第6話            遠之 えみ作

私は結婚する半年前までキャバクラで働いていた。

学校の方は自然消滅である。複雑な感情が脳の片隅に残ったが、才能がない事を理由に 結婚に突き進む事で空虚に近い気持ちを抑え込んだ。


Kの事件後、私はサパークラブに居づらくなり 引き留めてくれた深田さんに感謝しつつも責任を取る意味で辞めた。

この頃から、店の雰囲気が変わっていった事を思い出す。

先ず、ほぼサラリーマン一辺倒だった客層に学生のグループが多く見受けられる様になり、出入りの多い業界ではあるが、ゲイボーイがかなりの数紛れ込む様になっていた。その中に、テレビの深夜番組で評判になった「11P○○」に出演した事もある

チャコと云う源氏名のホステスがいた。

チャコは当然の様に女子トイレに入って来る。チャコが入れるなら私も、我もと云う訳で、トイレの中がゲイボーイで溢れかえる。当然嫌がるホステスがいる。隣に立つゲイボーイに鏡越しに侮蔑の視線を投げかけるホステスが多い中、私は結構面白がって受け入れていたから、チャコとも仲良くなりメイクの仕方などを教えてもらったりしていた。

チャコは、やはりゲイボーイだった徳川の美貌には遠く及ばないが、当時登録していたゲイボーイの中では群を抜いて綺麗だった。

身長175センチでピンヒールを履くから180センチは越えていたろう。

店内を颯爽と歩く姿は否が応にも目立った。これが又、古株のホステスと仲間うちの不興を買う事に。中には洗脳された客がホステスに煽られる者も。客席の間を歩いているチャコの足を引っ掛け転ばせるタチの悪いクソ女とバカ男が多く、店側も対応に乗り出し その都度火種を拾っていたが、ゲイボーイの中にもチャコへの嫉妬で加勢する者も現れ、一時期店の雰囲気は大荒れに荒れた。

そのせいかどうかは解らないが、チャコは早々に店を替えそれっきりだ。


私とそこそこ仲の良かった嵯峨と云う源氏名のホステスがいた。瘦せぎすだが涼しげな眼をした美人である。当時 嵯峨は三軒茶屋のアパートで駒沢大学4年生の男と同棲していた。嵯峨は山口出身である。男とは駒大2年の時、高校時代の先輩に連れられて来たのが最初で、同郷と云う事で意気投合し、男が嵯峨のアパートに転がり込むと云う典型的なパターンである。

私はこの男が嫌いだった。学費こそは実家からの仕送りだが、その他の生活費、遊興費は全て嵯峨が面倒見ていたのを良い事に、アルバイトを辞めて後輩を引き連れあちこち遊び廻ると云うトンデモ野郎に見えたからである。

嵯峨は私に よく借金を申し込んできた。その都度きちんと返してくれていたが、背を丸めて頭を下げる姿が気の毒だった。


やがて男は中堅の銀行に就職が決まったが、配属先が山口と云う皮肉はカミの悪戯としか思えない。私は、男と手を切るいいチャンスくらいに思っていたが、嵯峨にとっては複雑な心境だったろうと思う。

嵯峨は男より6歳年上で、2年前、山口に夫と子供2人を捨て置き東京に逃げてきた。逃げた理由は、とうとう教えてもらえなかったが、嵯峨には嵯峨の言い分があったのだろう。

そういう訳で山口は迂闊に戻ることはできない。東京よりもっと近くの広島に転居する事も考えた様だが、男から「今は大事な時だから」などと、私に言わせればふざけた言い分をアッサリ飲まされた、と言った方が正解だろう。

嵯峨はその後、他店に引き抜かれ店を替えた事で 徐々に疎遠になっていった。


男が 三年後に地元の同僚と結婚式を挙げたと聞いたのは 嵯峨ではなく、男を最初に店に連れて来た高校の先輩である。先輩は田中と云う。山口では、何本目かの指に数えられる資産家の御曹司だった。私が結婚してからも、たまに連絡をくれていたので男の情報が知れたのだ。田中は政治が好きで、学生時代から地元の政治家の鞄持ちをしていた。大学卒業後は、ある政治家に付き地元と東京の事務所を往復する生活だったので、月に二度ほど来店しては私と嵯峨を指名してくれた。嵯峨が店替えをした後も上京した時は立ち寄ってくれていた。

私は滅多に客とアフターを共にしないが、ある日、面白いスナックがあるからと云う田中に唆されて付き合った。

と、云うのも、スナックは三宿の246沿いにあったから。私は池尻だから歩いて行ける距離だったのも気乗りした一つの理由である。二つ目の理由は、面白いスナック、名物ママと云う触れ込みだ。

私は面白いが大好きだから渋谷の東横演芸場にはよく通った。落語を好きになったのもこの頃である。


スナックは、「スナックしげる」 ママの名前がしげるだから「スナックしげる」と云う訳だ。

ママと云うよりマスターだが、誰一人マスターと呼ぶ者はいなかった。

連れられて行ってみると10人入れば満席の、カウンターだけの小さな店で、ママは小柄で40歳くらい。田中がドアを開けるとすかさず「いらっしゃあ―――い‼」と、低音の掠れた声が出迎えたが、私が入って行くと店内が一瞬シーンとなった。

しげるママの目が点になっている。

学生らしき客が三人カウンターのスミっこで ご飯を食べていたが、箸を止めて珍客(私)を眺めている。ママは明らかに動揺していて、おしぼりより先に突き出しを並べる始末だ。緊張した雰囲気の中、田中が私を紹介して酒を飲むうち 徐々に落ち着きを取り戻したママが、髭剃りあとが青々しい顎を田中に近付けてナンタラカンタラ私の事を探っていた。

後で田中に訊いてみると、「スナックしげる」に女の客が来たのは初めてだから単純に驚いたのだと言う。 と、云うのも、ママは本当のところマスターだから、そのスジ好みの客しか来ないと云う。しかし、学生は別扱いで、田中も「お坊ちゃま」とは云え、中央大学在学中は随分助けて貰ったらしい。カウンターのスミっこで ご飯を食べていた3人も ママのお節介で食べさせてもらっていたらしい。「スナックしげる」は、そのスジの店だが学生にとっては有難い存在だったのである。


私はしげるママが大好きになって、キャバクラをはねた後、一人で行くようになっていた。しげるママは話術も巧だが、料理が上手で歌も上手い。

「スナックしげる」に通う客は、殆どがママの卓越した面白トークが目当てだから

店はいつも笑い声で満たされていた。

そんなある日

私がいつも通り「スナックしげる」のドアに手をかけようとした時、いきなり転げ出て来た男がいた。その姿を見て私は咄嗟に近くの電柱の陰に隠れた。

男は素早く体勢を立て直すとスナックの裏口に向かったが、そこにはしげるママが筋肉モリモリの腕を組んで仁王立ちしていた。

店は珍しく客がなかったらしく誰一人出てこない。

裏口から往来に出て来た二人の一騎討ちとなったが、終始ママの方が優勢である。

私は電柱の陰で、小柄なママが大柄な男を投げ飛ばす姿を見て、二人の間に何があったのか?は、さておきスカッとした。

しかし、この後が悪い。

うずくまったままの男にしげるママが怒鳴った。 「今日だけは見逃してやる‼二度とツラ見せるな‼」

その声は「本当にしげるママなのか?」と、疑う程ドスのきいた声だった。

更にママは、力なく立ち上がり歩き出した男の背中にターンキックを喰らわす。

男は再び地面につんのめったが、抵抗する事なくノロノロと立ち上がり、ママの罵詈雑言を浴びながら渋谷方面へ去っていった。

直後に学生二人が三茶方面から現れると、ママは何事もなかった様に いつもの低い掠れた声と笑顔で迎え賑やかに店の中へ入っていった。

私は、ナニか得体の知れないモノを垣間見た気分になり、この日は「スナックしげる」のドアを開ける事が出来ず そのままUターンした。


その後暫くは「スナックしげる」から遠ざかっていた私だが、やはりママに会いたくて以前のように通う様になっていた。

私がしげるママと最後に会ったのは、結婚の為 引っ越す直前の事である。

私は、何かお祝いを、と言うしげるママに「夜の銀狐」と云う歌をリクエストした。

ママの十八番(おはこ)である。ママのハスキーな低音がこの切ない唄にはぴったりだった。

そして、私にとっては二度と会う事はないサヨナラの別れ唄である。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る