第02話:光を描く
パリでもないのに珍しい。私はそう独り言を
私はそんな自分に言い訳をしながら、誰にしているか分からない言い訳をしながら、心が赴くまま青年がイーゼルに立てかけている絵をのぞき込む。
「……っ」
その瞬間、私は思わず言葉を失った。なぜならそこから私が感じたのは光、輝きに
でも、これちょっとおかしい。キャンバスに描かれているのは、テット・ドール湖やそれを覆う木々や花々だけ。私の眼前に広がる風景をただ絵に落としただけ。それなのに私がそこから感じるのは光、光なのだ。湖が陽の光を反射する光、木々の葉が陽の光を優しく受け止めている光、カラフルな花びらに色合いを添えている光、そして目に見えるはずのない空気が輝く光。そう、私が視覚で捉えることのできる様々な光が、このキャンバスには
「
私はそうことわって、思わず彼が描いている絵の前に立つ。
「この絵はなんなんですか? キャンバスに描かれているのはただの風景画なのに、どうして私は光を感じるのですか?」
気がつくと私はその青年に日本語で話しかけていた。今度は正真正銘、下心もなにもない、私の心が発した言葉であった。しかしこの言葉は、青年にとって意外なものであったらしく、青年はそのアーモンドのようなきれいな形の瞳を一瞬大きく広げてみせた。しかしそれも一瞬のこと、青年はすぐにその瞳を慈愛で満たし、透き通った美しい茶色い虹彩を私に向け、微笑みかけてくる。
「びっくりしました。同じ日本人だったんですね。久しぶりに聞いた日本語だったので面食らっちゃいました」
そう言って青年は、すぐさま、すまなさそうな表情を浮かべる。
「って、すいません。私が聞かれたのはそんな話ではなかったですね。ついつい取り乱してしまいました。この絵はいわゆる印象派と呼ばれる画法でして、有名な画家としてモネとかルノワールがいます。古典的な画法ですが、今でも人気のある画法です。そして印象派の画家が目指している表現は自然の光を描くことなんです。その光の表現を使って、時間の流れを表現したり、次の瞬間の動きを表現したりするんです」
「どうりで」と私は思わず
「これが印象派の絵だということはわかりました。そして印象派が光を描くことが目的だということもわかりました。でも、おかしいんです。光なんて目に見えないものを絵に落とすことなんて不可能なはずなのに、この絵にラメが入ってるわけでもないのに、なんで私はこの絵から光を感じるんですか?」
私のこの質問に青年は少し考えこんだものの、しばらくして、優しい口調で私の質問に答えてくれた。
「いくつも理由があるのですが、主な理由は二つです。一つは油絵の具の原色のみを用いて描いているということです。油絵の具というものは、全部の色を混ぜると黒色になってしまいます。そのことからわかるように、油絵の具は混ぜれば混ぜるほどその色は光を失っていくのです。だから印象派の画家は油絵の具を混ぜることなくそのまま使うのです」
「え、でもこの光輝く水面、青と緑が混ざったような色になっていますよ」
私がそう言うと、青年はふふっと笑う。
「それがもう一つの理由です。よく近づいてみてください。青と緑が細かく塗り分けられていませんか? これを遠くから見ると人は青と緑が混ざった色と認識するのです。これがいわゆる筆触分割といわれる技法でして、この色のコントラストを使って俺たち画家は光を表現するんです。これは印象派の特徴的な画法の一つなんです」
「すごい」
この話を聞いた私は、思わず目を見開き、右手を口にあてた。
「褒めてくれてありがとうございます。でも俺はこの絵に満足していないのです。なぜならこの絵には光量が足りていないからです。そう、全然足りていないのです。こんな光量では、俺の心情世界を表現することはできない。まだまだ光がいる。俺はもっとこの絵を輝かしたい。俺はいつもそんなことばかり考えています。例えば、絵の光量をあげるためには何をすればいいのか? もっとも光輝くコントラストは何色と何色なのか? それを実現するためには油絵の具をどれだけの面積塗ればいいのか? それともメーカーによる違いが重要なのか? どの油絵の具メーカーの組み合わせが一番光を表現することができるのか? とか色々です。そう、まだまだ考えなければならないことや試さなければならないことが山ほどあるのです」
青年はそう言って、悔しそうな表情を浮かべていたものの、その青年が持つ不思議な画才が、私の心を縛っていたフォルティッシモの呪縛のロープに切れ込みを入れようとしていることに気がついた。
この青年はキャンバスに直接「光」を描いているわけではない。キャンバスに描かれている一つ一つのオブジェクトを油絵の具の原色のみをつかって表現し、そのコントラストによってキャンバスに光を描いている。つまり木の葉一枚一枚にさえ色彩のコントラストを描き出し、光が浮かび上がるようにオブジェクトを描いているのだ。
ようするに、私の単音に対するこだわりは間違っていなかったのだ。その単音を油絵の具の原色のように、徹底的に澄んだ音、透る音に仕上げればよかったのだ。しかし、それだけでは足りない。それだけではフォルティッシモにならない。油絵の具単色で充分な光を表現できないように、私の求めるフォルティッシモを単音で表現することは不可能なのだ。
ならばこの青年の画法のように、和音の中で強弱のコントラストをつけたり、音楽の流れの中で強弱のコントラストをつけたらどうなるだろうか? その結果、相対的なフォルティッシモを作ることはできないだろうか? そして、その表現の中に私が求める軽いフォルティッシモは含まれていないだろうか? そう考えた瞬間、私の中の何かが弾けた。
そうだ、この青年が様々なオブジェクトのコントラストによって光を表現しているように、私はそれを音楽でやればいいんだ。単音で澄んだ音、透る音を表現し、和音の強弱のバランスによってフォルティッシモを作り出し、その中で軽く聞こえる音を表現すればいいだけなんだ。それができれば、私の理想とする軽くて、澄んだフォルティッシモが出来上がる。そのことに気がついた私は、思わずその青年に大胆なお願いをしていた。すなわち「よろしければ、あなたの連絡先を教えてもらえませんか? 私はあなたの絵をもっと見てみたいのです」とお願いしていたのだ。
◇
今にして思えば、あの時の私の大胆さは信じられないし、今思い返してみても、冷や汗が噴き出してくる。そう、これが私と来栖大悟との出会い。
それから私は大悟の絵に夢中になった。そしてその対象が絵から大悟に変わるまでさほどの時間を必要としなかった。毎日のようにかわすSNS、毎日のように会うようになった日々、そしてお互いの夢を語り合った日々。
リヨン
そしてその夢は、いつしかお互いの夢になり、そこから私たちは夢に向かって歩きはじめた。フランスで認められず、お互いのふるさと福岡に戻った時でも、大悟が日本で一番権威のある美術展の一つ大和展で落選し続けた時でも、私がさまざまなコンクールで苦汁をなめ続けた時でも、決して諦めず、追い続けてきた二人の夢……。お互いが
そして今日、大悟と出会ってから八年の月日が流れた今日、私は夢を
今、私は、五年に一度開催されるフレデリック国際ピアノコンクールで演奏する順番を待っている。ファイナルの舞台で演奏する順番を待っている。ただ静かに、このチャンスを必ずものにするという強い決意を胸に秘めて……。
「水無瀬さん、水無瀬ゆきさん。そろそろ準備をしてください」
「はい」
コンクールスタッフの呼びかけに短くそう返事をすると、私は静かに椅子から立ち上がった。
大悟は、今年、六年越しの悲願を
私が未熟であることはわかっている、苦手を克服できず演奏に臨まなければならない不安もある。でもこの曲は私にとって特別な曲。だから私はこの曲から逃げるわけにはいかない!
いよいよ始まる最初で最後の夢の舞台。待っていて大悟、私、絶対に夢を
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補足:このお話に対する補足のリンクです。興味があれば読んでみてください。
第02話補足:印象派と光
https://kakuyomu.jp/works/16817330664993422025/episodes/16817330666638366336
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