第147話 内政問答

「新田では、上杉との交易が盛んだ。だから俺のところにも、越後の噂や上杉家についての情報が入ってくる。上杉政虎という男は単純な戦バカというわけではない。それは俺も認める」


 頭巾の男、虎太郎は黙っているが、周りにいる四人の男たちは眉間を険しくし、長江屋長次郎は緊張しながらも又二郎の話に釘付けとなっていた。


「だがな。銭や米を蓄えるのは得手なのかもしれんが、それを増やすという考えがまるでない。例えば青苧だ。青苧座を押さえ、そこから巨利を得ているのだろうが、商品である青苧は誰が作っている? 越後の小さな集落で暮らす名もなき百姓たちだ。青苧座の商人が手ずから育てているわけではない」


 虎太郎は反応しないが、長次郎は真剣な表情で頷く。


「俺であれば、青苧で稼いだ金は青苧のために使う。物流網を整え、青苧が作りやすいよう土地を拓き、青苧に関わる農民の賦役を免じる。そればかりか青苧に代わる産業を考える。今でこそ青苧は売れているだろうが、その買い手の多くは新田であろう。だが、新田でも青苧は作っているぞ。しかも越後よりもはるかに効率的にだ。このままいけば、いずれ越後から買う必要はなくなる。そればかりか越後よりも安い値で、越前を通じて畿内にまで流通させる。越後の青苧は売れなくなり、いま手にしている利もなくなるだろう。そうなったら上杉はどうなる?」


「そ、それは真でございますか? そうなれば当…… いや上杉家は確かに困りましょうな」


 又二郎は長次郎に顔を向けて頷き、再び虎太郎を見据える。


「民を見ていないとはそういうことだ。先の北条攻めでも、小田原を落とした後はさっさと引き上げたと聞く。踏み荒らされ略奪された民は、上杉に憎悪すら抱いているだろう。後に入った国人たちは、民に与えるのではなく、民から収奪することしか考えぬ。関東の民に聞いてみると良い。北条に治めて貰っていた頃と今、どちらが良いかとな」


 虎太郎は微かに、左手を握りしめた。それに気づいていないのか、又二郎は明るい声で続けた。


「上杉政虎は義のために兵を興し、関東に攻め込んだと言っているそうだな。だがそれで、誰が幸せになったのだ? 確かに関東の国人たちの留飲は、下がったかもしれぬ。だが多くの民が苦しみ、不幸になった。それに気づいていないどころか、正義の戦だとほざいている。俺から言わせれば、上杉政虎は山賊以下だ。なぜなら山賊は、奪い苦しめているという自覚があるが、政虎にはそれすらないのだからな」


「……止めよ」


 又二郎の言葉に我慢できなかったのか、立っていた四人の若い侍たちは一斉に腰に差していた刀に手を伸ばした。だが虎太郎が低い声で命じると、手を放して頭を下げた。憤怒の表情に変わりはないが、少なくとも落ち着いていた。


「失礼、なにか気に障ることがあったようだな。まぁ遠からず、越後も関東も新田領になる。そうすれば民は豊かに平和に暮らせるようになるだろう。民を苦しめることしか知らぬ者を倒し、新田が豊かにする。これこそ義だ。新田が日ノ本を治めることで、もっとも多くの人が幸福になるのだ。俺が戦をする理由だな」


 話がひと段落したところで、側仕えとして同行していた石川信直が近づいてきた。長江屋たちに一礼し、又二郎に用件を告げる。


「殿、檜山より遣いが参りました。小野寺から使者が来ているそうです」


「ほう、来たか。行こう」


 立ち上がった又二郎は、長次郎、そして虎太郎に朗らかな顔を向けた。


「いや、面白い話を聞かせてもらった。ここの支払いは俺が受け持つゆえ、存分に食って飲んでいかれよ。では、いずれまた会おう。関東管領殿……」


 そう言って席を離れた。




 又二郎たちが去った後も、頭巾の男は黙ったままであった。


「御実城様、気づかれておりましたな。いや、それも当然ですな。其の方ら、殺気を出し過ぎだ」


 長江屋長次郎こと直江神五郎景綱は、若侍四人をギロリと睨んだ。頭巾を外した上杉政虎は、フゥと息を吐いた。その表情には怒りはない。無表情に近いが、目元から楽しんでいたように見えた。


「……あれが、宇曽利の怪物か」


「そのようですな。怪物とはよく言ったものです。新田は内政に力を入れているとは聞いていましたが、我らとは根本的に違いますな。民を慈しむ大名は他にもいますが、陸奥守はそれとも違うようです」


「……酒を」


「御実城様、ここは危険では……」


 近習の一人がそう口にするが、政虎は無視して酒を運ばせた。ここで自分たちを襲ったり、毒を盛ったりするとは思えない。あの怪物の器はそんな小さなものではない。見た目は若いが、あの胆力は一体なんだ。自分よりも年上とすら思えた。


(あの男と似たような者が、かつていただろうか…… 武田とはまるで違う。内政家という意味では北条が近いかもしれないが、ただ民を愛し、豊かにするというだけではない。新田にとって、内政は手段であり目的ではないのだ。新田の目的、それは日ノ本すべてを領すること。いや、それすら手段だろう。一体、なにを見据えているのか)


 栃尾城の戦いにおいても、川中島においても、小田原攻めにおいても、政虎は恐怖を感じなかった。だが今日、理解不能な怪物と相対して、はじめて得も言えぬ感覚に襲われた。酒を飲みながら、それこそが恐怖なのだと認めた。


(新田は、上杉にとって最大の敵となるであろう。いずれ戦は避けられぬ。そのためにも、もう少しこの街を見ておくか……)


 新田陸奥守政盛と、関東管領上杉政虎の邂逅は、こうして終わった。両雄が再び会うのは、もう少し先のことである。




 八柏道為は、檜山城への道中で新田領内を観察していた。集落では、百姓の家とは思えぬ立派な建物が並び、田畑は綺麗に整えられ、見たことも無い道具を使って田植えを行っていた。能代湊は活気にあふれ、銭でのやり取りが当たり前に行われている。町人たちは着飾り、酒どころか甘味までが当たり前に売られていた。そして道である。小石を敷き詰めた幅広い道が一直線に敷かれ、馬に牽かれた荷車が行き交いしていた。いざ戦となったら、怒涛の速さで軍が駆け抜けるのだろう。


(やはり勝てぬ。当家が生き残るためには、ここで従属を認めてもらうしかない)


 小野寺は出羽国の中央域である平鹿、仙北、由利、川辺(※現在の豊島郡)、田川(※最上川河口域)を領する大名となった。その石高は五〇万石を越え、大きさだけなら伊達や最上よりも上である。だが新田は、先の戦でさらに土地を広げ、四〇〇万石に達している。この先、天童や延沢を飲み込んだところで、新田にはとても及ばない。

 ドスドスと足音が聞こえる。檜山城の大広間に、若い男と共に数人が入ってきた。八柏道為は両手を床について深々と頭を下げた。


「お待たせした。俺が新田政盛である。小野寺家随一の謀将と噂に聞く大和守(※八柏道為のこと)殿自らがお越しとは、驚いたな」


 当主の座に座ると、家臣たちも両端に座った。石川高信、南条広継、武田守信、安東愛季の四人である。相手が謀将ということもあり、新田家中でも謀略に長けた者たちを集めた。


「小野寺殿の書状は読んだ。新田への従属を求めているそうだな」


「御意。現在、当家が領する五郡のうち、川辺と仙北をお返しいたしまする。平鹿、由利、田川を合わせておよそ三〇万石、手勢七〇〇〇。お認め頂ければ、奮迅の働きをいたしまする」


「ふむ…… 左衛門尉(※石川高信のこと)はどう思うか?」


「は…… 正直に申せば、小野寺殿はあまり信用できませぬ。仙北を領していた戸沢家と手を組み、湊安東衆と戦いつつ、裏では豊島と手を組んでいた。さらに戦が終わった後は、手の平を返して戸沢を攻めた。はかりごとと言えばそこまでですが、某はあまり感心しませぬ」


「うむ…… 越中(※南条広継のこと)の意見は?」


「一考には値するかと。ただし御家に従属するのであれば、仮名目録(※分国法)にも従っていただく必要がありまする。そうでなければただの盟と同じでございます」


 武田守信も同様の意見を出す。特に商いの規則や関所や街道、利水については新田が持つべきだと強調した。そして最後に、安東太郎愛季が意見を述べる。


「殿、某は八柏殿に伝えたいことがございます。宜しいでしょうか?」


「構わぬ。大和守も良いな?」


 八柏道為は頷き、安東愛季の方に躰を向けた。安東家はかつて、豊島と小野寺の策謀で大敗している。傅役であり重臣であった大高筑前守道忠をはじめ、多くの者を赤尾津で失った。安東家の旧臣には、小野寺に憎悪すら持つ者もいる。

 だがこの時の安東愛季の眼差しには、怨讐など一切なくむしろ憐憫すら浮かんでいた。


「安東家もかつて、新田家に従属していた。その時の経験から申し上げる。小野寺の家を思ってのことならば、止めておかれよ。従属すれば、より苦しい思いをされるぞ?」


「それは……どういう意味でしょう?」


「小野寺殿は、内政にも明るい御仁と聞いている。そのため殿も、こうした場を設けられたのだろう。かつて安東家も、新田家のやり方を真似て内政に力を入れて、豊かになろうとした。だがその結果、失敗した。その時の経験から申し上げる。上辺だけ真似ても駄目なのだ。武士が土地を治めるという、統治の根本が違う。米が幾ら採れるかで決める石高という考え方。それに囚われる限り、民は豊かになるかもしれぬが、逆に御家はどんどん貧しくなるぞ」


 八柏道為は、安東太郎愛季がなにを言っているのか、まるで理解できなかった。だがその表情から、本気で小野寺を思い遣っての発言であることは解った。


「ふむ…… いずれにせよ、今日この場で決めることは出来ぬ。太郎よ。大和守殿の案内役は其の方に任せる。大和守殿も、今の話をもう少し詳しく聞きたかろう」


 八柏道為は慌てて一礼した。自分は、なにか根本的な勘違いをしていたのではないか。ジリジリとした焦りを感じていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る