第7話 執筆者を探せ

 幼女時代に遡るユリさんの記事を眺めながら、私は深夜、たった一人の暗い部屋で、無限に広がる万華鏡を覗くような気持がしたものです。

 そして、ふと自分の幼年時代を思い出してしまったものです。

 夢のゆりかごから天を仰いだ時、鬱蒼とした緑の木々には木漏れ日が美しく、喬木の向こうには広大に広がる青い空をみたような記憶があります。

 再生と希望の朝のような風景の中に、人生の開幕ベルが華やかに鳴り渡っていたようなイメージがあるのです。

 話をブログ記事に戻します。

 駅前の広場にクリスマスのイルミネーションが飾り立てられる時季、ユリさんは遂に、その日記的人生のフィナーレを飾るファースト・メモリーの記事へと進んでいったのです。

 このような記事でした。

 そこがどこだったかは覚えてないわ、多分、八王子に今でもある、父親の実家の一室だったのだと思います。

 木漏れ日・・・。

 縁側に面した板敷きに絨毯をねかせた部屋でした。

 アタシは大きな木々の向こうからこぼれるいっぱいの光に守られているような気がしたの。

 春先の昼下がりという記憶があります。

 そして、近くに黒いものがあったのを記憶しているのです。ピアノとね、床にそのまま置かれた昔の黒いダイヤル電話です。

 ポカポカと暖かい部屋中で一人寂しくもなく遊んでいるアタシに、大きな母が一人の人間を連れてきては私に紹介するのです。

 大きな猫のような人間でした。

 それが、生まれてしばらくたったばかりの弟だったのです。

 アタシはとても嬉しかった、母と弟が一緒にやってきた。

 概略、最後の記事はこんな感じの文章でしたが、これはハッピーエンドを匂わせるもので、とりたてて暗いイメージのある終末ではありませんでした。

 しかし、今年の正月過ぎから一年近くにもわたった、ユリさんの海辺のブログは、このファースト・メモリーのような記事をもって、いっさい更新されなくなるのです。

 読者登録をしていたので更新情報が届くわけですが、それもその後は一切ありません。

 にもかかわらず、私は、その後もしばらくの間、更新しているのかどうか気になっては訪ねてみるのですが、その最後の記事をフィナーレとしたたくさんの記事たちは重石のように微動だにしないわけです。

 これで終わったということなのだな、おそらくしばらく放置にして、そのうちいつか退会処理がなされるということなのかもしれないな、しかし、変なブログだったぞ、私は余韻の中でもクビをかしげたものです。

 自叙伝というものは、誰でも一度くらいは書いてみたい、自分に文才がなければ誰かに書かせてみたいと思うものではないでしょうか。

 しかし、それは子供の頃から始まって未来へと向かう、そしてハッピーエンドに終わるというのが定跡だと思います。

 彼女のように、しかも推定34年間という短い人生をどんどん過去に遡り、最後はファースト・メモリーに終わるが、そこには言辞で表出できない不思議な満足感を読む者に与えた。

 なぜなのだろうな、12月に最後の記事がアップされた後も、なぜか蜜に吸い寄せられるように、私は何度も彼女のブログ記事を最初から読む癖がついていたのです。

 硬軟相混ぜた文体ですが、とにかく文章が旨い、そして妙に私の感性に合致するような文学的表現を感じる、それもあるのですが、基本的には平凡な女性の半生を明るく正直に、ありのままに書いているだけです。

 しかしながら、何度も言いますが、そういう平凡で明るい女性の半生についての行間にすきま風のような冷たさが浮かび上がるところが非常に魅力的だったのです。

 海風・・・。

 以前にも話したとおりなのですが、彼女は何か大事なことを一つだけ隠しているような気がして、その秘密こそが今後の自分の文筆人生に良い影響を与えてくれるのではないかと本能的に感得したのです。

 私は、暇にまかせて、彼女の全記事を通して、多角的視点からいろいろと想像してみることにしたのです。

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