第185話 益荒男の在り方

 米沢城の大広間では、主座に又二郎が座り、伊達家臣、新田家臣が左右に分かれて並んだ。伊達総次郎輝宗は改めて降伏を申し出た。当然ながら、家臣たちの中には新田に不満を持つ者もいる。彼我の戦力差が余りにも大きすぎるため、今この場では耐えているが、領地に戻り次第、反旗を揚げる者、あるいは他家に逃げる者が出るかもしれない。又二郎はそれを承知で冷然と告げる。


「新田では、家臣はすべて禄で仕えている。今回も同じことよ。伊達本家の家禄は一万石、家老衆は五〇〇〇石を基準とし、現在の石高を勘案してそれぞれの禄を決める。土地を持たぬ以上、兵役などはない。戦の際には一人の武将として、新田家の軍を指揮してもらう。また合戦が不得手な者は、文官として働いてもらう。新田ではむしろ、文官の方が活躍の場は多い。伊達領の石高を倍増させ、家臣領民等しく豊かにする。当たり前に米を食えるようにし、数着の衣類を着回し、細君は化粧し、子供は学びそして遊ぶ。新田領で当たり前となっている暮らしを日ノ本全土に広げる。飢えず、震えず、怯えずの三無を旗印に天下を統一する。そのためには新田の文官たちによる大規模な開発が必要なのだ。一〇〇〇石、二〇〇〇石の狭い土地に拘るな。新田がすべて、面倒を見てやる」


 だが伊達家旧臣たちの反応は薄い。急転直下で降伏が決まったこと、そして土地を手放さざるを得ない状況にいきなり追い詰められたことに、まだ理解が及んでいないのだ。伊達総次郎輝宗は、又二郎に許可を得て、旧臣たちの前で手をついた。


「皆、済まぬ。俺が不甲斐ないばかりに、皆を過酷な状況に追いやってしまった。皆それぞれが、伊達家累代の譜代だ。どこの家に出しても恥ずかしくはない。もしどうしても不満があるのならば、旧主として俺が感状を書こう。他家へと行くがよい」


 前に出てきた者がいた。片倉ではない。針金のような髭を生やした、初老の男である。


「周防……」


「殿! 頭をお上げくだされ。無骨な儂にも、これが時勢であることは解っております。ただ、悔しいのです。歯痒いのです。もっと他にやりようはなかったのか。御当家が生き残る道はなかったのかと……」


 伊達家累代の家柄であり、猛将と知られた鬼庭周防守良直が、目の周りを赤くして肩を震わせる。他の者たちも同じであった。床に伏してこぶしを握り締める者もいた。又二郎や新田家家臣たちは、それを黙って見つめた。男が男のために泣いているのである。余計な言葉は必要ない。浪岡、南部、安東、小野寺などなど、これまで降してきた大名たちも、皆同じであった。あるいはこの涙に耐えることこそが、又二郎にとって最も過酷な戦なのかもしれない。

 半刻近く、又二郎は黙って待ち続けた。皆の気持ちの混乱が落ち着き、やがて冷静になって来る。


「総次郎、良い家臣たちを持っているな」


「有りがたきお言葉。某には勿体ない者たちでございます」


「うむ。皆に告げる。新田に降ったこと、決して後悔はさせぬ。いや、それを誇りと思う日が来ることを約束する。この日ノ本はいま、二〇〇〇年の歴史の中で最大の危機に陥っている。帝を御護りする者はおらず、幕府には統治の力なく、皆が好き勝手に奪い、犯し、殺している。誰かが、この混沌を正さねばならんのだ。俺がそれをやる。必ず天下を獲る。子や孫が、笑って暮らせる世を創る。よく心得よ。俺のためでも、新田のためでもない。自分の子や孫のために働け。天下のために働くのだ!」


 伊達輝宗、片倉景時、鬼庭良直らが一斉に頭を下げる。伊達家家臣全員が、又二郎に臣下の礼を取った。こうして、藤原北家の流れを汲む奥州の名門、伊達家は降伏した。




 別室で待たされていた中野宗時、牧野久仲が呼ばれたのは、とうに日も暮れた夜であった。待っている間に食事や茶などは出されたが、それ以外はまるで避けているかのように人が近づかない。牧野久仲は不安であった。伊達輝宗が生きている以上、自分たちの謀反について何か処罰があるのではないか。


 だが父親である宗時は、有り得ないと一笑した。新田は過去を問わず、使えるかどうかで判断する。二年も前から新田に接触し、文をやり取りし、今回の完勝に導いたのだ。謀臣としての自分の力は、新田も十分に認めるところだろう。


「いきなり筆頭家老は無かろうが、重臣に取り立てられるのは間違いない。やがて新田の筆頭家老として、今以上の権勢を持つのだ。クククッ……」


 大広間では、向かって右手に新田家の家臣たち、左手に伊達家の旧臣たちが並んでいた。特に旧臣たちからは、血走った眼で睨まれる。だが宗時は涼しい顔をして、新しい主君の前に両手をついた。機嫌良さそうに微笑んでいるため、久仲も少し安堵した。


「中野常陸介宗時、御前に参上いたしました」


(怪物などと言っても、まだ二〇にも満たない若造ではないか。掌で転がすことなど容易かろう。伊達などより遥かに大きな新田家に重臣として迎えられる。これこそ戦国の生き方よ)


「中野宗時、牧野久仲。二年も前から新田と誼を結び、此度の戦でも内応し活躍してくれた。その働きにより、徒に血を流すことなく伊達を降すことができた。感謝するぞ」


「有りがたきお言葉。すべては新田家のため、殿のためでございます。この宗時、新田家のためならばこの命、いつでも投げ出す覚悟でございます」


「そうか。嬉しいことを言ってくれる。牧野久仲も同じか?」


「ハハッ! 身命を賭してお仕えいたしまする!」


「うむ。中野宗時、牧野久仲両名の働き、此度の戦において極めて大きなものであった。よって両名を……」


 新田の重臣に、と言葉が続くと思っていた宗時は、次の言葉で呆然となった。


「両名を討ち首の上、中野家と牧野家は取り潰しとする。総次郎、最初の仕事だ。この両名の首を刎ねよ。誰か希望する者に任せても構わんぞ」


「御意!」


「お、お待ちくだされ! なぜ、なぜ討ち首などと……」


 宗時は、目の前の若者が一変していることに気づいた。かつて主君と仰いでいた晴宗公を彷彿とさせる獰猛な笑みを浮かべている。だがその表情から感じ取れる不気味さ、悪辣さは旧主を遥かに超えていた。伊達家の旧臣たちも、又二郎の変容ぶりに、宗時への怒りを一瞬忘れた。まさに怪物であった。


「フム、先ほどお前は、いつでも命を投げ出すと言ったではないか。伊達家を裏切ったお前たち二人がいるとな。伊達家旧臣たちの怒りが収まらんのだ。お前たちが死ぬことが、新田家のためになるのだ」


「そ、それは……」


 宗時は必死に考えた。そして新田の家臣に、南条広継や八柏道為などの謀臣がいることを思い出す。


「恐れながら、御当家の重臣である南条越中守殿、八柏大和守殿も、かつては他家の者であったと聞いておりまする。ですが蠣崎家や小野寺家の旧臣たちと共におられるではありませぬか」


 又二郎の眉がピクリと動いた。そして顔から笑みが消える。手にしていた扇子をバシンッと畳に叩きつけた。牧野久仲はビクッと背中を震わせた。伊達家旧臣たちも息を呑む。凄まじい迫力であった。


「南条越中は蠣崎家にすべての所領を返上し、旧主蠣崎弾正の許しを得て、裸一貫で新田家に来たのだ。八柏大和は迫りくる新田の圧力を前に主家を残そうと奔走し、最後の最後まで小野寺孫四郎を支え続けた。信義を忘れ、己が利益のために主家を裏切った貴様と同列にするな!」


「う、裏切りならば、南部晴政殿も……」


 バキッという音が響いた。扇子が圧し折れたのである。南条広継は首を振った。


「黙れぇっ!」


 滅多にない又二郎の大音声であった。大広間がシンとする。宗時は魚のように、口をパクパクとさせた。


「貴様が…… 貴様のような下衆が、南部晴政を語るな。晴政は俺と対等の立場であった。家のため、家臣のため、すべてを捨てる覚悟で自ら先頭に立って俺と戦い、そして雄々しく死んだのだ。新田に仕えるというのならば、なぜすべてを棄てて出奔してこなかった! 謀反を起こすのならば、なぜ自ら太刀を持ち、輝宗の前に立たなかった!」


 ここまで言われてようやく、宗時は己の過ちに気づいた。宇曽利の怪物を読み違えていたのだ。理や利の前に、一匹の獣であり益荒男なのだ。その根っこは、自分が密かに馬鹿にしていた「奥州侍」の気質と何ら変わらない。どれ程言葉を弄しようとも、変えることはできないだろう。諦念を持ち、ガクリと肩を落とした。


「この二人を引っ立てよ。越中、後は任せる」


 そう言って、又二郎は立ち上がって出て行ってしまった。南条越中守広継は一礼し、伊達輝宗に促した。圧倒されていた伊達家旧臣たちは、ようやく我に返った。諦め項垂れる宗時と、怯え震える久仲を引っ立てていく。片倉景時は、旧主となった輝宗に話しかけた。


「色々と噂は聞いておりましたが、聞くと見るとでは大違いですな。宇曽利の怪物は、立派な益荒男でございます。某、あのお方の下でなら、槍を振ることに不安はありませぬ」


 そう言われ、総次郎も自分の中に、何か熱のようなものが入っていることに気づいた。これから伊達家は、新田家の家臣として働く。最上は恐らく降る。次は蘆名、そして上杉であろうか。当主の座を降りてはじめて、戦が楽しみだと思えた。そんな自分が新鮮であった。

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