知って、怖くなった? だったらごめん。けど、その……さっきのは、君の血を吸おうとしたわけじゃないの。血は一滴も飲んでないよ。あっ、でも、それでも怖いなら、ごめんなさい」
うーん。どうやらこの子は、私が怖がってるんじゃないかって心配してるみたい。
けど、どうしてそんな風に思うかな?
ケガを治してくれたんだから、感謝はしても怖いなんて思うわけないのに。
どっちかって言うと、この子の方がずっとビクビクしてて、怖がってるように見える。
「怖くなんてないよ。それより、ケガ治してくれてありがとう」
笑顔でお礼を言ったら、その子もそれを見て、ほんの少しだけ笑顔になった。
元々可愛い顔をしてるんだから、笑うとますます可愛く見える。
「私、浅尾瑠璃っていうの。君、名前はなに?」
「えっ? か、景村伊織」
「伊織……伊織……じゃあ、伊織ちゃんだ!」
これが、私と伊織ちゃんの出会いだった。
この時名前を聞いたのは、なんとなく、そうしたら友達になれるかなって思ったから。
そして、その予感は当たった。
それから私は、夏休みの間、この洋館にしょっちゅうやってきて、伊織ちゃんと一緒に遊ぶようになった。
伊織ちゃんは、わけあってここから出ちゃいけなかったんだけど、家の中で話をしたり、ゲームをしたり、とってきた虫を見せたりした。
夏休みが終わって、毎日は会えなくなっても、時間を見つけて会いに行った。
私がお父さんの仕事の都合でこの街から引っ越すまで、私たちは、何度も一緒に遊んでた。
「あの伊織ちゃんが、まさかあんなになってるとはね」
学食で昼ごはんを食べた後、戻ってきた教室で、私は一人そう呟く。
思い出の中の伊織ちゃんと、さっき見た伊織ちゃん。比べてみたら、びっくりするくらい変わってる。
昔の伊織ちゃんは私より背が低かったし、何よりすっごく大人しかった。
初めて会った時もそうだったけど、オドオドしてて、いつも自信なさげって感じ。
そういうところが、可愛くもあったんだけどね。
だけどさっき見た伊織ちゃんは、周りで女の子がキャーキャー騒いでいても、堂々とした様子で爽やかに対応していた。あんなに変わるなんて、時の流れって凄いや。
私のこと、覚えてるかな?
さっきは周りにたくさん人がいたから、声をかけることもできなかった。
だけど、同じ学校なんだし、これから話す機会があるかも。
そう思うと、なんだかワクワクした。
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