第7話
朝早い時間と言うのに流石は大通りに面しているだけあってか、店の中はかなり込み合っていた。
恰幅の良いウエイトレスが忙しそうに席と厨房を行ったり来たりしている。
丁度入れ替わりで席に就けたあーしはざっとメニューに目を通すと、出が早そうなシチューとパンを選んだ。
もう少しも我慢できないほどにお腹が減っているからだ。
ウエイトレスを呼び止め注文すると、後は周りに漂ういい匂いに食欲をひたすら刺激されながら待つしかない。
ぎゅるるるると大きな声で鳴くお腹の虫とあーしは戦う為に机に突っ伏す。
「はいよ、シチューとパン。あらあら、よっぽどお腹が空いてたのね。待たせて悪かったね」
机にシチューとパンを置き、ウエイトレスは再び忙しそうに別の席に注文を取りに行った。
お待ちかねの食事にガバっと飛び起きたあーしはスプーンを持つと勢いよくシチューに突っ込んだ。
ひとさじ掬うって分かるシチューの具の多さにあーしは適当に選んだ割りには当たりの店を引いたことを確信した。
「うーん、メッチャいい匂いじゃん。いっただっきまーす」
空腹のあまりシチューを掬ったスプーンを間髪入れずに口に入れたせいで、あまりの熱さにあーしと体の自由は効かなくても感覚はあるキュエルっちは悶えに悶える羽目になったが、確信通り味はかなり良かった。
水で口の中を冷却して人心地つけると今度はパンへと手を伸ばし、一口大に千切ると口に放り込む。
今朝焼いたばかりなのか、ほんのり暖かく香ばしい小麦の匂いが漂うパンも抜群に美味しい。
値段からは想像出来ないほどに質の良い食事にありつけ、あーしは大いに満足しながら舌鼓を打つ。
「キュエルっち、どう? 美味しい?」
自分が選んだからこそ、同じ物を食べることになるキュエルっちも満足しているのか気になったあーしは確認してみた。
(こんなに暖かくて美味しい物食べるのなんて村にいた頃以来です)
「……あーし、なんか泣きそうなんだけど」
「私もです」
天使と同じ思いなのが心外ながらも、あーしらは揃って鼻を啜るのだった。
途中から少し塩気が強くなった食事を終えたあーしは、再び大通りへと出て歩き出す。
特に行く当てもないし、このままあーしのセンスからするとダサいことこの上ない服の替えでも買おうかとのんびり思案していた。
だが、ふと誰かに見られていることに気づく。
使命をほったらかして欲望のままに動く悪魔を決して見逃さない、あーしと違って使命に忠実で生真面目な天使が直ぐ側で、鬼の形相で浮いていることに。
「な、何か用? あーし、とりま服見に行きたいんだけど」
「悪魔、そこ、馬車の陰、人、いない」
怒りのあまり言語野が退化してしまったおマヌケ天使にドン引きしてしまったあーしは指示通りに馬車の陰に隠れると、直ぐにキュエルの体から追い出されてしまい、入れ替わりでおマヌケ天使がキュエルっちに入った。
「全く、私たちは大事な使命を帯びて人間界に来ているというのに、はぐれ悪魔一匹倒した程度で欲に走ろうとは、これだから悪魔というものは……」
言語野が復活したら今度は長々と続く説教にあーしは辟易しながら聞き流す。
「あぁもう!じゃあアンタにはなんか考えあるワケ」
こちらが黙っているのを良いことに、延々と捲し立て続けるおマヌケ天使に嫌気が差したあーしの不満が遂に爆発した。
だが、おマヌケ天使は狼狽えるどころか自信ありげに自らの素晴らしい計画を語り始めた。
「私は無計画で行き当たりばったりな悪魔とは違いますからもちろんありますとも。まずはキュエルが生きる糧を得る手段を確保するのです」
生きる糧を得る方法と言われた直ぐにはピンとこなかったあーしとキュエルっちだったが、おマヌケ天使は自信ありげに胸を張る。
「この国の制度を利用するんです。さあ、着いてきなさい悪魔」
何やら行く当てがあるらしく、自信満々におマヌケ天使がスタスタと歩き出したので、渋々あーしは着いて行くことにした。
おマヌケ天使の目的地は大通りにあるらしく、程なくして彼女は足を止めた。
「さあ着きましたよキュエル、悪魔。ここが目的地の代行者協会です」
イージスが指さす看板には握手する手を抽象化した絵の下に代行者協会帝都本部と書かれていた。
代行者とは帝国特有の事情により生まれた一種の何でも屋とでもいうべき者たちだ。
その誕生は大戦によって大陸の人口のおよそ六割が失われてしまい、大陸中が混乱の渦に飲まれていた古い時代にまで遡る。
後に狂気大戦と呼ばれたこの大戦が集結した際に、当時はまだ今ほど巨大では無かったガナシアン帝国は疲弊した各国の隙をつき戦争を仕掛けた。
対抗する兵力など、どの国もほとんど残っておらず、下手をすれば国の体裁すら保てていない国すらある始末。
帝国はそんな国々を次々に征服、併合していき今の膨大な量の国土と強大な国力を手にしたのだ。
だが、そんな混乱期に軍事行動を最優先すればもちろん数多の弊害が発生した。
その中で、最も帝国の頭痛の種であったのが国内での行政サービスが滞ったことだ。
どこもかしこも予算に人も全く足りていなかったのが原因なのだが、国家予算の大半を戦費として消費したのだから当然のことであろう。
暫くの間、帝国は国民からの不平不満を黙殺していたが、段々と無視出来ないほどに大きな声を国民たちが上げ始めてしまう。
当時の帝国は侵略と併合した国々の反抗勢力の掃討などで一杯一杯だった。
ここに元々の国民たちまでもが不満を爆発させ反乱を起こそうものなら、国が崩壊するのは火を見るより明らかであった。
当時の皇帝と臣下たちは大いに頭を悩ませ、苦し紛れに打ち出した政策が代行者制度だった。
国民からの求め、例えばドブ掃除や治安が悪くなった国内を移動する際の護衛などへの対応を当時溢れていた失業者を役人や軍人の代行として派遣することで解決しようというのが目的の制度だ。
帝国は戦費でカツカツの国庫からどうにかこうにか捻出した予算で代行者と国民を引き合わせる為の組織である代行者協会を設立。
その後の運営費は国民からの要望を協会が依頼として受理し、その際に請求する依頼料と裕福な商人たちを半ば脅して出させた寄付などで賄った。
本来は収めた税金を使って行われるべきことをさらに金を取られてやってもらうというこの制度は、施行されて直ぐは国民たちからの評判は芳しく無かった。
それでも数年が経てば次第に放置されるよりはまだマシだと国民たちに受け入れられることとなる。
その後、この制度は帝国が富むに連れて必要性が薄れてはいったのだが、失業者救済の目的で残された。
膨大な国土を持つ弊害で行政サービスが行き届かない地域が多いこと、国からもそれなりの額の予算が降りたり、寄付することで一部の税金が減額される法律が制定されたのを機に多額の寄付金が集まるようになったお陰で依頼料が格段に安くなったこともあり、協会は今日まで依頼人が後を絶たない、帝国には欠かせない存在となったのだった。
「馬鹿真面目に仕事するってワケね。お堅い天使様らしいわ~」
「そうですが問題ありますか? ここならばキュエルのように身元不確かな者でも仕事が貰えるそうです。しばらくは代行者として糊口を凌ぎながら情報収集するのが最適解と言えるでしょうし」
おマヌケ天使は自分の案が完璧であると一切疑わない笑顔を浮かべ、キュエルっちもなるほどと感嘆の声を上げる。
あーしは自分とは全くもって考え方の合わない相手が考えた名案が必ずしも自分にとっても名案とは限らないことを学習した。
ここであーしが最初考えていた案、あーしの能力で楽ではあるが非合法なやり方での金儲けと情報収集を提案したところで、おマヌケ天使どころかキュエルっちにすら反対されるのは目に見えている。
真面目ちゃん二人相手では分が悪すぎるし。
諦めと面倒くささがどっと押し寄せてきたあーしは口を噤み、浮かびながら寝っ転がる。
後は野となれ山となれってやつ。
イージスはそれを自分の案が素晴らしくリリスが反論できないのだと決めつけ、上機嫌になりながら代行者協会の扉を開けるのだった。
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