フユを思う


 冬はつとめて。

 雪の降りたるは、言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、また、さらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭もて渡るも、いとつきづきし。










 

 

 風が僕の肌を打ちつける。


 小刻みに息が漏れる。


 僕は手をこすりながら、早歩きで森に入った。


 階段を登り、その果てを目指した。










 世界に広がる天色あまいろは際限を知らず、それに覆い被さるように白絵具が溢れている。


 先程まで激しく動いていた心臓が嘘のように静かになった。


『フユ』はベンチの側で本を読んでいた。


 その姿は、白い芍薬のようだった。


 僕はベンチに座った。


『フユ』は本を読む手を止めなかった。









 僕は呟いた。




生きるとは何かと。




 横から冷酷な声が聞こえた。




 何故人は生きることを深く考える。

今そこに座っているだけで生きているではないかと。




 僕は困惑した。


 確かにそうなのだが、どうしても生きることについて考え、その意味を求めてしまう。


 ふと、顔を上げ、目が交わった。


 雪のように冷たいその眼差しは、僕を見透かしているように思えた。


 その目から、笑みがこぼれ落ちた。




 それが答えだ。

生きるとは何かを追求すること、それが生きるということなのだと『フユ』呟いた。






 カチッ

 





 僕の中で、かけたピースがはまる音がした。


 それと同時に次の疑問も生まれた。


 それならば生きる理由が、その意味が分かる日はいつくるのだろうか。

そもそもそんな日が存在するのだろうか。


 僕が問う前に、『フユ』が口を開いた。

 




 ‘人は自身を救済するために生きている。死ぬ間際にそれがわかるだろう。’

 




 その本にかかれているのだろうか。


『フユ』はそれ以上、何も言わなかった。


 あとは自分で考えろと言うように。


 嫌な気はしなかった。


 それが『フユ』の優しさだと思ったから。










 生きるとは生きることへの追求である。


 何故人は生きるのか、生きる意味は何なのか、悩み、苦しみ、絶望し、その命が尽きるまで追求し続ける。


 それが生きるということなのだ。


 そして死によって、その追求が終わり、振り返る。

 そこで初めて、生きてきた意味を与えることができるのではないか。


 また、人は自身の救済のために生きている。


 自分の命を対価にそれを理解することができるのではないか。


 生きる意味とはそれほどに重く、価値のあるものなのだ。






 パタン






 本が閉じられた。




 雲の隙間から光が差し、僕らを照らす。

『フユ』はもう消えていた。



 

 

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