第184話 伊達家降伏

「皆、下馬し控えよ。奥州探題、伊達輝宗公である。馬上から見下ろしてよい御方ではない!」


 松川の戦いは、伊達輝宗の降伏によって決した。又二郎は直ちに兵を退き、使者を送って伊達輝宗、片倉景時ら重臣たちを本陣に招いた。全員が下馬するなか、輝宗は帯刀すらせずに歩いた。その表情には諦念が浮かんでいた。その背後を歩く片倉景時は、新田軍の凄まじさを思い知った。三万人以上が一つの意思で整然と行動する。どれ程の調練を行っているのか。とても勝てる相手ではないと首を振る。


(儂は腹を切っても良い。だが殿だけは何としても生かさねば……)


「伊豆守、そう固くなるな。恐らくだが、陸奥守殿は寛大に受け入れてくれよう。土地は失うであろう。奥州探題の地位も権威も消えるであろう。だが家は残る。それで良いではないか」


「殿……」


 先代である伊達晴宗のような獰猛さや野心は、輝宗には無かった。伊達家、そして家臣たちを守り、次代に伝えることが出来ればそれでよいと考えていた。


(この乱世を生き抜くには、身中に獅子を飼っておらねばならぬ。父上にはあったであろうが、俺にはない。ならばせめて、義の中にある次代のために、俺自らが人柱とならねば……)


 新田軍本陣に入ると、武将たちが勢揃いしていた。それを束ねるように、銀色の鎧を着た男が立っている。そして人数分の床几が用意されていた。


「新田陸奥守又二郎政盛だ。よくご決断された。まずは腰を掛けられよ」


促されるままに、床几に座る。輝宗は、目の前に座った宇曽利の怪物を見た。まだ若いが、目つきが違う。父親である伊達晴宗を彷彿とさせるような、野望に燃え盛る瞳であった。


「既に御覚悟はされていると思うが、新田では大名、国人の領地は無論、幕府直轄領、寺領、公家の荘園から御料所に至るまで、土地はすべて没収し、新田家によって開発している。降伏される以上、伊達本領は無論、家臣や国人たちの領地もすべて没収だ。不満があるのならば、米沢城に戻ることを赦す故、戦支度をされよ」


 全軍を解放する。不満があるならまた戦を仕掛けてこい。だが次は容赦しない。降伏など認めず、伊達家を滅ぼす。輝宗にはそう聞こえた。だが即断はできない。伊達家の歴史は古い。家臣たちもそれぞれに領地を持っている。自分ひとりでは決められなかった。


「自分ひとりでは決められぬ。そう考えているのであろう? それが一所懸命の欠陥よ。平時は良いが、今は乱世だ。時に、当主の即断が求められるのが乱世だ。まずは降伏せよ。逆らう者がいたら新田が滅ぼす」


「殿…… 家中は某がまとめまする。ご決断を」


 迷う輝宗に背後から声を掛けた者がいた。宿老の片倉伊豆守である。輝宗は頷いた。戦っても滅びるのだ。ならば少しでも、死者が少なくなる道を選ぶべきだろう。


「伊達家は、降伏致します」


「相解った。伊達本家は家禄一万石で召し抱える。それと片倉伊豆守、其方にも五〇〇〇石を出す。新田の武将として仕えよ」


「そ、それは……」


 片倉伊豆守景時は、隠居して嫡男に家を継がせ、伊達家の家臣として生きようと考えていた。代々、伊達家に仕えてきたのである。たとえ一〇〇〇石の陪臣となろうとも、それが片倉家の有るべき姿ではないか。だが先に、輝宗が家臣を庇った。


「景時は凡庸な某には勿体ない程の名将です。きっと御家の役に立てるでしょう。景時、俺は家をようやく保てる程度の器だ。とても天下など目指せぬ。だがお前の力は、天下のために役立つ。まずは片倉家のことを考えよ。皆も同じだ。俺のことは気にするな。まずは自分の家を第一とせよ。良いな!」


 景時は肩を震わせ、床几から降りて地面に伏した。他の者たちも同様である。代々、伊達家に仕えてきた。伊達家と共に、大きくなってきた。今の伊達家の姿は、自分たちの責任でもあるのだ。主君に辛い決断をさせてしまったことに、己を鞭打ちたい気持であった。


「さすがは名門、伊達家よな。良い家臣たちを持っている。さて、降伏が決まった以上、米沢城に急がねばならぬ。総次郎たちも加わるがよい。其方らはもう、新田家の者だ」


「……一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか。此度の戦における、まるで計ったかのような包囲網…… 当家から、裏切り者が出たのでしょうか」


「あぁ、前々から俺に書状を送ってきていた者がいる。伊達家家老で、今は米沢城にいる。誰のことかは判るであろう?」


「やはり、宗時が……」


 輝宗を始め、伊達家の者たちの顔が赤くなる。それは裏切り者に対する怒りであった。新田家はよい。内応者がいればそれを利用しようとするのは、戦の常道である。だが裏切った者は許せない。特に中野宗時は、先代の晴宗によって見いだされ、伊達家の家老筆頭にまで取り立てられたのだ。その恩を仇で返すなど、奥州武士の風上にも置けなかった。

 だが宗時に対して、怒鳴ったり罵ったりはできない。目の前の新たな主君が、宗時をどう扱うかが読めないからだ。当然、又二郎もそうした心理を察している。笑いながら、頼れる謀臣である南条広継に確認した。


「越中、俺は宗時に対して所領安堵だとか、新田の重臣に取り立てるとか、そんな約束していたか?」


「いえ。内応に感謝する。伊達家を滅ぼした暁には、悪いようにはしないと……」


滅ぼした暁・・・・・には、か。それで、伊達家は滅びたのか?」


「殿の御前で、立派に家を保っておりますな。それに伊達家の皆々様はどうやらお怒りのご様子。もし宗時殿を取り立てれば、家中にいらぬ衝突を招きかねませぬ。殿はどちらを御取りになりますか?」


 最初から結論は出ているのだ。広継は笑いを堪えながら、主君に意思を確認した。


「決まっておろう。主家を裏切るような者など、どれほど賢かろうとも安心して使えぬわ。役には立った。だが今後も役立つとは思えん。米沢城を得たら、速やかに首を刎ねよ。差配は総次郎に任せる」


 そう言われ、輝宗は慌てて頭を下げた。今のやり取りと果断な決断一つをとっても、自分には出来ないことである。器が違う。輝宗は背中に汗を浮かべながら、そう思った。




 米沢城では本丸に義姫や側女たちが立て籠もり、その周囲を男たちが取り巻いていた。中野宗時、牧野久仲が謀反を起こしたためである。自分に付けば、新田で厚遇されるという言葉に、城に残っていた五〇〇の兵たちも、半数以上が宗時に付いてしまった。


「御方様、新田軍が周囲を包囲しており、城を脱することも困難です。これまで何とか耐えてきましたが、こと此処に至っては、落城は必至でございます。ここで降伏をされても、宗時殿とて無体なことはしますまい。どうか、ご決断を……」


「基信! 其方はそれでも修験者だったのですか。裏切り者に降るくらいならば、死を選びます。間もなく殿もお戻りになられるはず。それまで何としても守り通すのです」


 遠藤文七郎基信は、伊達家の陪臣となる前は修験道の修行を行ったりしていたが、基本的には文官である。とても戦働きには向いていない。だがそれでも、下手くそなりに矢を放ち、義姫と共に本丸を守ろうと奮闘していた。だがついには、本丸にまで宗時の兵が流れ込んできた。義姫たちが立て籠もる一室に、宗時、久仲の親子が荒れくれ者たちと共に入って来る。宗時は基信を一瞥して鼻で嗤った。


「御方様、強きに従うは戦国の習い。どうか無駄な抵抗はお止めくだされ」


「宗時! 其方は晴宗公に見いだされ、伊達家の家老にまで取り立てられた恩を忘れたのですか! このような暴挙、殿が御許しにはなりません!」


「フフフッ、その伊達輝宗は、新田軍によって包囲殲滅されておるわ。時勢の読めぬ愚か者になど仕えられぬ。御方様には、最上家のための人質となってもらいます。それに、倅が御方様に懸想しておりましてな。新たな主君からも、好きにせよとお許しを頂いております」


「クッ…… 下衆めっ」


 涎を啜って自分を視姦する牧野久仲に嫌悪の表情を向ける。遠藤基信は太刀を抜いた。両手がブルブルと震える。怖いのだ。だがここで死ぬとしても、卑怯者にはならずに済む。義姫も基信も死を覚悟したとき、法螺貝の音が聞こえてきた。そして慌てた様子で男が駆け込んでくる。


「申し上げます。新田軍が攻めて参りました」


「ハハハッ! 総次郎は死んだ! さぁ、死にたく無くばここで降られませい!」


 中野宗時は勝利を確信して嗤った。策が嵌まり、他者が右往左往する中で、自分はさらに繁栄する。これこそ策士の妙味であった。だがその嗤いは長続きしなかった。


「それが、御家の旗印もございます! 新田軍、伊達軍合わせ四万以上でございます!」


「……は?」


 宗時の中で、何かが崩れる音が聞こえた。

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