第9話            遠之 えみ作

私がまだ40代後半に、マネキン(派遣)として働いていた横浜の百貨店、食品売り場での話し。

2002年お中元商戦真っ盛りの頃である。

毎日、ビール券を買いに来る夫婦がいた。女の方はいつも生まれて数ヶ月程の赤ん坊を背負っていた。必ず領収書を請求し、宛名も上様ではなく「○○塗装」だったので、夫婦で自営業かと思っていた。毎日 夕方になると現れるのだが 大抵は一ダースを2軒分位の小口だったので、私を含め7~8人いた従業員全員、疑う者は皆無だった。

ところが、お中元の期間が終わった頃、管轄の警察署員が事情聴取に訪れて真相を知る事になった。

この二人組、拾ったカードを使っていたらしい。そう言われてみれば いつも落ち着きがなく、二人一緒にカウンターに立つ事はなかった。必ずどちらかが離れたところで待っていた。見張っていたのかもしれない。

しかし、落とした方も長い間全く気付かず、クレジット会社からの請求書で初めて気付いたと云うから、落とした方にも責任があると言わざるを得ない。

私は二人の顔を、取り分け女のアル特徴をハッキリ覚えていたから、10年以上も後に偶然出会った時は固まる程驚いた。

私は55歳でマネキンを辞めた後、職場を転々としたが57歳の時、郊外の百貨店に一応パートとして落ち着いた。百貨店内で和菓子を扱う老舗である。だが、60歳定年だったので この職場も去る事に。

辞める必要はなく、本人が希望すれば在籍できた会社だったが、60歳を過ぎたパート時給が極端に低かった。最低賃金が制定される前の話であるから会社の意向だ。

当時の店長が 「どこに行っても同じ様なものだから、慣れている職場に居た方がいい」と引き留めてくれたが、到底納得できない私はスッパリ辞めた。タイムイズマネーではないが、対価は年齢でラインを引かずきちんと評価して払うべきである。

好きな職場だったが仕方ない。それからは又しばらくパート放浪が続く。


ある沿線の駅ナカにあるスーパーマーケットのレジ係として雇ってもらう事になった

が、これまでとは違う仕事と雰囲気の中でモタモタしていた時 件のビール券女と出くわした。年齢を重ねた女の顔は パッと見は判別できなかったが、女の左耳の下から鎖骨にかけてのミミズ腫れで古い記憶のピースがはまった。

私は非常に驚いたが、女が私を覚えている訳はなく 清算を済ませサッサと通り過ぎていったが、女を目で追っていた私はこの時、カート下のカゴに未精算の米袋がのっている事に気付いた。慌てて呼び止めようとしたが、次の客が度々問題行動をとる障害者であったのが最悪だ。見た目はどんよりした大柄の男で身体障害者ではない。

私は女がサッカー台にいる間に、なんとかこのモンダイジの清算を終わらせたかったが、モンダイジは私が小計ボタンを押したタイミングで、これはいらない、あれもいらないと返品しては又覆してくる。ほぼ毎日このスーパーに現れては 私の様に入店したての不慣れなレジ係の台に並んでは難癖をつけてくる。

ちょっとでも逆らおうものなら奇声を発しボコボコに攻め立ててくる。これが原因で3日で辞めていった学生もいた。

妙にカンのいい男で、私がサッカー台の方に目配りしているのが 気に障ったらしく

「もっとマジメにやれよ!」と奇声に近い声ををあげた。 ひと言でも返したら大変な事になるので、私はひたすら「申し訳ありません」と頭を下げ続け やっと解放された時には当然女の姿は消えていた。

それにしても……直らないのね。大きなお世話だが、いい加減直さないとヒドイ目にあうよ、と、あの女に言ってやりたかった。


このスーパーには専門の清掃員が週一しか来ないと云う理由で、客用のトイレ清掃をパート従業員(女性だけ)にやらせていた。客用の、と云っても この駅はJRと私鉄が連絡していて、スーパーの入口にあるトイレはスーパーの客と云うより 電車の乗降客がメインである。

とにかくキタナイ、クサイ。特に男子トイレは惨たらしい。掃除当番の時はポリエプロンとマスク、手袋を二重にして臨んだが、毎回気分が悪くなり 結局、これが理由で3ヶ月で退散した。

このスーパーに雇われる際研修があって、その時指導員の高飛車なオネイサンが言った詭弁は今も頭の隅に残っている。お客様が使用する施設なのだから(トイレの事)常に綺麗に保つのは当たり前です。と。でも、どう見ても客用じゃないよね?プロの清掃員を雇うのがスジって思うけど?如何でしょうか?洗脳オネイサン&渋谷再開発に血眼になっている会社の皆様。


その私が今、週一、4時間だけの清掃員をしているのだから世の中解らないものである。

長く接客業に従事していた私は、黙々とできる仕事を探していたが、何の技術も持たない、当時72歳のシルバーを雇ってくれる所は極極限られている。

私は、工場内のピッキングを希望していたが、そういった会社は殆どが求職者と会社の間に労働者派遣の会社が入っている。私はパート放浪中二回利用した事がある。

派遣の窓口だからこちらの希望通りにはいかない事も多々あり、かなり遠くへ派遣される場合もある。勿論、請け合うか否かは自由だが これで生計を立てている者にとっては そうそう選んでもいられない現実がある。

だが、毎日違った職場だからこそ 拘束関係がなく いいと言う者もいるから これだけ派遣会社が発展したのだろう。私には向いていなかった。

当然、私は直に契約できる仕事を探し、72歳でも雇ってくれると云う会社に巡り会えた。主にビルや複合施設を清掃、管理する会社で、私が希望したのは自宅から一時間ほど、電車を二回乗り継いだ所にあるスーパーマーケットだった。担当するのは一階の売場フロアと客用トイレの巡回清掃。有難い事に面接官は、週一、4時間が限度のこちらの条件を吞んでくれた。

昔のスーパーでの恐ろしいトイレ清掃を忘れた訳ではないが、こちらは正真正銘来客用のトイレである。私も成長した。普段やっている家事の延長と思えばいいと切り替える事ができた。

最初、私に仕事の手順を教えて下さったのは83歳の方で、しかもWワークと云う強者(つわもの)だった。シャキーンとしている。ただただ圧倒された。最早、異次元の人です。

恐々始めた仕事だったが 私はキレイ好きだから(個人の見解)この仕事は存外合っていたのかもしれないと思う今日この頃である。

でも、―――男子トイレはやっぱり苦手―――    へへ……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る