第2話 絶望と希望



「な、なんであんなのが出てくるんですか!?」


 冷や汗を流しながら、ダンジョンを駆け抜けている少女は叫んだ。


コメント

:シノアちゃん逃げて!!

:そいつはマジでヤバイ

:あんなの知らないんだけど

:下層に居るワイバーンだな

:確か下層の中では雑魚だったはず


「下層!? 雑魚!? 嘘ですよね!? 強さが桁違いじゃないですか!?」


 春雨シノアこと篠原朱莉は視聴者のコメントに突っ込んだ。


 魔法を打ち込んでもダメージ一つ入っている様子のない存在。それがどう考えれば、雑魚となるのか。理解することを頭が拒否していた。


 チャンネル登録者数50万人記念で初めての中層探索。いつもは安全を考慮して上層。つまり、10層よりも上の層で配信を行っていた。ただ今回は記念配信ということもあり、中層へと足を進めた。


 現在の階層は11層。しっかりとレベル上げを行っていれば危険はほとんどないはずの空間は発生したイレギュラーによって一変した。本来発生する下層ではなく中層で生まれ落ちたワイバーンはダンジョンの床を破壊しながら、真っ直ぐに地上へと向かう。


 走って逃げていた朱莉はその道中であったワイバーンと偶然にも出会う。息を顰め、気が付かれなければ敵対しないはずだった。しかし、朱莉は驚きのあまり反射的に魔法を打ち込んだ。それがきっかけとなりワイバーンに認識され追いかけられる羽目になったのだ。


 追いつかれれば確実にあの世行き。


コメント

:下層のしかも40層の雑魚だけどな

:それは雑魚と呼ばないだろ

:同意

:というか、お前ら冷静にコメントしている場合じゃないだろ?


「ヤバイヤバイ……」


 朱莉がポツリと呟く。後ろを向かずとも背後に迫り来るワイバーンの姿は容易に想像できた。


 流石は下層のモンスター。徐々に朱莉との距離を詰めている。背後からの殺気でそれを感じ取っている朱莉の顔色はどんどん悪くなっていく。自分の命がゆっくりと消えて行く。そんな絶望的な状況。


コメント

:そうだった!

:シノアちゃんそいつから全力で逃げて!

:中層に入ったばかりの探索者がどうにかできるやつじゃない!


 冷静にその場を分析していた視聴者たちも現状を思い出し、再び焦り始める。しかし、状況は好転することなく。絶望がヒシヒシと迫りくる様子をただ見ていることしかできない。


『グォォォォ!!!!』


 ワイバーンが朱莉を捉えたとばかりに一気に加速する。


 咄嗟に屈んだためワイバーンと直接衝突はしなかった。しかし、風圧で吹き飛ばされてしまう。壁に叩きつけられ、身体に強い衝撃が走る。


「ガッ……!」


 無理やり肺から空気を吐き出させられた。


「ゲホゲホ…………」


 歪み、赤く染まった視界。


 重い手を動かして口元に手を当てる。血の混じった咳。朱莉はそれをどこか他人事のようにそれを見つめていた。全身が痛い。身体に力は入らない。意識も朦朧としている。


 もうまともに動くことはできない。ただワイバーンに生きながら食われるのを待つことしかできない。


「やだ……」


 弱弱しい。誰にも届かないほどの小さな声。


 嫌だった。こんな終わり方は嫌だった。命の危険があるのは最初から分かっていたはずなのに。その覚悟もある。そう思っていたはずなのに。でも、いざとなったら怖くて仕方なかった。


「だれか…………たすけて…………」


 まだ誰かが助けくれるそんな夢を抱いてしまう。


 ワイバーンがゆっくりと近づいてくる。朱莉はそっと目を閉じた。もうどうしようもない現実。避けられぬ命の終わり。ワイバーンが口を開き、朱莉に迫る。閉じた目から赤く染まった雫が零れ落ちた。



 何かに気が付いたようにワイバーンの動きが止まる。開いていた口を閉じ、周囲を警戒するように辺りを見回す。


 そして。


「ここに居た」

「あ…………」


 誰かの声が響く。


 朱莉がそっと目を開くと、全身が黒い人が居た。おそらく黒い髪に黒い服を着ている誰か。ぼんやりとした視界。その人が誰なのか上手く見えない。でも、その雰囲気を。その声を。朱莉は確かに知っている。


「篠原さん、もう大丈夫だから」


 記憶が繋がる。


「……九条さん…………?」


 朱莉はその声の主の名をそっと呟いた。






「まさか、地上に出ようとしているなんてね」


 真那は警戒するように後ずさりしているワイバーンから視線を外し、気を失ってしまった朱莉へと向ける。


 パッと見た感じ焦るほどの大けがを負っている様子はない。骨が折れておらず、口から垂れている血から察するに内臓は損傷しているだろう。だが、ポーションであればすぐに治せる。傷の具合を目視で確認した真那は胸を撫で下ろした。


『グォォォォ!!!!』


 一瞬の隙を狙うようにワイバーンが突っ込んできた。


 それをふわりと飛び上がり、難なく回避する。そして、壁に足を付け、刀にそっと手を掛けた。


『グォ?』


 次の瞬間にはワイバーンの首が空を舞っていた。いつの間にか地面へと降り立っていた真那は何事もなかったかのように歩いている。刀を抜く姿は見えず。移動したことすら認識できない。


 光の粒に変わっていくワイバーンを背に気を失っている朱莉のもとへと向かう。すぐそばまで寄ると壁に凭れ掛かっている朱莉を優しく抱きあげてから、地面に寝かせる。すぐ隣りに膝を着き、傷の具合を確かめるように体に触れた。


「やっぱり、ポーションで何とかなりそうね」


 自分の予想が正しかったことを確認した上でステータス画面を開いてアイテム一覧を呼び出し、ポーションを取り出す。


 蓋を開き、朱莉の口の中にゆっくりと流し込む。こくりこくりと飲み込んでいく。全てを流し込み終えたと同時に朱莉の身体が淡い光を放つ。傷の修復が始まったのだ。


 それを見た真那は朱莉を起こさないようにそっと抱きかかえ、地上へ向かうのであった。

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