第148話 謀臣の苦悩

 小野寺氏本城である出羽国横手城に戻った八柏大和守道為は、すぐに主君のもとに駆け付けた。小野寺輝道は信頼する謀臣の顔色を見て、ただ事ではないと察したのか、人払いした。普段は泰然としている家中きっての知恵者が、ワナワナと震え自信を失っている。長い付き合いだが、このような姿は見たことが無かった。


「一体どうしたのだ? 其方らしくもない」


「……殿、誠にお詫びのしようもありませぬ。この道為、腹を斬って詫びまする」


「だからどうしたのだ? 何について謝っているのか解らなければ、責の問いようもない」


「新田は、我らが知るあらゆる武家、大名とも違います。いや、その考え方はもはや日ノ本の者ですらありませぬ。異国から来た、我らとはまったく違う考えを持つ異人でございました」


「檜山で、なにかあったのか?」


 落ち着かせようと、できるだけ朗らかに問い掛ける。道為は瞑目した後、語り始めた。


「某は、新田が国人の土地を取り上げて統治するのは、そのほうが内政をしやすくなり、統治も行き届くからだと考えておりました。なればこそ、従属の形で生き残る道もある。実際、檜山安東家も従属が認められたこともあり、可能性はあると考えておりました」


「そうだな。安東はその後、土崎や由利を攻めた。そして大敗し、国人衆を束ねられなくなり、止む無く新田に臣従した。我らは他を攻めたりはせぬ。今の領地を守り、内政で栄えさせる。由利、酒田という二つの湊もある。十分に可能であろう」


 だが道為は首を振った。


「違うのです。安東が臣従したのは、負けたからでも国人衆が離れたからでもありませぬ。新田が目指す天下とは、これまでの武家の天下とはまるで違うのです。新田は、武家という存在そのものを、この日ノ本から消し去ろうとしているのです。某は、それに気づきもしませんでした」


「……どういうことだ? 一体、檜山でなにを見て、なにを聞かされた?」


 道為は檜山城において、安東太郎愛季から聞かされた話をしはじめた。すべての土地を朝廷に返し、帝から委託される形で新たな行政府を整える。産業を振興し、商いも納税も、すべて銭で行われる。武士も百姓も関係なく、すべての民に等しく教育を施し、一つの法の下で統治される世界。


「元大名、国人の禄はすべて銭で支払われます。銭を流通させるには、様々な物産を行い、それを買える環境を整えねばなりません。そして銭のやり取りが普通にできるようにするため、すべての民に読み書きと算術を教えねばなりません。新田にとっては陸奥や出羽などはただの地名であり、国名ではないのです。日本国が唯一の国名だと断言したそうです。一国一城の主など、新田は決して認めません」


「つまり、従属は認めぬと?」


「いえ、望むのならば従属を許すとのことです。ただし、その後は辛いだろうと。米を中心とする旧態依然とした武士の統治を行う限り、新田には決して追いつけぬ。隣の豊かさを羨み、民はどんどん離反するか、あるいは一揆を起こすだろうと仰せでございました」


 小野寺輝道は、腕を組んで考え込んだ。輝道は、大宝寺家の居候であった身から、出羽屈指の大名となった男である。戦の強さだけでなく、先見性と統率力に優れている。内政家としては、横手城の城下町と街道を整備し、交通の要衝として街を栄えさせた。だからこそ、道為の話から朧気ながら、新田の統治の恐ろしさを想像することができた。


「道為はどう思うぞ?」


 胸の中にあったものを吐き出したのが良かったのか、道為の顔色は普段に戻っていた。だがその瞳には強い決意が浮かんでいた。なんとしても主君を説き伏せねばならない。そう覚悟している瞳であった。


「恐れながら、新田への御臣従をお考えくだされ。安東が従属していた頃と今とでは、新田の大きさは違います。今後、新田は従属大名を必要としません。臣従して土地を差し出すか、あるいは滅びるか。二つに一つしかないのです。それを心底理解しました。某の、読み違えでございまする」


 道為は手をついて頭を下げた。腹を斬れと言えば、ここで切腹しかねない。それ程に責任を感じていた。輝道は深く息を吐いた。従属が認められないという可能性は考えていた。だがまさか、敵対しても従属しても滅びる運命しかないとは思っていなかった。新田の恐ろしさは、石高でも兵力でもない。その統治の有り様そのものが、他家を追い込む武器となっている。存在しているだけで、周辺の国はどんどん民を失い、貧しくなる。なんと恐ろしい存在なのか。


「……ならば、戦しかあるまいな」


「殿!」


 八柏道為はいま一度、諫言しようとした。だが輝道は片手を挙げて、道為の発言を止めた。


「其方の言いたいことは、良く解っている。新田に臣従したほうが利口であることもな。だが道為よ。我らのこれまでを思い返してみよ。由利衆や稲葉一門から支援を受け、ようやく横手城を取り返した。そして豊島と謀って仙北を攻め獲り、続いて由利を獲った。戦の数だけ、敵も味方も死んだ。謀によって豊島も由利衆も滅んだ。我らが殺し、我らが滅ぼしたのだ。それなのに我が身の可愛さで、戦いもせずに土地を差し出すなど、許されることではない」


 それはただの感傷でしかない。新田と戦をすれば、間違いなく負ける。小野寺の兵力は頑張っても一万二〇〇〇程度である。一方の新田は、戦となれば四万以上で攻めてくるだろう。とても戦にならない。


「一度で良いのだ。勝ち負けではない。武士としてのケジメのために、新田と戦をせねばならぬ」


 新田と一戦する。己が、己であるために。武士として生まれ、武士として生きてきた一人の男の叫びであった。道為は悔しかった。様々な策謀を弄してきたが、私欲で策を用いたことなど一度としてない。すべて小野寺家のため、主君のためである。それなのに、主君にこうした決断をさせてしまった。こうした道しか取れなくしてしまった。深い悔恨に歯噛みした。


「其方はよう仕えてくれた。だが、ここから先の謀略は不要だ。新田と一戦した後、着地を付けねばならぬ。それが出来るのは其方しかおらぬ。腹を切るのならば、その後にせよ」


「安東太郎愛季殿を通じて、新田殿にお伝えいたしまする。華々しく、正々堂々と戦おうと」


 道為の肩に手を置き、そして輝道は部屋を出た。一人残ったその部屋から、呻き声がしばらく続いた。




「そうか。小野寺は一戦することを選んだか」


 浪岡城の自室において、安東太郎愛季からの書状を読んだ又二郎は、しばらく考えた。又二郎の中では、小野寺輝道の評価は高い。史実においても、徒手空拳の状態から横手城を取り返し、出羽地方に確固たる地位を築き上げた。戦にも内政にも強く、家中の統率力も優れている。著名な武将で例えれば、織田信秀並みだと思っていた。


「できることならば、重臣に加えたいな。輝道も道為も……」


 別の書状を取り出す。関東に入った九十九衆からの報せであった。北条氏康がついに反撃を始めたという。小田原城付近の合戦で勝利し、玉縄城に迫っているという。だが小田原城は再建不可能なほどに破壊されているため、韮山からの補給に困難があるそうだ。


「北条の反撃が史実よりも遅くなれば、里見の力はその分増す。関東は群雄割拠となるだろう。本来なら上杉が毎年のように北条を攻めるはずなのだが、それは無くなりそうだな」


 続いて、その上杉の様子を報せる書状を開く。越後においては武田との決戦に備え、動員が掛かったと書かれていた。永禄四年(一五六一年)の大戦、川中島の決戦である。


「武田信玄にとって、海への出口は喉から手が出るほどに欲しいはずだ。一方、上杉にとっては信濃の安定が最重要だが、これは関東攻めの際に背中を脅かされないようにするためだ。北条の力が史実以上に衰えたいま、そこまで関東攻めに拘るだろうか?」


 自分が上杉の立場ならどうするか。自分ならば川中島の決戦などしない。だが史実では決戦が行われているのだ。ここで考えても詮無いことである。又二郎はしばらく考えて、首を振った。

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