第8話
「これはまた、すごいですね」
本部、と看板に書かれていただけあってか協会の中は表の大通りと同じ位に人でごった返していた。
寧ろ屋内と言う狭い空間のせいで人と人との距離が近く、何人も自分をすり抜けていくのが嫌だったのか悪魔は大通りに居た時より高めに浮く羽目になるほどだ。
天使たる自分があまりこういう感情を持つべきではないのだろうが、心底嫌そうな顔をする悪魔を見ると胸が空く。
「それでどーすんの? てか、そもそもキュエルっちみたいな子でもマジで働けるワケ?」
家族や後見人がいないどころの騒ぎでは無いキュエルが働けるのかと悪魔が疑問に思うのも当然だ。
自分とて下調べしていばければそう思っただろう
まあ欲望のままに動く悪魔のことだ。
どうせ遊ぶこと以外は人間界についてロクに調べもせずに来たに違いない。
一から十まで説明してもいいのだが、昨日から散々間抜けだなんだと言ってくれた礼代わりにあえて自分は沈黙を選んだ。
そんな自分の態度に腹を立てたのかそれとも付き合いきれないと思ったのか、空中で寝転がっている悪魔はそっぽを向いてしまう。
小生意気な悪魔に完全勝利したと確信、もとい勘違いしたイージスは諸々の手続きをする為に受付へと向かった。
受付には職員が何人もおり、手際よく仕事をさばいているようだがそれでも長蛇の列が出来ている。
一人でこの列に並び続けるのは中々に苦行と言えるだろうが、一つの体に二つの魂が入っている状態の自分とキュエルは周りに聞こえないように抑えた声で会話することで時間を潰した。
会話と言うよりはキュエルは天使であるイージスに委縮してしまい、ほぼほぼ聞き役に回ることになり、イージスが延々と話し続ける神の素晴らしさや悪魔に対する批判をひたすら聞く羽目になったのだが。
それなりに時間が経ち、流石にキュエルがイージスの話に辟易し始めた頃にようやく彼女たちの番が回って来た。
「ようこそ代行者協会帝都本部へ。本日はどのようなご用件でしょうか」
日に何度も繰り返しているのだろう挨拶をしてくる受付嬢の笑顔は、お面でも貼り付けているのかと思ってしまうほどの作り笑顔だった。
こんなことを言っては失礼だろうが、少し怖い。
人間社会の闇の一端に触れた気がしながらも自分はここに来た目的を果たす為に口を開く。
「私はイージ……キュエルと言います。今日は代行者になりにきたのですが」
一瞬受付嬢の笑顔が崩れ、またかとでも言いたげな顔になるが直ぐに笑顔を張り付け直した彼女はカウンター下から何やら紙を一枚取り出した。
「ではこちらの契約書にサインをお願い致します。読み書きが難しいようでしたら書面の説明と代筆を致しておりますので仰って下さい」
「問題ありません。失礼しますね」
受付嬢に渡された契約書の内容はよくあるもので、機密保持の徹底や職務中の事故などで怪我を負ったり死亡してしまっても全て自己責任であり、協会は一切その責を負わない、といったようなものだ。
契約書を読む限り年齢や性別の制限、保証人が必要などといった記載は一切なく、キュエルが代行者になるのに悪魔が心配したようなことは無いようだ。
国が主導の機関の割りには色々緩いような気もするが理由は簡単、協会発足時の代行者不足を補うために厳しい条件を設けなかった契約書を時代が変わっても使い回しているからである。
どの時代、どこの世界でもお役所仕事というのはあまり変わりないらしい。
あまり良いことではないのだろうが、事前に調べた通りであり、問題なくことを進められそうで自分は一安心した。
念のために契約書の隅から隅まで熟読したが、他の項目についても事前の調べと変わっている箇所は無く、代行者の自己責任になることが多いことに少し問題を感じながらもサインした。
サインを確認した受付嬢が抑えてはいるようだが驚いているのに気付いてしまったと思った。
どうやらキュエルの年にしてはサインの字が達筆すぎたようだ。
あまり人を騙すような真似は天使としてすべきではないとは言え、余計な疑いを招いたりせぬように多少は誤魔化すことを覚えるべきなのかもしれない。
いや、天使としてやはりそういったことはしてはいけない。
結局、自分はそう思い直した。
「これで代行者への登録は完了です。登録証を発行しますのでしばらくお待ちください」
あまりにあっさりと登録出来たことにリリスとキュエルはおろか、発案者のイージスさえ拍子抜けしつつも三人は一旦受付を離れた。
それからまたしばらく待たされたが、名前を呼ばれて受付に向かうと小さなカードのような物を受付嬢から手渡された。
「そちらが代行者としての身分証になります。紛失された場合、再発行には手数料が必要になりますのでお気を付け下さい」
財布に入るサイズの簡単に無くしてしまいそうな身分証を受け取ったイージスは再び受付を離れる。
「それで今日はどうすんの? 早速仕事探すワケ?」
「ええ、持ち出したお金があるとはいえ万が一の場合を考えると働ける内に働いて路銀を貯めておくべきです」
目撃者はおらず、殺され方からして一介の奴隷が主人を殺して逃げたとは誰も考えはしないだろう。
それでも奴隷が逃げ出していることには変わりはない。
犯人か参考人か遺産の一部としてか、いずれにしろキュエルはいつ追われる立場になるか分からないのだ。
いかに代行者が大抵の人間がなれるとはいえ流石に犯罪関っていたり脱走した奴隷はなれないし、身分を隠してなったことがバレれば即刻資格がはく奪されて然るべき機関に突き出されてしまうだろう。
自分と悪魔の人外の力があれば逃げ出すことなど造作もないが、そうなると稼ぎ口が無くなってしまう。
だからこそ万が一の場合に備えて、国外に脱出できる位には稼いで財布の中身に余裕を持たせたいと考えている。
「キュエル、しばらくの間体を借り続けることになりそうですが良いですか?」
(はい。お好きなだけお使い下さい)
あっさりと受け入れるキュエルに自分は苦笑いしてしまいながらも仕事が張り出されている掲示板へと向かうのであった。
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