第10話            遠之 えみ作

1990年 1月頃

私は短期のバイトとして渋谷の百貨店で働いていた時期がある。

元々は前年の11月にお歳暮用員として、12月中旬までの短期で雇われたのだが、

お歳暮が終わった後、マネージャーからの強い要望に屈し(文字通り負けた) 当時、「東横のれん街」と云う名称の一角「和菓子」部門をたった一人で任される事になった。

ここで、実に様々な人たちと巡り会えたのだが、中でも本当に絶句するオネエサン(オバサンかもしれない)がいたので紹介したい。

この人はいつも全身緑色の服を着ていたので「ミドリ」と呼ばれていた。

ミドリはこの辺りでは有名な女浮浪者だった。浮浪者事態は珍しくないのだが、私が驚いたのはミドリが売春をしていたと云う事実である。

ミドリにとって、売春は生きていく上で必要不可欠な手段だったかもしれないが

では、誰が買うのか?と云う疑問が残る。古参のマネキンの話だと どうやら相手は

浮浪者仲間の男らしいと云う事だった。

衣食住足りてなくてもソッチは別?私は全身が痒くなった。

ミドリは毎日館内をウロついていたから 私とも顔見知りになり大きな口を開けて笑いかけてくる事もあった。歯が殆どないからパッカンと開いた口の中は宇宙だ。

ミドリの身に何があってこんな生き方をしているのか、プロセスに興味はあったが、近づきたくない相手である。なので、私も周りの従業員同様 努めて目を合わさず無視をきめていた。

ある日、朝9時頃 出勤のため東横線の階段を一歩下りた時、混雑した階段下、右側にミドリの姿を発見した私は幸い左側だったので安心していたが、ミドリが私の下りている方向に移動してきて、私に向かって何か言っている。一歩づつ下りていく私に、歯のない大きな口から白い息と共に発せられたのは「バ――――カ‼」

一瞬、私は凍り付いて足が止まった。

すぐ後ろを歩いていた人が舌打ちして除けて行く。ミドリはニヤけた顔で 突っ立っている私を度々振り返りながら雑踏の中に消えていった。

私は、「今 ナニが起きた?」感で一杯になり暫く動くことが出来なかった。

ミドリはそれからも何食わぬ顔で 相変わらず館内を徘徊していたが、私は視線を送ってくるミドリに対して、逃げず、視線をずらさず真っ直ぐ見返す様になった。

私は元々目力が強い。据わった目で睨まれたミドリは 以後、私とは距離をとる様になっていった。


この店には毎週土曜日になると、肩にラジカセを担いだ「タイガーマスク」が現れて注目を集めていた。タイガーマスクの主題歌を大音量でまき散らすので、客の中には迷惑行為と怒る人もいたが、私にとっては素敵なショータイムだったので、あっという間に通り過ぎていくのが残念だった。

私は3月いっぱいこの店に勤めたが体調を崩して辞める事になった。

やはり、あまりモノ覚えのよろしくない私にとって、たった一人で和菓子部門を回すのは無理があったのだ。

当時、私は子宮内膜症と云う病に冒されていたが、医師から、手術、入院、復活まで早くて3ヶ月はかかる事を伝えられ、手術に踏み切れないでいた。

当時、小学一年生だった二番目の子が、せめて四年生になるまで薬で乗り切ろうと決心していたので、手術を勧める医師と相談しながら、「スプレキュア」と云うホルモン剤を5年近く続けた。「スプレキュア」は妊娠した状態にさせるホルモン剤なので投与する事によって生理が止まる。生理が止まると云う事は出血がないので激痛もない。だが、確実に生理の一週間前に投与しなければ効果がない。私の場合、生理が確実に30日後に来るとは限らなかったので失敗もあった。外れると地獄の苦しみが待っている。

居ても立っても座っても横になっても耐え難い激痛が襲って 痛み止めも殆ど効かない。これが2~3日続く。

下の子が四年生になって、晴れて手術に臨んだ私だが順調に回復し、医師が言った通り3ヶ月ほどで通常の生活に戻る事が出来た。

のちに、こんなに楽になるなら割り切って早く手術するべきだった、と思った私である。     へへ……


店は3月でやめたのだが、もう一つ 忘れ難い映像が目に焼き付いている。

当時、東口と呼ばれていた通路で 全身白尽くめの衣装を纏った団体のパフォーマンスを見た時の衝撃たるや‼ 小型トラックの上で選挙運動をしていたようだが、演説をしている候補者の周りで踊っていた若い女の子を見て、誰かが言った「宗教は麻薬」と云うフレーズがストンと腹の底に落ちた瞬間だった。

この宗教団体から政治家を輩出しようと目論んだようだが、候補者全員落選している。その後、様々な事件を起こし 「グル」と呼ばれていた代表は死刑が執行された。


それから数十年後、2021年元旦。

私は、一度60歳で退職した老舗の和菓子店にチャッカリ復帰していた。復帰したのはこれより8年前になる。当時の店長に賃金を上げてくれたら戻りたい気持ちを話したら、人手不足に悩んでいた店長が上司に掛け合って復帰が叶った。賃金は満額回答ではなかったが納得の範囲内である。

売り場は郊外の百貨店の中にあり、普段は閑散としている様な魅力のない百貨店だったが、それでもイベント時はそこそこの忙しさで楽しかった。

コロナ中にもかかわらず、福袋目当ての客や着飾った若いお嬢さんを目の保養に忙しく立ち回っていた時、通路を挟んだ対面の和菓子店の角で ずっと私に視線を送ってきていた女性がいた。接客をしながら通路側に出る事も多く それで気付いたのである。

どこかで見た顔だが思い出せない。女性はタイミングを計って私の方に近寄って来るのだが、こう云う時に限って客が途切れる事はなく、凡そ30分経った頃、やっと一息入れられたのだが女性の姿は消えていた。


女性の正体を思い出したのは2~3日後の事である。

数十年前、渋谷の百貨店でお世話になった仕事上の先輩だった。

秋田美人で仕事ができて怖い人だった。今ならパワハラで問題になる様な事をズケズケ言うので売り場の後輩からとても恐れられていた。嫌われていたと言った方がいいか。私も散々な言われ方をされている。

「稼ぎのない男と結婚して、子供を産んで、今こうして生活の為に働いて、一体何のために生きているのか、何が楽しくて生きているのか」と。物凄い失礼な言い方だが、私は、彼女の言い分にも一理あると受け止めていたので さほど腹は立たなかった。それに、彼女がこんな意地悪を言うのは訳がある事も知っていたから。

高卒後この会社に就職した彼女が、数年後上司と道ならぬドロ沼に突き進んだ挙句あっけなく捨てられた、と云う噂はあまりにも有名だった。若い後輩ばかりではない、会社も30歳を過ぎた彼女をハレ者扱いしていたのである。

私とは親しくなり、家に遊びに行きたいとまで言っていたが、その矢先、私が体調を崩し辞めてしまったので叶わなかったが、のちに、制服を返却しに店を訪れたのだが、生憎 彼女は休みで会う事が出来なかった。

そこで、若い子たちの話だと 彼女が、私が倒れたのは全て私一人に丸投げしてこき使ったからだと上司に食って掛かったと聞いた時は嬉しかった。

あれからどうしていたのだろう。

もっと早く気付いていたら、と思うと残念でならない。

もっと残念なのは、彼女の姿がその一度きりだった事だが……

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