第5話 謎の創作動機
その年の11月、いつの間にかユリさんのブログは高校時代へと遡っていました。
ブログの背景画面は相変わらず白い瀟洒さを基調にしたもので、女らしいバラの花壇の写真がコチラを微笑むわけです。
ブログの更新頻度は週に3回位、週末は忙しいのか更新は殆どなかったような気がします。
読者登録数はゼロ、ペタのような訪問足跡も営業目的以外からはあまりなかったように記憶しています。
ただ毎回という程でもないのですが、頻繁にリンク先のない2人の人からのコメントだけが、おしゃべり日記に陽花を添えていたようです。
女性らしきが1人、男性らしきが1人・・・。
なんだか、ユリさんは、多くの人に読んでもらいたいという気持で、こんなにも一生懸命ブログを書いているのではないような不思議さを感じだした私です。
コメント欄に現れる2人の男女との心の触れあいが目的でブログを始めだしたのではないかと思うようになりました。
最愛の旦那でさえも、もはや蚊帳の外のような気がして、ネットを通して遙か遠くからやってきた私のような人間が、ユリさんの電脳世界に入り込むことは、そもそも彼女にとっては想定外の事だったのだと思います。
やはり不思議なブログです。
女子高生時代に話しが進んだというか遡及した頃、ここで、彼女のブログに異変が生じた。
どういうことかというと、今までの数倍以上に過去への進展速度が速くなったのです。変な言い方ですが、生き急いでいるという感じでしょうか。
高校3年間が約2週間で終わっています。
高校時代の記事で感銘を受けた話で次のようなものがありました。
それはお母さんについて語った記事です。
男性の私からは理解不能な女子高校生日記ですが、比較的裕福な家庭に育った彼女は私立のお嬢様校に通学していたようです。
2年生のとき、彼女は文化祭でどうしても或る音楽的主張をしたかったそうです。それだけはどうしても譲れなかった。それを契機として、彼女は無意識的に自我の芽生えに圭角さを漂わせるようになる。
親友が離れていっただけでなく、友人が少しずつ離れていくような気がする。いろいろと人の心について悩むようになった。
他人とどのように交際していけばいいのか自信がなくなった、そして大学には進学すべきなのか、将来アタシはどんな人生を送ればいいのか。
大海に臨む小舟には羅針盤が必要なわけで、どうしていいのかわからない。
絶望の17歳・・・。
悩み苦しんだ彼女は、原宿にある占いの母を訪れることにしたそうです。
一人じゃ行けない、仲の良い友人でもムリだ、それで、実の母親に同行してもらったということを、ヒマワリの絵文字などをふんだんに使っては書いているわけです。
電車に乗って、お母さんと一緒に原宿まで行った思い出の中に、自分以上に真剣に占い師に相談する母の愛情を今でも忘れないなんてことを書き綴っては、私的には、少々気恥ずかしい感じもしたものです。
多感な女子高生時代については、それ以外にも、更新回数は短いもののギュッと凝縮された感情が詩的に踊っては、やがて生徒手帳がフェイドアウトする中学生時代に遡っていくのです。
そして少女時代へと。
この辺りで、私にとっては神秘のベールに包まれていたユリさんの全貌がだいぶ姿を現わしていくことになります。
彼女のご両親はともに都内八王子の出身で、そこで家庭を築き、彼女は幼少時代を短い期間であったが八王子市内で過ごしたという。
それから転々として、世田谷に引っ越して来て、新宿区内にある私立の女子校に進学し、それから横浜の短大に進学したということがわかりました。
出身地や過去の住居地を知り、私は少し嬉しく思ったものです。
私は東京近県で生まれ育ったのですが、東京には馴染みが深く、当時は東京郊外に住んでいました。
だから、彼女がブログで語る地名についてはどれもよく知悉していたのです。
東京育ちのユリさんとの意外な接点を知り、妙な親近感を覚えたものですが、今現在、彼女がどこに住んでいるかは絶対に明かさなかったものです。
ただ、海が見える場所と語っているだけで、東京から近いところのような気もするし、遥か彼方の世界のような気もしたものです。
そして、とても仲のよい弟がひとりいることもわかりました。
どうしたのだろうな、随分加速度的に過去に進んでいるぞ、私は訝しげたものですが、加速度的に過去へ進むに比例して、記事内容自体には非常に凝縮された人生を感じたわけです。
この辺でですね、私は、名誉ある死に向かい生き急ぐ武士のようなオーラを彼女の文体に見出すようになるのです。
どういうことなのかな。
想像力だけは自信のある私です。
毎晩、寝る前にね、彼女のブログに目を通しては、こんな奇想天外な推理をしてみたのです。
やはり、ユリさんというのは現在先行きの短い境遇にあるのではないだろうか。
何らかの病気で余命宣告を受けた、この世を去る前に我が来し方を記念碑的にブログに残そうとしているのではないだろうか。
そして、現在は海の見える療養施設のようなところで暮らしているのではないだろうか。
しかし、それだったら、生まれたときから現在までを時系列的に描けばいいのであって、なんでわざわざ逆さまにして叙述するのだろうか。
実際、記事と記事のつながりに矛盾とまではいかないが、不自然な構成が時々散見されました。あえてこのような難しい表現方法を採る理由がわからない。
また、こんなふうにも推理してみました。
もしかして、ユリさんは、タイムマシンを造ろうとしているのではないだろうか。
記事一覧でね、例えば、10年前の3月と載せ、そこをクリックすると、その当時の記事が正確に現れる。当時を思い起す文章に加えて、往時の写真やら流行歌なんかを取り入れ、あたかも当時の自分を立体化させる・・・。
私が生まれた頃は、今のような世界中を舞台にしたネット通信網というのは想像できなかった。これからは4Dだけではなく、いろいろな映像技術が発展することだと思います。
ユリさんは、主婦の暇つぶしにそんなタイムマシンのデッサンをしているのかなと想像したときです。
ふと、私の全身には悪寒が走り、はっきりと右腕に鳥肌が立つのを覚えたものです。
未来・・・。
未来の自分をみること、これはどんなにネット技術が盛んになっても不可能事であろう。
しかし、ユリさんが現在34歳であると仮定して、もう人生に絶望し、これから先はお終いだ、何もないと悲嘆したとする。
とすると、現在に至るまでの34年間の日々というものだけが彼女の人生で、ユリさん自身の主観的年齢は不定ということになる。
やることがないので、毎日PC前に向かっていたとしたら、その34歳という枠の中を或る意味自在に飛び回ることができることになる。
どうもユリさんは現在究極的に精神を病んでいるのではないだろうか。
これらの推理は、当時の私の想像に過ぎないものでして、ユリさんの逆行性ブログ記事の結末は、本人の逝去であるとかタイムマシン云々なんていう私の推理を遙かに超越した驚異の世界であるわけでして、それはこれから追々話していくところです。
時間(とき)の流れは、詩人の魂に似て、そんな惹句を付したくなるような不思議な感性的文章と、その奇妙な表現スタイルから、私はその記事の更新を心待ちするようになっていました。
彼女のブログ記事は真面目な中学生の生徒手帳の時代を通り過ぎ、小学生時代に遡っていました。
ここで、私は最初に脳天をハンマーで打たれるような衝撃を受けることになります。
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