スローライフには程遠く その5
「おーい、千紀くん現実へ帰ってこーい。ここが分からないんだけど」
哲さんはブンブンと僕の体を揺さぶって現実に戻す容赦のなさだ。
「ハッ!」
僕は我に返って哲さんのノートを見る。どうやら異次元だと言っていただけあって、割り算が苦手らしい。
「全体の数からこの数ずつ引いて何回目でゼロになるかを考えると分かりやすいですよ」
「おー、なるほど、千紀くんは教えるのうまいな」
哲さんは悪戦苦闘しながらもなんとか割り算を攻略していく。四則演算の基礎が出来始めたなら、少しずつ応用問題をしていけば計算問題は克服できそうだ。
「そういえば、ロマンを求めて異世界に行きたいって最初言っていただろう?」
「言ってましたね」
「あともう一つ理由があるんだ」
「もう一つ?」
突如、哲さんの顔つきが真剣そのものになる。
「アースキャリーへ行ったら、体力があることを活かしてハンターにでもなろうと思ってな」
試験に合格出来たら異世界でのジョブを好きなように選ぶことが出来る。
のんびり暮らすことも、戦士とかになって戦いに興じることだって可能だ。
あと自分が稼いだお金はこちらのお金に換金して現世の家族に仕送りすることだって可能だ。だから稼ぎのいい戦士やハンター等のジョブに就くと仕送り出来る金額も増えるのだ。
「こっちでの稼ぎはあまりよくないからな、せめて向こうでハンター職について、親とかナギとかに少しでもいい生活をしてもらいたいと思ってな」
なるほど。哲さんも哲さんなりにちゃんとした理由で異世界に行きたいって考えていたんだな。
ペーパーの点数がすごく悪いのがマイナスポイントだけども。
「この話、ナギには内緒な? アイツは俺のことただただ異世界に憧れているだけのバカ兄貴だと思っているようだから、合格した暁にはぎゃふんと言わせてやろうと思ってる」
「じゃあ、勉強頑張らないとですね」
「おう、そうだな」
哲さんは再びノートに向かい合い、計算問題を解いていく。
「あ、そういえば、千紀くんは凪咲から異世界に行かないで欲しいと言われたんだって?」
「行かないで欲しいというか、焦ってまでも異世界に行かないでいいんじゃない? みたいなニュアンスのことは言われましたね。現世を謳歌すればいいんじゃないかって」
「なるほど、実に凪咲らしい言い回しだな。確かに、千紀くんはまだ若いからもうちょっと現世を楽しんでおくというのも手だ」
哲さんもナギと同じ事を言う。
「現世を楽しむといっても何をしたらいいのか悩んでいるんですよねぇ。ここ数年ずっと勉強詰めだったので」
悩んでいるところにナギから呼び出しを受けたので、正直何をやろうかというビジョンがイマイチ決まっていないのである。
「……そうだな、うちの凪咲とデートでもしてみるか?」
「そっか……、ナギとデー……はぁ?!」
哲さん、何さらっと飛んでもないことを言うんですか、僕とナギがデートぉ?!
「どうしてそこで、ナギとデートする流れになるんですか!」
「え? 知らないのか、凪咲は……」
哲さんが言おうとした途端、部屋の扉が開いてナギが殴り込んでくる。
「バカ兄貴はそれ以上余計なことを言わないでくれるかな?」
素早い手つきで哲さんの口にガムテープを貼り付けて喋らせないようにするナギ。哲さんは涙目でモゴモゴしていた。
「バカ兄貴が何か変なことを言っていたかもしれないけど、忘れて、速攻忘れて。さもないと、千紀の口にもガムテ巻くから」
ナギはガムテープを持って僕をそう脅してくるので、僕は無言で何度も首を縦に振った。
「分かればいいのよ。ところで今日はこの辺で切り上げない? 兄貴はこんな感じだし」
ナギがにっこりと笑う。そうした原因はナギになるんだけれども、時間も結構経っていることだし、僕はお暇することにした。
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