虫眼鏡

「そろそろ許してやりなよ」

 ヤン少年が言うが、フヨルはまだ機嫌が悪く、何度も後ろを振り返っては、オリトに牙を剥く。

「もう、フヨルってば」

 ヤン少年が笑うと、その時だけは、フヨルも笑うのであった。

 三人並んで歩き、バスに乗り、電車に乗り、また歩き、宿泊予定のビジネスホテルにスーツケースを預け、また歩いて、やがてヤン少年が目的地に到着したことを告げると――。

「高級ホテルだ」

 オリトは目を細めて建物を見上げ、全く意味の無い感想を言う。

 最高級ホテル、ネメテド・アンは、まるで、巨大な四角いパンの怪獣を五体集めてガラスに変身させ、白い檻に閉じ込めて、その上と周りに緑色の植物を敷き詰め、金粉きんぷんらしたような――うん、「高級ホテルだ」という感想で正しかろう。

「ホテルと関係者に、話は通してあります。身分証の提示で、八〇三号室に上がらせてもらえます」

 ガードマンの立つ門へと向かいながら、ヤン少年が言う。

「ヤン君は、何でもできるね」

 全世界で一番のポンコツに言われても、ヤン少年は、悪い気はしないのであった。

「オリトさん、探偵社の社長なんですから、ぴしっとして、黙っててくださいよ」

 オリトが口を開けば、ヤン少年の信用も落ちる。

 ギャグではなく、本当に。――いや、これこそギャグであるが。

 だが、探偵が盗難事件(または事故)に関わる上で、黙り続けているというのは簡単なことではない。

 異世界探偵社クワツがこれまでに行った探偵業らしい仕事というと、事務所の入る建物の上階に住むおばちゃんの猫を探す仕事――それだけだ。

 その時は、ヤン少年とフヨルが捜索をする間、オリトは町を散歩していれば良かったのだが、今回はそうもいかない。

 ヤン少年は考えつつ、上着のポケットやショルダーバッグ、気に入りのベルトポーチの中を探る。

「あ」

 声を上げたヤン少年は、小ぶりなショルダーバッグから、何の変哲へんてつも無い虫眼鏡むしめがねを引っ張り出す。

「これを持っていてください。探偵っぽいアイテムなので」

「探偵っぽいアイテム」

 オリトはきょとんとしながらも、虫眼鏡を受け取る。

「声を掛けられても、何かを探すのに集中しているふりをして、無視してください」

 寡黙かもくな人間というのは、ともすれば天才に見える。

「何か」

 虫眼鏡を両手に握ったまま、オリトはぱちぱちと瞬きをしてヤン少年を見る。

「じゃあ……虫で。『エジスむしラートイめがね』なので」

 ――『虫眼鏡』は、彼らの国、ハシムの言葉でも、『虫眼鏡エジス・ラートイ』と言う。

「虫を探せばいいんだね」

「はい」

 ヤン少年はオリトの手から虫眼鏡を取り、オリトの外套がいとううちポケットに入れる。

「お願いします」

 これで安心と、ヤン少年はフヨルと共に、オリトを引っ張って高級ホテルの門をくぐる――。

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