第28話

前回Y子の事を書くつもりだったのに  いつの間にか脇道に逸れてしまったので

改めて、

Y子は私と同い年で今年75歳である。

現在も現役で とある大型ショップ内のユニット(個々店)の店長として働いている。 Y子の凄いところは単車に乗って何処にでもかっ飛ばして行くところだ。

私も確かにそんな部分はあるが、免許証と云うものを一つも持たない私の移動手段は当然公共の乗り物になる。

那須のM子は一応自動車免許を持っているのだが、走るのは専ら那須周辺である。

M子曰く。免許取得当時は今ほど拓けてなく この辺の人は車がないと非常に不便な所だったので娯楽の為ではなく必要に迫られての免許取得が多いのだと言う。今はどうなのだ?

M子は、車がなければ買い物もままならない環境なので免許返納はギリギリまで粘ると言っている。M子は一応箱型の自動車で、走るのも殆ど田舎道だから万が一事故っても単車よりはマシな気がする。Y子は怖い。都心でも高速でもブッ飛ばして青森までラーメンを食べに行ったりする。単車は裸だよ⁉


Y子の職場環境は 話を聞く限り良好とはいえない。

店長のY子を除く数人は全員パート社員である。この中の、とてもクセの強い方々がY子を悩ませている。他の人の勤務事情を完ムシして勝手に有給休暇を連続で申請したり、勤務が終わってもブラブラしてタイムカードを押さず 不正に残業申請する人がいたり……

勿論Y子は反撃するが、ギリギリまで我慢してしまうので怒りが沸点に達すると大爆発を起こす。本気で怒ったY子は怖い。機会があればお披露目するが、実の娘とも姉とも完全に縁を切るくらいだから覚悟と迫力が半端ない。

ここで断っておくが、事情を聞く限り非は相手側にある。Y子は基本 噓や作り話は

できない人間だ。お人好しで、ちょっと抜けたところが愛嬌なのだが ズルいヤツ程そこにつけこんでくるのだ。だが、甘くみてはいけない。

これまでも散々利用されて、踏み潰されて痛い目にあっても強かに生き抜いてきたのだ。Y子の母親は沖縄基地の駐留軍人と再婚し、アメリカ人である夫の退役と共にアメリカへ渡り生涯を終えた。Y子は両親、特に母親の話はしたがらなかった。

そのせいかどうか、乳飲み子を抱えて離婚したY子は暫く祖母の手を借りながら過ごし、その後上京したが、最後まで祖母の恩を忘れず 祖母が100歳で亡くなるまで出来うる限りの手を尽くし続けた。

私は、Y子の祖母さんがまだ存命で老人ホームにいた頃、Y子、M子と共に沖縄まで飛んでお会いしている。

とても遠慮がちな祖母さんで 「私は誰にも迷惑をかけなかった、かけなかったね?」と、繰り返しY子に言っていたのが印象に残っている。暗に、Y子の母親(祖母さんの娘)の事を言っていたのかもしれない。

Y子はとにかく一生懸命尽くす。尽くし方が少々独りよがりである部分は否めないが

Y子にとって尽くす事はY子の生き方である。怒りっぽいがスジを通して話せばきちんと伝わる。

実の娘や姉妹とは絶縁したが、一人息子と沖縄在住の叔母との関係は良好だ。

この息子さんが小学2~3年の頃、私が中目黒の小さな会社で事務員をしていた時

Y子が事務所に訪ねて来た事がある。珍しく思いつめた様子で「何があったの?」と訊いても暫くはぐらかしていたが そうそう時間がある訳ではない事を告げると話し出した。要するに息子さんの素行について担任の先生と激しく言い争ったと言う。

素行と云っても単に落ち着きがないとか、遅刻が多いとか宿題をやってこないとか。

だが、担任の先生はその上 息子さんの行動は母親であるあなたが水商売をしているからだと決めつける様に言い放ったらしい。半世紀以上も前の話だが、今考えても「教師不適任者」じゃないかと思う。この時代は、今現在の様になんちゃら手当てなんて何もないのだよ。Y子は、母親がたった一人で二人の子供を育てる為に、生活の為になりふり構わず奮闘している姿にいちゃもんつけないでよ!って言い返したらしい。

言い方はともかく、あっぱれだ!  それから私が散々その教師の悪口を言って溜飲が下がったY子は「頑張る」と言って帰って行った。

       ――― 文字通りY子は頑張ったよ ―――

爪の垢を煎じて飲む、、、、いや、飲みたくない   ―――へへ……――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

よた日記 @0074889

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る