第8話

司(つかさ)と云う源氏名のホステスがいた。

偶然 私が住んでいたボロアパートに越してきたのだが、顔が司にそっくりなチワワを飼っていた。同棲相手の男とは、私が働いているキャバクラに流れて来る前に知りあったらしい。当時、渋谷には数軒のキャバクラがあって、新宿、池袋と並ぶ夜の街だった。司の同棲相手は通称「ヒデ」と云うお公家顔の小柄な男だった。

司がこちらのキャバクラに流れて来る前の店でいい仲になりパージされたらしい。

司はお世辞にも器量良しとは言えないご面相だったが、人たらしと云う強烈な武器を持っていた。私の事を「チビ」「ブス」「イモ」呼ばわりしていたテーブルにも いつの間にか指名がかかる様になっていたからオドロク。

ヒデはキャバクラを追われた後、渋谷の代官山方面で深夜営業していたサパークラブに雇ってもらったのだが、司は、アフターにヒデの実績を上げる為この店を積極的に利用していた。いつの間にか私もすっかり丸め込まれて、週に2~3度付き合う様になっていたのだが、2ヶ月程して、私は「何かヘン」な感覚に囚われ始めた。

お会計の伝票が3回に1回程度、私に回ってくるのだ。

キャバクラの客をアフターに誘っているのは司である。しかも、殆どが司だけを指名する客たちだ。私は強引に誘って来る司に拝み倒されて付き合っているだけだったのに。

司は詐欺師の様に口が上手い。その都度色んな言い訳をでっち上げては手を合わせてくるのだ。血巡りのよくない私は、首を傾げながらも司に言われるまま、3度に1度は財布を開けなければならなくなっていた。

その事を、親しくしていた美奈と嵯峨に打ち明けると、美奈は呆れたと云う顔で私に言った。 「バカじゃないの!?なんで、こっちが払うの?もう、付き合っちゃダメだよ‼」 嵯峨もその通りだと頷いている。私は遅まきながら二人に諭れた事を実行した。喧嘩はしたくなかったので 「体調が悪い」「お金がない、美奈に貸したばかりだから(ウソ)」「今日は予定がある」 等々、様々な理由をこねては徐々に遠ざかっていった。

そんな事が続いていくうち 司の私に対する態度はあからさまにぞんざいになっていった。

ある日、2~3度アフターに付き合った事がある会社員の、グループのテーブルに呼ばれた。司の客で 皆、まだ20~30代の若いメンバーで金がない連中だ。

なければ、それなりの店で遊べばいいのにと思うが、若い分血の気が多いというか…

指名もかけずに私を呼んだ男たちは 私が席に着くなりデイスり出した。私は時々 気分転換に金髪のウイッグを使用していたのだがこの日がそうだった。

「なんでパッキン?(金髪)似合ってねえし」だの、「最近付き合い悪いよなあ、司が落ち込んでるぞ」とか、「アッチの商売が忙しいってか?」挙句の果てに、「今日付き合えよ、許してやるから」と、言いたい放題だ。バカな男たちに何を吹き込んだのか知らないが、私は腹の中が煮えたぎった。 許してやる?ダレが?ダレに対して?お前らに言われるスジ合いはないよ!と、私は吐き出したい悪態をグッと吞み込んで立ち上がった。入れ替わりに司が席に戻ってきたが、私をわざとらしく無視すると、今しがた、私をコケにした男たちに抱えられる様に席の中央へ入っていった。

    ―――水をぶっかけてやりたかったが―――


事件が起きたのは それから間もなくのことである。

真夜中、凄い物音で私は目を覚ました。ドアを開けると隣りの住人たちも この騒ぎに顔を出していた。怒声と泣き声に混じって犬のけたたましい吠え声が司の部屋から聞こえてくる。喧嘩をしているのは明らかだが、普段、温厚で大きな声を出しているのを聞いた事がないヒデが「出ていけ‼」「死んじまえ‼」と怒鳴っている。このアパートの1階は理髪店とレコード店が並んで営業しているが、2階に理髪店の住み込み従業員が4名 二間を借りて住んでいた。初めて見たが従業員は全員若い男性だ。私の隣りの部屋の住人は50歳過ぎの女性で、私とは滅多に顔を合わす事はないが、一度、ステレオの音がうるさいと注意された事があるので顔は知っていた。

皆、一様に困惑の表情だったが、理髪店の、多分、年嵩の子だったのだろう。

司の部屋をノックしたら 一瞬しんとなるのだが返事はなく暫くすると又、怒鳴り合いが始まる。

何度かノックしているうち、突然、鍵がかかっていなかったのだろう、薄っぺらいドアを押し破って30センチ四方のテレビが飛んできた。

「ナニしてんねや―――‼」と、床屋の一人が怒鳴りながら司の部屋に入っていったが、すぐに、血相を変えて出て来た。「オイ‼救急車だ!下に下りてみろ‼」

男たちがワッと騒ぎ出し、部屋に戻って電話する者、階段をドカドカ下りて行く者。

私と隣人は顔を見合わせながら恐る恐る司の部屋へ入っていった。

部屋は二間あり、司が奥の部屋でチワワを抱いてうずくまっていた。

キッチンのある部屋の窓が開いていて、下を覗いてみると男たちが大騒ぎしているその中央に、ヒデが大の字になって倒れていた。

ヒデは飛び降りた時、幸い完全に収納されていなかったレコード店の庇がクッションとなり右足を骨折しただけで済んだ。

騒ぎを起こした司は大家から退去を迫られ、程なく引っ越していった。店にも、いつの間にか来なくなりそれっきりである。


喧嘩の原因は何か。何故ヒデが飛び降りたのか。

ヒデの親友に 元ロックバンドのギタリストで「ジュン」と云う名の男がいる。

ヒデとジュンは同じキャバクラで働いていた仲間である。

ヒデはボーイ長、ジュンはキャバクラお抱えのバンドマンの一人だった。

ジュンの方が先に店のホステスと恋仲になり 店を追われているが、そのすぐ後にヒデも司といい仲になりパージされている。

ジュンはその時すでに身重だった恋人の為に、水商売をやめて運送会社に就職した。司が私の隣に引っ越して来た当初、何度か顔を合わしていたし、そのうち麻雀で遊ぶ様になっていた仲である。

ジュンの家族とも親しくなり、何度か家にもお邪魔した事がある。

私の引っ越しの時は、ジュンがトラックを手配して手伝ってくれたが、ジュンは東京の世田谷区太子堂あたり、私は横浜市港北区と距離がある。そしてお互い忙しい身である。ついつい疎遠になり、そのうち音信不通に…まあ、よくある話である。

そのジュンから聞いた話によると、司にはヒデといい仲になる前から、どうしても別れられない男がいて、貢いでいたとか。貢いでいたと云う事は一方通行だったのだろう。

金に汚かったのはそのせいか?私だけではなく、どうやらヒデが苦労して積み立てていた貯金まで手を付けたのが喧嘩の原因だが、「出ていけ!」出て行かないなら俺が出ていくと云う事になったが、廊下にはアパートの住人たちが集まっていて出ずらい。それならいっそ、と云う訳だが……

当時、司は28歳、ヒデは23歳。 なんだかなあ……


司の悪どさはこうだ。

アフターに誘った客からはちゃんと会計をもらっていたのに、陰で、私に様々な口実を操り金を出させていたのだ。つまり二重取り。

勿論、私から巻き上げた金は司の懐に入る。太い女だ。





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