第186話 最上義光、降る

 永禄七年(一五六四年)長月(旧暦九月)下旬、出羽国の山形城に届いた三通の書状により、最上家当主、最上義光は重臣を集めて評定を開いた。集められた重臣たちは、その書状の内容をおおよそ察していた。ついに、来るべき時が来たのである。


「新田陸奥守殿、伊達総次郎殿、そして義からそれぞれに書状が届いた。義の内容は、まぁ良かろう。ツラツラと書かれているが、此度の戦の顛末が書かれておるだけだ。問題は陸奥守殿、総次郎殿の書状だ」


 遠藤文七郎基信という者によって、辛うじて本丸を守り切ったこと。夫である伊達総次郎輝宗が駆けつけ、謀反人たちを処断したこと。伊達家が新田に臣従し、所領をすべて召し上げられたことなどが書かれている。総次郎については「情けない」とか「覇気がない」とか書きながらも、この人には自分が付いていなければ駄目だから、夫の側にいると惚気かと思えるような内容であった。


「伊達総次郎殿は、奮闘虚しく敗れたこと。家臣たちのためにも、臣従するしかなかったこと。そして最上家が望むのなら、義を山形城に送るとまで書かれている。これは陸奥守も承知していることらしい」


「なんと。それであれば、姫様が新田の人質となることはありませぬな」


 家臣たちが安堵するが、義光と謀臣である氏家守棟は、この裏を読んでいた。宇曽利の怪物が、単純な仁や情だけで、人質となる者を解放するはずがない。


「一つは伊達家中に対しての気遣い。そしてもう一つは我らへの言伝でしょう。新田は最上に対して遺恨はない。降るのであれば、伊達家と同様に受け入れると……」


 氏家守棟の言葉に、義光も頷いた。そして新田又二郎からの書状が、さらに異様であった。


「陸奥守殿の書状は、一〇日後に米沢城を進発する故、それまでに返事を送れと書かれている。戦を選ぶのであれば是非もない。最上の家を絶やし、山形城を瓦礫にするとな。ちなみに義の中には、総次郎殿の子がいるらしい。新田家の医師が確認したそうだ」


「それは……」


 重臣たちが顔を見合わせる。懐妊しているのであれば、輿での移動すら危険である。つまり義姫を動かすことは、事実上不可能ということだ。三通それぞれが、微妙に食い違う。義姫は率直に、夫の側にいたいと言い、夫である総次郎は、最上家が望むのなら苦渋の決断をすると言う。そして新田又二郎は、その場合は覚悟しておけという脅しが入っていた。


「御屋形様、我らとて叶うならば、戦にて新田に一泡吹かせたいと願っております。されど、北に一万、南に四万と、我らは完全に包囲されております。我らは兵を掻き集めてもせいぜい一万、とても勝負になりませぬ」


 最上一族である清水義氏は、無念の表情を浮かべて進言した。他の者たちも無言のままである。大崎家から分かれ、羽州探題として奥州の中央に位置し続けてきた最上家が、ついに終わりを迎えようとしている。この数年間は、余りの動きの速さにどこか非現実的な感覚さえ持っていた。だがどれ程辛くても、現実はいつかやってくるのである。誰かが呻き声を発した。やがてそれは、部屋全体に広がった。




 その頃、米沢城では今回の戦の論功行賞が行われていた。伊達家の家臣は、各領地の石高に応じて家禄を与えられた。事実上、倍の禄であること。各家で兵を用意する必要が無いため、得た禄はすべて、家のために使うことができること。そして女子供が買いたいと思うようなものが、これから続々と米沢に運び込まれることなどを説明される。屋敷を取られたわけでもなく、家で雇っている家人、小者たちなどはそのまま召し抱えることができそうであった。領地を手放してみると、意外に気が楽になることに気づき始める者も多かった。

 そして論功行賞の最後になり、一人の男が呼ばれた。遠藤文七郎基信である。基信は部屋に入ると戸惑った。新田陸奥守の他に、旧主である伊達総次郎輝宗と、正室の義姫が座っていたからである。


「これは大殿……」


「俺はもう殿ではないし、其方も中野の家臣ではあるまい」


 総次郎は苦笑し、そして床に手をついた。


「義から聞いた。中野宗時の動きをいち早く報せ、命を懸けて本丸を守ってくれたそうだな。夫として、一人の男として、心から感謝する」


 深々と一礼する。基信は慌てて頭を下げた。自分は殆ど何も出来ていないのだ。弓矢は殆ど当たらなかったし、太刀を持つ手も震えていた。むしろ義姫に迷惑を掛けてしまったと詫びる。


「何分、某は生来、気が小さく……」


「ホホホッ…… 気の小さな者が、あの状況で太刀を握れるものですか。其方は自分で気付いていないだけで、見事な胆力を持つ殿方ですよ?」


「あ、有りがたきお言葉。僅かでもお役に立てたのであれば、無常の喜びでございます」


 恐縮しながら二人に頭を下げる。伊達総次郎は懐から書状を取り出した。


「殿よりお許しを得ている。其方に感状を渡す。俺にとって、当主としての最後の仕事だ。其方を伊達家宿老とし、中野と牧野の領地すべてを与える。その上で、今後の身の振り方を考えよ」


 ざっと見積もって五〇〇〇石の大領である。遠藤基信は呆然としながら感状を受け取ると、感極まったのかボロボロと涙を流し始めた。たとえ受け取ったとしても、もうそこは新田家の領なのだ。実質、所領などはない。だが奥州探題直筆の感状があるということは、それだけで箔が違う。何処へ行っても、召し抱えられるだろう。

 又二郎は面白そうに三人の様子を眺めていた。だがいい加減、こうした男泣きには食傷気味であった。


「そろそろ泣き止め、文七郎。二人も困っておるわ」


 奥州の覇者にそう言われ、基信は目を袖で擦り、鼻をすすった。落ち着いたところで、又二郎は用件を切り出した。史実では、織田や北条と切った張ったをやった、伊達家随一の外交官である。是が非でも欲しい人材であった。


「伊達家宿老となれば、我が新田家でも相応に遇さねばならぬ。文七郎、七〇〇〇石で新田に仕えぬか? 事を正しく行う者は多いが、正しい事を行える者は少ない。信義に篤く、信頼できる者こそ新田の重臣に相応しい。今後、千代以南の内政を総次郎に任せるつもりだ。右腕となる行政官が必要であろう。新田の行政官として、旧主である総次郎を支えてやって欲しい……って泣くな。泣くなよ?」


 再び顔を歪ませる基信に、又二郎は苦笑いしながら、花押を押した書状を取り出した。




 永禄七年神無月上旬、米沢城に最上義光が僅かな供回りを連れてきた。新田に降伏するためである。又二郎は、まず伊達輝宗、義姫の夫妻に会えと伝えた。互いに気質は違えど、義理の兄弟なのだ。色々と話し合うこともあるだろうと気を利かせたのである。


「最上源五郎義光を一万石で召し抱える。また最上家家臣たちは、それぞれの所領分を家禄とする。なお、旧伊達家家臣と最上家家臣とでは、それぞれに思うところもあるだろう。だがこうして新田の下に集まった以上、足の引っ張り合いなどは許さぬ。過去の遺恨をすべて水に流すため、大宴会を行う」


 又二郎は基本的に宴会好きである。北から運ばせた澄み酒、昆布や鮭、椎茸や牛蒡、さらには各種獣肉から卵まで、新田家で普段食べられている料理から、少し凝ったものまで、大量に用意させた。高級食材の数々と見たことも無い料理に、両家の旧臣たちは目を白黒させる。


「別に奮発したわけではないぞ。日ノ本のどこででも、この程度の食事を出来るようにする。それが俺の目指す天下だ。奥州はこれで、ほぼ片が付いた。次はいよいよ関東だ。蘆名、佐竹、そして上杉と戦うことになる。天下統一まで果てしない道のりだが、決して後悔はさせん。いつの日か子や孫に対して、自分は新田と共に天下を創ったのだと自慢できる日が来ることを約束する」


 新田家の重臣たちは無論、伊達、最上、天童、延沢などもいる。又二郎は盃を手にした。


「日ノ本の夜明けを祈念して……」


 そして盃を干した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る