復讐は宣言された

 エスフィヴ様のご葬儀は、領地の中で最も壮麗な聖堂で執り行われた。その日は横風のひどい大雨だった。シルを含め執事たちは、馬車を降りる来賓に傘を差しかけ、自分はずぶ濡れになりながら客人たちを聖堂内へとエスコートした。濡れ鼠のまま聖堂の外に直立して待つ。偉大な領主の魂が無事に送られるよう、横殴りの雨の中、祈った。

 シルは密かに気落ちしていた。自分には聖堂の中の役目を与えていただけるのでは、という淡い期待が裏切られたのだ。シルはリュヤージュの遊び相手ということもあり、エスフィヴ様とは近しい使用人だった。最後に一度、旦那様のお顔を拝見したかった。

 やはりリュヤージュ様は、自分を一介の使用人として徹底的にご自身から切り離すおつもりなのだ。兄弟のような仲であったことも過去の出来事として、シルを特別扱いしないということなのだろう。

 なぜ、身分が違うのだろう。なぜ身分というものがあるのだろう。なぜリュヤージュ様は、嫡男だからという理由で重い責任を負わねばならないのだろう。なぜ自分は、リュヤージュ様の悲しみを受け止められる「友人」として、リュヤージュ様のお心のそばにいられないのだろう。

 シルが屋敷の外に出るのは久しぶりだった。顔馴染みのない人々が行き交い、その中には、シルの容姿をまじまじとめ付ける者もいた。シルの心臓の傷がじゅくじゅくと膿んだ。目を上げ、塀と森に囲まれていない開けた景色を眺めた。暴風雨で外の世界は暗い色彩に沈んでいた。頬に当たると痛いほどの大粒の雨だった。

 エスフィヴ様をお送りする日が、こんな暗い日であっていいわけがないのに。


 聖堂の中からどよめきが漏れた。直立を厳命された執事たちも、思わず顔を見合わせた。

「リュヤージュ様が何かおっしゃったんだ」

「聞こえたか?」

「いや、聞き取れなかったがリュヤージュ様の声だった」

「喧嘩か?」

「貴族のみなさまだぞ? 葬儀で喧嘩なわけがないだろう」

 ざわついた聖堂は徐々に静まっていった。執事たちもまた直立姿勢に戻り、エスフィヴ様の棺を待った。


 噂はすぐに屋敷を巡った。聖堂内にいた使用人の証言を総合すると、このような出来事が浮かび上がった。

 それは、葬儀も後半に差し掛かり、リュヤージュ様が当主挨拶を述べていたときのことであった。

「父、エスフィヴの馬車から細工が発見された。父の死は暗殺である」

 リュヤージュ様は、決然とした顔つきでそうおっしゃったそうだ。聖堂内の参列者がざわついたのは、その瞬間だった。

「父の死に関与した者たちには、カシシーヴ家の名をかけ、報いを受けてもらう」

 さらに声を張り上げ、リュヤージュ様は宣言なさった。そう。これは復讐の宣言であった。


 執事長・ネイズは書き物の手を止め、眼鏡を外して目頭を揉んだ。

 リュヤージュ様の宣言は予想外であった。屋敷の中を有象無象の噂と憶測が駆け巡っている。カシシーヴ家当主としての使命感が事態をよくない方向に動かし始めていると、進言申し上げるべきだろう。

 まだ19歳でおられるのだ。自分が19歳の頃は何も知らない若造であったと、老執事長はため息を漏らす。父の死にショックを受けたまま当主としての役割を果たすのは、どんな人間にも難しいことであると思う。しかし、貴族の嫡男として果たさなければならない役回りなのだ。

 馬車への細工に気づいたのは、大怪我を負いながらも生き延びた御者だった。彼の証言に従って馬車を検分したのは副御者と自分、そしてリュヤージュ様の3人。ひとまずは御者を含め4人の間の秘密になさるようにと申し上げたのだが……。

 リュヤージュ様のお考えも理解はできる。それが悩ましく、ネイズはまた目頭を揉んだ。暗殺となれば黒幕は分かりきっている。リュヤージュ様にも、屋敷の者たちにも、そして王国の貴族たちにも。

 ここで牽制の一手を打つことで、カシシーヴ家の名誉を守る。それがリュヤージュ様のご判断なのだ。お若いからこそのご英断かもしれない。自分のような老いぼれが案ずるよりも鮮やかに、事態を切り拓いていかれるかもしれない。

 このたびの宣言がカシシーヴ家の繁栄に影を落とすことにならぬよう、老いぼれなりに手を回しておくことだ。ネイズはろうそくの火に目をしばたたかせ、インクにペン先を浸した。


 カシシーヴ家は、長くシグリニーフ家と領地を巡り争ってきた。

 サナウ地方はカシシーヴ領有数の穀倉地帯である。開拓民の懸命な努力の結果、現在では穏やかな気候で天災の少ない農業地域として領地の食を支えている。もちろんその開拓を支援したのはカシシーヴ家であった。

 しかし度重なる政略結婚により貴族の系譜は混乱していく。カシシーヴ家と領地を接するシグリニーフ家は、血縁関係を口実に、数世代に渡ってサナウ地方の統治権を主張してきた。

 現在のシグリニーフ家当主、バラトゥ・シグリニーフ伯爵はさらに要求を追加した。カシシーヴ領の鉄鉱石だ。

 質のいい鉄鉱石はカシシーヴ領の特産品に数えられる。しかし歴代のカシシーヴ家当主は、鉄鉱石の年間産出量に制限を設けていた。

 一つには、かつての当主が坑夫たちの過酷な労働に心を痛めたこと。もう一つには、特産品の市場価値の暴落を防ぐこと。そして最後に、武器の原料となる鉄が国内に大量に出回る事態を阻止すること。

 この産出量制限を反故にせよ。もしくはシグリニーフ家に優先的に供給せよ。それがバラトゥ・シグリニーフ伯爵の要求であった。

 今は亡きエスフィヴ・カシシーヴ伯爵は、忍耐強く、時に巧妙に、バラトゥ・シグリニーフ伯爵の要求をかわしてきた。しかし対立は、王国の貴族であれば誰の目にも明白であった。


 そう、黒幕は明白なのだ。

 そして下手人は、屋敷の中にいる。


 ネイズは老いた目の疲労を無視し切れなくなり、ペンを置いた。

 シルはどうしているだろう。執事の中でも、あの青年が最もリュヤージュ様と親しく過ごしてきた。さぞショックを受けていることだろう。いつものあの部屋にいるだろうか。あの子は落ち込んだとき、無心にカトラリーを磨くことを好む。

 ネイズはシルのこととなると、どうしても声をかけてやりたくなる。ネイズはシルの両親もよく知っていた。かつてこの家に仕えた二人は、流行り病で相次いで死んだ。そのときシルは15歳だった。

 大きな屋敷だ。不幸な生い立ちの使用人はいくらでもいる。それでもこの青年を気にかけてしまうのは、やはり小鳥のように楽しげな幼年の姿を知っているから。そして、この屋敷での経験が青年を決定的に傷つけ、人格を捻じ曲げたと確信できてしまうから。


 銀食器が仕舞われた部屋には、思った通り先客がいた。シルはリュヤージュの唐突な復讐宣言に狼狽した表情を浮かべていた。この子には慰めが必要だ。

「あれは、この家を守るためのお考えなのだよ」


 ——リュヤージュ様は本心から復讐を望んではおられない。貴族社会で立ち回るために発したお言葉なのだ。リュヤージュ様にはしっかりとお考えがあるのだよ。私もリュヤージュ様をお支えすべく、いくつかの手紙を書いたから。


 このすべてを口にするわけにはいかなかった。シルが他の使用人より多くの情報を知っていれば、疑いの目が向けられる。

 ふと、疑念が生じて口が滑った。

「シル。君ではないだろうね」

 ろうそくの光に揺れる、青年の怯えた表情。すぐに老執事長は自らの発言を恥じた。


 食器室を出て、シルが持つ灯りだけで廊下を歩く。

「執事長」

 張り詰めた声で呼びかけられた。

「私は、どのようなお考えにせよ、カシシーヴ家の使用人として、リュヤージュ様の復讐の力添えをいたします。なんなりと、お申し付けくださいませ」

 一言ひと言区切るように、噛み締めるように、若い執事は言った。

 ああ。リュヤージュ様は、シルとの友情も断ち切ったのだ。シルの口ぶりから分かった。どこまでも生真面目で不器用なお方だ、リュヤージュ様は。

「狼藉を想像してはいけないよ」

 それだけ釘を刺しておかなければ、シルは命令されればどこへでも飛び込んでいきそうだった。それほど重い覚悟の滲んだ声音だった。

 月のない夜。ネイズが寝床に入ってからも、シルの張り詰めた、今にも弾けてしまいそうな声は老練な執事長の耳から離れなかった。ネイズはいつになく寝付けない夜を過ごした。

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