ナツを照らす
夏は夜。
月のころはさらなり、闇もなほ、ほたるの多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。
ご飯を胃に詰め込んで、クローゼットからコートを引っ張り出し、家を飛び出した。
誰かが僕を呼んでいる。そんな気がした。
あてもなく、僕は漆黒の世界を彷徨い続けた。
ただその足取りは、何かに導かれるようだった。
森に入り、山頂に続く階段を登り続けた。
一段、また一段とその先に見える一縷の光に向かって走り続けた。
肺に棘が食い込んでも、僕は足を止めなかった。
この先で誰かが僕を呼んでいる。
そう信じて疑わなかった。
あと三段、二段、一段――
目に飛び込んだ眩い光で反射的に目を瞑る。
しばらくして、明るさに慣れた目を徐々に開くと、目と鼻の先にほんのり緑がかったおぼろげな光が浮いていた。
その光を目で追っていると、一つ、また一つと光が飛び交う。
顔を上げると、そこに何千もの光が視界いっぱいに広がった。
それが螢であることに気づくには随分と時間がかかった。
螢に目を奪われていると、隣から、鈴を転がしたような笑い声が聞こえた。
そこには螢に囲まれるように『ナツ』がいた。
僕と目が合うと、まるで僕が来ることをわかっていたように、口元に弧を描いた。
月明かりのように煌めく光と、それによって生まれた漆黒の闇が広がる世界だった。
その妖美的な姿は僕を眩惑した。
先程まで僕を魅了した螢が視界から消え失せたと錯覚するほどだった。
そんな『ナツ』に連れられ、僕はベンチに腰掛けた。
この時に僕は初めて、ここがいつもの公園であることに気づいた。
光が明るくなるほどその影は一層濃くなるように、『ナツ』が煌めくほど、闇はより存在を著しくした。
僕はその闇に問いた。
何故人は死ぬのかと。
『ナツ』の目は見開かれたが、すぐに細めて、僕にこう問いた。
何故螢は光るのかと。
僕が難しい顔をしていたからか、可愛らしい鈴が転がった。
答えの代わりに『ナツ』は人差し指を前に出した。
一匹の螢が止まった。
その螢を愛らしく見つめながらこう言った。
彼らは、暗い暗いこの世界で誰かに気づいてもらうために光っている。
その命が尽きるまで光続ける。
その時間が限られているからこそ、彼らは美しく光輝くと。
螢が旅立った。
僕達はその力強く光る姿を、見えなくなるまで追いかけた。
人は皆等しく死ぬ。
だからこそ、この時間をより良く生きようと、悩み、苦しみ、意味を求める。
死があるからこそ人生は美しいのだ。
ポツリと鼻先で何かが弾けた。
その冷たさが僕を現実に引き戻した。
螢は天から与えられた潤いに、喜ぶように、より一層飛び交う。
チリン
そんな鈴の音を残して『ナツ』は世界へ溶けていった。
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