第183話 松川の戦い

 永禄七年(一五六四年)葉月(旧暦八月)、新田軍が千代城に集結しているという話は、伊達家や最上家にもすぐに伝わった。伊達総次郎輝宗は、いよいよこの時が来たかと覚悟を決めた。現在の伊達家の石高はおよそ三〇万石、動員可能兵力は七〇〇〇程度である。勝負は初めから見えていた。


「新田の兵力は御当家の五倍以上、最上も動くに動けぬ状況です。ここは籠城し、蘆名の援軍を待つしかありませぬ」


 家老の中野宗時がそう主張する。この日のために、米沢城の普請を急いできた。新田とて、これだけの兵力を動員し続けることは難しいはず。この城に籠って耐えれば、いずれ蘆名や佐竹も動くだろう。家中の中には、その言葉に同意する者も複数いた。だが伊達家の名将、片倉伊豆守景時は猛反対した。


「新田に籠城は通じませぬ。これまでの戦を調べると、新田は籠城戦においては、火薬を用いて城門を破壊し、僅か一日で攻め落としておりまする。唯一、新田に肉薄したのは柏山明吉だけです」


 そう言って伊達領の地図を示す。


「まず米沢城に籠城すると見せかけ、新田を領内深くに引き入れます。新田軍は四万近くに達しますが、領内の各砦を落とすために兵を分散させるはず。その時に、全軍を出撃させ新田の本陣を突くのです」


 織田信長が桶狭間の戦いで成功した「超長距離奇襲攻撃」である。これを成功させるには、幾つかの条件がある。相手が兵力を分散させて油断していること。自軍の位置を相手に知られていないこと。そして、相手の位置を正確に把握していること。この三つがあってはじめて成功するのだ。近年の歴史においても、この奇襲攻撃が成功した例は「旧日本海軍による真珠湾攻撃」くらいであろう。


「相手は新田ですぞ? そのような油断などしていようはずがない。柏山明吉も失敗しているではありませぬか。もし失敗すれば、米沢城の守りはどうするのです?」


「五倍の敵に囲まれれば同じこと。米沢城に籠城すれば間違いなく負けるが、この策ならば勝つ可能性もある。彼我の戦力差を考えれば、ここは賭けに出るしかない!」


 議論の末、片倉景時の意見が採用された。蘆名や田村、佐竹などかつての新田包囲網に参加した各家に援軍を求める一方、伊達家が独力で新田を打倒するためには、奇襲しかないと輝宗も判断したのである。


「父上の提案は結局、採用されませんでしたが、これで宜しいのですか?」


 評定が終わり、城下の屋敷に戻った中野宗時と牧野久仲は、人を遠ざけた部屋で密談していた。宗時は息子の言葉に暗い笑みを浮かべた。


「フフフッ、むしろ儂の狙い通りよ。輝宗と景時が、全軍を率いて城から出陣する。空き家同然となった米沢城に新田軍を招き入れるのだ。奇襲することを予め伝えておけば、あとは新田が手を打つであろう」


「それで、義姫様は?」


「新田から返書が来ておるわ。最上への人質ゆえに死なすなと書かれているが、生きていればそれで良いともある。まったく…… お前の後家好きも、困ったものだわい」


「クククッ、あの気の強い義姫を手籠めにできると思うと滾ります」


 久仲は下衆な笑みを浮かべた。宗時は呆れながらも、謀を弄して主君を追い詰めることに、暗い喜びを得ていた。だがこの時、屋敷には他にも人がいた。諸国を放浪した末に、伊達家で働きたいと仕官してきた者である。名を遠藤文七郎基信という。


「殿たちは、なんの話をしているのだ?」


 部屋に近づくなと言われているため、話の内容まで知ることはできない。だがなにか良からぬことを企んでいるのではないかという、漠然とした不審を抱いた。そして首を振る。素浪人だった自分に文官の仕事を与えてくれたのである。主君を疑うなどあってはならない。基信は自分にそう言い聞かせた。




「予想通り、輝宗は奇襲を仕掛けて来るらしい。寡兵で大軍に立ち向かう策は限られる。宗時が上手く誘導してくれたようだ。籠城されたら厄介だったからな」


 米沢城を破壊するのであれば簡単である。だが米沢城は出来るだけ残したかった。理由はその位置にある。蘆名と対するうえで、米沢城は必須である。磐梯山を東に見ながら南下すれば、すぐに会津若松に届く。蘆名の目と鼻の先にあるのだ。


「それでは、手筈通り兵を分散させましょう。この松川(※現在の福島県福島市)あたりで奇襲を受けるようにします。ここまで招き寄せれば袋の鼠も同然。三万で一気に包囲しましょう」


「それと別働で五〇〇〇ばかりを米沢城に向かわせます。中野殿が謀反を起こし、城内に入れる手筈となっております。無傷で米沢城を獲れるでしょう」


「フン、宗時には感謝せねばならんな。米沢城を落とした暁には、せいぜい感謝の意を示してやろう」


 謀臣たちは無言で頷いた。又二郎が何を考えているのか察しているためである。主君を見限るだけならまだしも、謀略を持って主家を陥れるなど、又二郎がもっとも嫌う輩である。


「伊達輝宗と片倉景時はできれば捕らえたいところだな。輝宗が降れば、最上も降る。奥州統一が楽になるだろう」


 こうして新田軍三万八〇〇〇は、幾つかに分散して各砦を落とし始めた。この動きを掴んだ伊達総次郎輝宗は、直ちに米沢城を出陣した。だが少しだけ兵力を残した。五〇〇程度であるが、米沢城の守りに置いたのである。これは出陣直前に、自分の元に駆け込んできた男から、中野宗時が不穏な動きをしているという話を聞いたためである。


「義、留守を頼むぞ。それと中野の動きには気を付けよ」


「はい、御前様もご武運を。死んではなりませぬよ? 逃げ帰ってきても、私は笑ったりはしませぬ」


 義姫は本気で夫を心配していた。兄と比べれば凡庸かもしれないが、家中にも家庭にも気を配る誠実さと優しさがあった。一人の女として、義姫は初めて幸せを得ていた。それを壊そうとする者は、誰であろうと敵であった。

 夫の出陣を見送った後、義姫は側女たちを集め、武装し始めた。鉢巻とたすき掛けをして愛用の薙刀を手にする。まるで籠城戦のようであった。そして、夫が残した五〇〇の兵に指示を出す。


「良いですか。何人たりとも近づけてはなりません。城門を固く閉ざし、殿の帰りを待つのです!」


 女とは思えない気迫に、兵たちは誰の指示で動くべきかを即断した。


 一方、伊達総次郎輝宗率いる約六〇〇〇の軍は、新田軍本陣を目指して進んでいた。途中で物見を放つと、松川あたりに陣を構えているという。その数はおよそ八〇〇〇、十分に勝負になるだろう。


「ですが散った新田軍が戻るのに半日も掛かりますまい。二刻で決着をつけ、すぐに引き上げましょう」


 自分たちの動きは敵にも伝わっている可能性が高い。だがここは危険を承知で仕掛けるしかない。首の討ち捨てを命じ、新田軍本陣を目指して一気に松川まで進んだ。




 又二郎のもとには九十九衆によって適時、伊達軍の動きが報らされてくる。周囲に散った新田軍は既に反転しているのだ。伊達が松川に届く頃には、完全に包囲されているだろう。


「できるだけ死者は少ない方が良い。四方から一気に摺り潰し、輝宗を捕らえるのだ」


 本陣で輝宗を待ち構える。やがて掛け声が聞こえてきた。武田守信の指示のもと、足軽や騎兵が整然と動く。輝宗たちも、この動きは覚悟していた。此方が仕掛けてくると判っている以上、敵に混乱などあるはずがない。だがそれでも、僅かな時間であっても六〇〇〇対八〇〇〇という状況を作りだした。両軍が激突し、槍が交わる。


「申し上げます。後方から新たな敵が出現しました。三つ柏の旗印です!」


「なんだと! 早過ぎる!」


 柏山明吉の軍である。さらに三田重明や九戸政実などの軍が、続々と集結し始めていた。戦が始まって、まだ半刻といったところである。


「謀られたか……」


「殿、最早これまでです。某が退路を切り拓きます。なんとか、米沢までお戻りくだされ」


 片倉伊豆守景時が顔を歪める。輝宗は瞑目した。普段は気が強いのに、生きて戻れと泣きそうな顔で自分に縋った愛妻の顔を思い浮かべる。歯ぎしりし、そして肩を落とした。

 これが父親の晴宗であったなら、たとえ何を犠牲にしようとも米沢城に逃げたであろう。だが輝宗は、父親のような獣を身中に飼ってはいなかった。伊達家当主としての責任感や、それを果たす力量もある。だが基本的には、家臣と家族を愛する温厚な家庭人というが輝宗の本質であった。


「兵ばかりか、伊達の宿老である其方まで死なせるわけにはいかぬ。ここは降ろう」


「殿!」


「陸奥守は、降った者には寛容だと聞いている。少なくともこれ以上、死者が出ることはあるまい」


 永禄七年葉月下旬、伊達輝宗は松川の戦いにおいて、新田に降伏を決断した。短時間の戦であったため、両軍の犠牲はごく僅かであった。

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