触れ合う細い指先から
入院生活というのは、謂わば如何にして膨大な余暇時間を潰すかの勝負になる。
真っ白で殺風景な部屋とベッド、娯楽は食事とお見舞いに来てくれた人との会話のみ。
天井の無機質なトラバーチン模様もいい加減見飽きて、手慰みに何度も読み明かして暗記してきた文庫本に手を伸ばした所で、廊下に繋がる扉が開いた。
お見舞いの時間のようだ。
「こんにちは先輩、愛しのみどりちゃんが来ましたよ~」
県内一番の偏差値を誇る小園高校の制服に身を包んだみどりさんが現れた。
飾り気のない制服も華やかに着こなしている、透明感のある透き通った乳白色の肌が眩しい。
地味な装いに身を包んでも、どうしたって彼女には華がある。
居るだけで空間をきらびやかに彩ってしまう、常人とは放っているオーラが違うのだ。
なんかいい匂いもするし。
みどりさんは別にパーソナルスペースが狭い方ではないので、いくら恋人であってもそんなに近寄って話したりはしてない筈なんだけど、なんかこの人がお見舞いに来てくれた時だけは生花のような香りがする。
どうも来院時間を見るに、彼女は毎日学校が終わると一目散にこの病院に駆けつけてきてくれているらしい。
学校から病院までそんなに離れていないとしても、それらに自宅までを含めた往復に掛ける時間を思えば一声掛けたくもなるものだけど、その結果泣かれかけてしまってから何も言えないでいる。
煙るような細く長いまつ毛の先に涙を浮かべ、迷惑でしたか……? と控えめに問うみどりさんの悲し気な表情は暫らく忘れられそうにない。
二度とあんな顔をさせないようにしないと。
「今日は果物持ってきてないんです、かわいいかわいいみどりちゃんだけで我慢して下さいね」
「そんな田舎のお婆ちゃんみたいな……みどりさんが来てくれるだけで十分嬉しいよ、いつもありがとう」
「………………そですか………………」
「だからさ、照れるなら始めからそういうこと言わなきゃいいじゃん……」
毎回毎回おっきな果物持ってこられたらお腹たっぷたぷになっちゃうよ。
果物ってそれなりに重たいし、そんなに気を遣わなくてもいいのに。
みどりさんは距離感が近い人ではないが、身体的な接触を好む。
今日も学校であった他愛のないことを訊かせてくれる間中ずっと、右手は繋がれたまま。
絡めた指を不意にくすぐるようにまさぐられると、とてもこそばゆい。
入院中に触るものなんて紙コップとか小銭とか自動販売機のボタンとかどれも無機質なものばかりだから、じんわりと染み込むように伝わる人肌の温もりが無性に嬉しい。
繋がれた指を眺めていると、綺麗な人は手先まで綺麗なんだな……なんて馬鹿なことを思う。
分厚くて太いおれの手と繋がれているから、みどりさんの白磁のように白くて華奢な手が殊更繊細に映える。
短く切られた爪の先まで丹念に磨かれてピカピカ輝いている。
全体的にゴツゴツしてて何ら面白味のないおれの手と本当に同じ部位か疑わしいな、同じ人間なのにこうも違うかね。
触ってみると一つ一つのパーツがきめ細かくてツルツルしている。
「くすぐったいですよお、もう……今日は甘えたさんなんですか?」
つい手の観察に夢中になって肝心のみどりさんの対応になおざりになっていた、ごめん、と言う間もなく抱き寄せられ、頬に口付けされる。
その細腕のどこにそんな力が。
「すき、すき、大好き。 愛してます。 先輩のこと、ずっと大好きですからね」
桜色した唇をおれの耳に近付けて、囁かれる酩酊してしまいそうな愛の言葉。
花のような甘い香りが濃く漂って、少しずつ思考が麻痺していく。
「相変わらずお耳が弱い先輩、かわいい。 ふふっ、どうしてあげましょうか」
耳元でぽしょぽしょ囁かれると、コトコトした優しい声が耳朶に直接届いてとてもこそばゆい。
駄目だ、溺れてしまう。
一番記憶に焼き付いて脳に刻み込まれるのは香りだから、嗅覚を支配されるのは危険なのだと分かっていて、それでも強烈な負の走光性に抗えずに溶かされていく。
リップ音が耳朶に直接響いて、耳にキスされたことに気付いた。
やっと耳から顔を引いてくれて向かい合ったみどりさんの大きなアーモンド型の瞳の深奥には、星の海があった。
この天球に浮かぶ星の海に燦然と煌めく彗星になれたなら、弧を描いて夜を跨げたなら良かった。
その指向性が今も形を保ったままでいるのか、確かめる術はない。
面会時間が終わるまでの間、おれたちは花の芳香が艶やかに香る病室で口付けをかわしあっていた。
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