第146話 頭巾の男

 伊豆韮山にある韮山城は、一六世紀にはすでに完成していたと言われている。伊勢盛時、後の北条早雲がこの城を手にした時には、既に齢五〇を過ぎていたと言われている。だが早雲はそこから破竹の勢いで領地を拡張する。伊豆平定よりも前に小田原城を落とし、さらに鎌倉を攻めて玉縄城を築いた。駿河の興国寺城を西端として、伊豆、相模、武蔵の一部を領する大国を築いたのである。その期間は僅か二〇年。現代人の感覚で言えば、五〇歳で起業して二〇年で社員一万人の企業を育て上げたようなものであろう。まさに立志伝中の人物といえる。


 現代においても、こうした立志伝中の人物の後を継ぐのは苦労するが、北条早雲が幸運であったことは、跡継ぎに恵まれたことだ。嫡男の北条氏綱は父親の血を色濃く受け継いだのか、政戦両面において父親に勝るとも劣らない実績を残す。扇谷上杉氏と争いながら領地を拡大させ、武蔵国半国から下総国(現在の千葉県)の一部にまで勢力を伸ばす。その一方で内政家としても極めて優れており、伝馬制による物流網の整備、検地の徹底、革製品などの産業振興、鶴岡八幡宮をはじめとする神社仏閣の造営などを行った。

 始祖である早雲が興した北条家を、二代目の氏綱が完成させたといえるだろう。


 そして今、北条家の三代目と四代目が始祖の地である韮山城に籠っていた。小田原城を失いはしたが、上杉勢の撤退により関東は混沌の状態となっている。その中で、北条家は未だに大きな力を持っている。ここから再起を図ることは難しくはない。


「まずは相模を取り戻す。小田原城は破壊されたと聞いているが、あの巨城を更地にすることなど、出来ようはずがない。我らは武田、今川と盟を結んでおり、後顧に憂いはない。年内に小田原、そして玉縄まで取り返すのだ」


 平時においては、四代目の氏政でも十分に当主は務まったであろう。だが危機においては、より強いカリスマ性が求められる。三代目である氏康が一時的に隠居を取りやめ当主として戻ったことにより、北条家は一致団結した。




「御屋形様、北条はなんと?」


「相模を取り戻す故、力を貸して欲しいと来ておる」


 甲斐国躑躅ヶ崎館では、甲斐守護職武田信玄以下、重臣たちが集まっていた。大敗した北条とどう向き合うか。そして上杉家との決戦について話し合うためである。

重臣を代表して、実弟の武田左馬助信繁が北条から届いたという書状について尋ねた。その内容を聞いた重臣たちは、なんとも言えない表情となった。


「兄上。北条の話、些か虫が良すぎるかと存じます。我らは一度、北信濃にて越後を伺い、北条を援けておりまする。上杉…… いや、長尾を退けられなかったのは北条殿の失態。如何に盟を結んでいるとはいえ、これ以上は不要かと……」


「それに現実的に、長尾政虎は越後春日山に戻っておりまする。早晩、川中島に出てくるのは必定。我らに北条を援ける余裕などありませぬ」


 真田源太左衛門幸隆が、膝を叩いて面白くなさそうに言う。信玄は黙って家臣たちの話を聞いた。最後にもっとも信頼する宿老に問い掛ける。


「飯富はどう思うか」


 飯富虎昌は、嫡男である武田太郎義信の傅役もりやくであるが、それ以前に武田家譜代の宿老として家中で重きを成している。戦に強く、甲山の猛虎と呼ばれた猛将だが、決して荒々しいだけの男ではなく、全体を俯瞰する視野も持っていた。


「長尾は黙っていても川中島に出てきます。なればここで、決着をつけねばなりますまい。長尾を倒せば、それは北条への援護にもなると考えまする」


「うむ。儂も同じ思いじゃ。長尾とはこれまで三度に渡って相対してきたが、睨み合いや小競り合い程度であった。だが此度は違う。武田の全軍をもって、川中島で決着をつける。信繁、甲斐、南信濃から兵糧を集めよ。決戦は恐らく葉月となろう。三月分の兵糧を整え、北に送るのだ」


「はっ」


「真田、北信濃にくまなく人を配置し、長尾の動きを探れ。兵の数は無論、率いている将、馬の数、装備から各集落の様子まで、詳しく調べよ」


「ははぁっ!」


「飯富、此度の戦には太郎も連れていく。長尾は手強き相手、それゆえ太郎にとっても良い経験となろう。だが太郎は若く、直情的なところがある。長尾の挑発に、あるいは乗ってしまうやもしれぬ。傅役として、しっかり支えるのだ」


「お任せくだされ」


 各重臣にしっかりと指示を出す。言葉の少ない上杉政虎とは、まるで対局であった。それぞれの個性を生かしながら、具体的な指示を出し、そしてしっかり論功する。それが武田信玄の頼もしさであった。


「最後に、美濃…… お前は留守番じゃ」


「なっ…… 殿、某は……」


さきの合戦の傷が、まだ癒えておるまい。戦はまだまだ続く。無理をせず、しっかり養生せよ」


「左様。戦えぬ美濃殿など、濁声の煩いただのジジイでござる。ここは我らに任せ、酒でも飲んでおられよ」


「おのれ、真田ぁっ!」


 鬼美濃と恐れられる猛将、原美濃守虎胤とらたねと、武田家中きっての謀将である真田源太左衛門幸隆の掛け合いは、評定では恒例であった。真田が揶揄い、原が怒る。それを見て周りがまたかと笑う。当主である信玄も、この程度の空気の弛緩は許していた。

 武田信玄、四一歳。上杉政虎、三一歳。歴史に名を残す両雄の激突が始まろうとしていた。




 永禄四年水無月(旧暦六月)、新田又二郎政盛は出羽国能代湊に来ていた。檜山城は一度見ているが、能代湊は初めてであった。せっかくなので二人の嫁も連れてきている。


「これはこれは陸奥守様。それに奥方様方まで。わざわざ足を御運び下さるとは……」


 又二郎を出迎えたのは、能代湊の顔役をしている材木商、清水治郎兵衛政吉である。出羽北部は白神山系もあり、良質な材木が得られる。領内の至る所で建設が行われている新田家にとっては、材木は幾らあっても足りない。湊を見回りながら、商いの様子について聞く。


「陸奥守様の御支援もあり、間伐に力を入れておりまする。伐採した木は材木として使えますし、植えた木の育ちもよく、今や能代は十三湊にも負けぬ湊となっておりまする」


「うん。活気があるし、商いも栄えているようだな。幾所から良い香りが漂っている。先ほどから嫁らが腹を鳴らしているし、美味い店を案内してくれぬか?」


「「御前様!」」


 二人が声を揃える。又二郎は笑いながら街を見回した。奥州の七割を領する大大名が来ているとなれば、さすがに町人たちも委縮してしまうのか、様子を伺うような素振りを見せている。その中で、浪人風な男たち数名が座る店を見つけた。だが荒らくれ者たちとは思えない。着ている服は質素だが立派なものだし、動きも機敏である。

 頭巾を被った男と、商人のような恰好をした男がいて、それを取り囲むようにして守っていることから、どこかの国人か、あるいは博多から来た大店かもしれないと思った。


「あそこにしよう」


 興味を持った又二郎は、その店へと向かった。店主がえらく恐縮し、他の客を追い出そうとするのを止める。たとえ奥州の支配者だろうが、今は一介の客に過ぎない。店主に過剰なほどの金を渡し、客たちに酒を振る舞う。最初は緊張していた他の客も、徐々に安心したようで食事を再開した。


「ふーん、中々の味だ」


 甘めの味噌を塗って焼いた握り飯を頬張りながら、又二郎は先ほどの浪人風の男たちのところに向かった。商人のような恰好をした男が、恐縮しながら立ち上がる。だが中心に座るのは頭巾を被った男である。


「これはこれは…… 私めは、博多の商人で長江屋ながえや長次郎と申します」


「新田陸奥守政盛である。博多から来られたのか。宜しければ、博多や他の土地の話を聞かせてくれぬか? 食事代は此方が持とう」


「それは……」


 長次郎はチラリと頭巾の男に視線を向け、微かに縦に動くのを見てフゥと息を吐いた。


「実は博多の店は潰れてしまいまして…… 弟と共に心機一転、新たな店を持とうかと越後を通り、ここまで来たのです」


「そうか。それは大変であったな。ではまず、越後の話を聞かせてくれ。その上で、この能代をどう見たか聞かせてくれると有難い。言葉遣いなどは気にするな。今の俺は大人に学ぶ、一五の若造だ」


 そう言って長椅子に座る。長次郎は諦めたのか、越後の話を始めた。又二郎は頷きながらも、頭巾の男から視線を外せなかった。相手もまた、ジッと又二郎を見つめている。


「なるほど。上杉政虎は青苧座を治め、商いに力を入れているのか。戦にばかり強いと思っていたが、やるではないか。だがまぁ、もっと根本の部分がダメだがな」


「そ、それは……」


 長次郎が慌てる。だがここで頭巾の男が動いた。


「失礼。某、長次郎の弟で虎太郎こたろうと申す。先ほどの話、もう少し聞かせていただけぬか。某も上杉政虎はダメな男だと思うのだが、どこがどうダメなのか、上手く言えんのだ」


「みじょ…… いえ、失礼しました。弟は私よりもずっと器が大きく、本来ならば店を継ぐはずだったのですが、病にて顔が、酷く醜く・・・・崩れてしまい、こうして頭巾を被っているのです。どうかご容赦を……」


 酷く醜くという部分を強調しながら、長次郎はそこで引き下がった。又二郎は頷いて、虎太郎に顔を向けた。口元は笑っているが、眼は笑っていない。長次郎はゴクリと唾を飲んだ。


「上杉政虎のダメな部分はな。民を見ておらぬところだ」


 虎太郎は頭巾の中で、微かに目を細めた。

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