第27話

2025年 1月 4日

新年明けましておめでとうございます。

今年もお付き合いのほどよろしくお願いいたします。


私の友人にとてもパワフルな女性がいる。文字通りパワフルである。

私も相当頑丈だが 彼女Y子は半端ない。同い年だがY子は青春している。

キャバクラ時代に知り合ったY子とM子。今だに親しく付き合っているので

幼馴染みと云ってもいい。(?)私たち三人に共通してるのは負けん気の強さだが

中で最もパワフルなのがY子である。

Y子と最後に会ったのは昨年12月16日だった。

八王子で待ち合わせて、Y子がたまに行く「シャーロックホームズ」と云う洋食屋さんで食事した。店内はレトロな造りで落ち着いた雰囲気。ランチの時間帯だったのでほぼ満席状態。


Y子は沖縄で生まれ育ち17歳で結婚、二人の子供を授かったが夫のグウタラぶりに業を煮やし、二年後乳飲み子を抱えたまま祖母の元へ駆け込み離婚にこぎつけた。

それから、長女が小学生になるタイミングで上京し、生活の為に昼夜働き続けた。

Y子がM子と知り合ったのは池袋のキャバレーだった。

そこで意気投合した二人は池袋から新宿、渋谷へと河岸を替えて私と知り合いに。

Y子と私は同い年の22歳、M子はまだ19歳だった。(20歳目前)

数か月後、M子は姉妹で新商売を始めるといって故郷の那須塩原にUターンし、Y子は諸々の事情で辞めていった。M子は数年後、地元農家の家に嫁いだ。三世代が同居する大所帯で大舅、姑、夫の両親を見送り、今では押しも押されもせぬ立派な家の要である。当主は夫だが実権を握っているのはM子であろう。


私も結婚の為キャバクラを退店し事務職に就いた。二年後長男が生まれ、その二年後男女の双子が生まれた。

今振り返ると、当時は頭がおかしくなる位の毎日で多分正常ではなかったと思う。

長男が10ヶ月くらいの時、私は長男を抱いて家出した事がある。

オジサン(夫)は安月給で日々の生活費もままならない状態なのに競馬をやめなかった。逼迫した現実を言う私に不貞腐れた態度で、無言で馬券を買いに行く始末である。ブチ切れた私は長男を抱いて、当時 明大前のアパートに住んでいたY子の処に駆け込んだ。長男を背負い、両手に当座必要な物を詰め込んだボストンバッグや紙袋を抱え、タクシーを手配して乗り込んだまではよかった。荷物を座席に載せて

身体を車内に入れた時目測を誤り長男の頭をドアの枠上部に当ててしまい、長男は

大泣き。ドライバーにも𠮟られて引き返すべきか救急病院に行くべきか迷っているうち長男が泣き止んで、目にいっぱい涙をためながらも眠り出したので そのままY子のアパートへ向かった。私は内心吐きそうなくらいの緊張状態である。

Y子の家に着いて暫くすると長男が激しく泣き出した。オムツを替えてミルクを飲ませても泣き止まず、私は、やはり救急病院に行くべきだったと云う罪悪感でオロオロするばかり。Y子に、ここへ来る前の状況を説明すると、Y子はすぐに救急病院に電話して子供の様子を伝えアドバイスを受けた。発熱しているか、ぶつけた部分が異常に腫れているか、ミルクを激しく吐き戻したか、朦朧としているか、等々……

どれも当てはまらないのなら、一晩様子を見て、それでも心配なら来院して下さい、との事だった。 幸い長男はその後落ち着いて Y子の子供二人があやすと機嫌よく

笑ったりしたので私は腰が抜ける程安堵したものである。


さて、2時間後 馬券を買って戻ってきたオジサンは……

収まった後で聞いたのだが、私と子供がいないのは買い物にでも行ったのだろうと考えテレビで競馬中継を観ていたが、夜になっても帰らない私たちを慌てて探し

出す。行きそうな所など見当もつかないオジサンは先ず、唯一電話番号を知っているM子に電話してY子の番号を教えてもらう。Y子に電話があったのは夜の10時過ぎである。その間近所のスーパーマーケットや商店街などを探した。当時、私は近所に親しい友人はいなかったからだ。実家に相談した後 やっとY子に電話すると云うドンクサさ。こっちはM子からとっくに情報が入っていたのに。

翌日帰る事にしたのは やはり、長男が心配だったのと、その夜、Y子のスポンサー(或いは恋人?)が突然来て泊っていったからである。私は当然肩身が狭い。

そして、子供たちのピリピリした空気が伝わってきて居たたまれない気持ちでスヤスヤ眠ってくれる長男を抱いて一晩過ごした。

翌日(日曜日)家に戻ると心配した義父が来ていた。

オジサンは私と父親の前で詫びを入れた事で一応一件落着となったが競馬をやめた訳ではない。以前よりナンボカマシな程度。 それからン十年の今現在、完全に小遣いの範囲内。当然中の当然だ。

この騒動で義母が言い放ったとされる暴言は「なんじゃそりゃ?」ってカンジだが、

この義母と同居していた長男夫婦、特に嫁さんの苦労は計り知れない。

だから今でも私は、倒産騒ぎの際、色々あったがこの嫁さんを憎めないでいる。


「生活が苦しい?そんなの知ったこっちゃない!だから反対したでしょ!あんな所持金も何もない下層な女とくっつくからだ!!別れた方がいい!息子はもっといい家の娘と結婚できるんだからいいじゃない!」

   ―――  義母録のひとつである  ―――


その後会社が倒産し、義母は30年近く私たち夫婦の資金援助を受けながら

2023年4月、意識あるうちは最後まで、私に感謝しながら千の風の仲間入りを

した。         合掌






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る