第149話 最上の動き

 奥州以南の国々が蠢いている。佐竹義昭は史実よりも一年早く、嫡男の義重に家督を譲り、半ば隠居状態となっている。そしてその義重は、下野国(※現在の栃木県)の那須氏、小田氏と戦い始めた。史実でもその流れなのだが、時期が早まっている。里見と盟を結び、常陸と下野の統一に乗り出したようだ。

 その里見は、安房国、上総国、さらに下総国の過半まで領している、現在の千葉県とほぼ同じ形となり、関東有数の大名となった。今は新しい領地を治めつつ、武蔵国を攻めるための準備も始めている。


 武蔵国は混沌としている。扇谷おおぎがやつ上杉家は、天文一五年の川越夜戦にて滅亡したが、その家臣集団は残っている。その中でも特に力を持っているのが、武蔵国の北部を領する「太田氏」であった。当主の太田資正すけまさは、先の長尾景虎による関東攻めの際に、武蔵松山城を攻め落とし、そこを領している。

 同じように武蔵国で力を取り戻したのが大石氏である。大石氏はもともと、関東管領の宿老という家柄であり、高月城(※現在の八王子付近)を本城としていた。川越夜戦後は越後まで落ち延びたが、今回の北条攻めによって旧領が回復したのである。常に関東に居続けることができない上杉政虎に代わって、宿老として関東公方と調整をしながら、関東の仕置きを決めるのが役目である。

 そして肝心の関東公方は、北条の血を引く足利義氏を排除し、先代の関東公方足利晴氏の長男である足利藤氏が、古河公方として古河城(※現在の茨城県の西端、埼玉県久喜市の北東)に入った。


(史実では、北条が僅か一年で力を取り戻し、藤氏を再び追いやってしまう。結果として藤氏は関東公方としての名は残されていない。だが関東管領上杉は無論、佐竹や里見、さらに近衛前久まで認めていたのだ。数年、公方として居続けていたら、関東の歴史も変わっただろう……)


 新田又二郎政盛は、恐山山系の麓にある歓楽街に来ていた。祖父の顔を見ることも目的だが、書類仕事で疲れたため、気分転換を兼ねての休みを取ったのである。


「御前様、また仕事のことを考えているのですか?」


 呆れた表情を浮かべながら、桜が部屋に入ってくる。精神年齢は老人であろうとも、身体は若々しく当然ながら生理反応もする。この数日、桜と深雪という嫁二人を日替わりで交互に、褥を共にしていた。現代人から見れば爛れ切った生活である。


「お休みもあと一日なのですから、せめてそれまでは、仕事を忘れては如何ですか?」


「そうもいかぬ。俺が休んでいる間も、他は様々に動いているのだ。そう思うと、どうも落ち着かん。何もかも忘れてお前に溺れたいのだが、天下がそれを許してくれん」


「なら、せめてこの一時だけでも……」


 又二郎は手を伸ばして、桜の頬を撫でた。二人の顔が近づく。その時、ドタドタと足音が響いた。


「殿ぉっ! 浪岡から至急の遣いが……うわぁぁっ!」


 ガラリと襖を開いた石川信直が、仰天して床に額をこすりつける。桜は不満そうであったが、又二郎は苦笑して体勢を整えた。


「構わん。どうやら休みもここまでのようだな。通せ」


 浪岡からの遣いが持ってきた書状を読む。書かれていたのは伊達と最上の動きについてであった。


「奥州探題を継いだ伊達輝宗と、羽州探題最上義守の一女、義姫との婚姻か。最上家嫡男義光が仲人を務めるとある。急な動きだな。だがこれにより、両家は切っても切れぬ縁を結んだことになる。俺が動かない隙に、少しでも力を回復させようという魂胆であろうな」


 そう言って、書状を信直にも見せてやる。父親の石川左衛門尉高信は、家老という重臣である。その嫡男である田子九郎信直には、父を超える存在となってもらいたい。これまでは比較的本人の好きにさせていたが、そろそろ鍛え始めねばならないだろう。


「田子九郎はどう思うか?」


「は…… 伊達と最上が手を組み、当家に対抗しようという腹積もりなのでしょう」


「そんなことは当たり前だ。考えるべきはその後の伊達、最上の動きだ。最上は後方の憂いが無くなった。となれば、どう動くと思う?」


「それは…… どこかを攻めるのでしょうか。ですが天童や延沢は最上家の一族では……」


 やれやれと思った。一族なのだから自分の味方と考えているようでは、南部晴政があれほどに苦労することはなかった。まだ齢一五なのだから仕方がないが、これは鍛えねばならないだろう。


「いいか。確かに天童にも延沢にも、最上氏の血が入っている。だが天童氏は、もともと清和源氏里見氏の流れを汲んでいる。最上の血が入ったのは後からだ。つまり本来の家柄としては、最上とは何の関係もない。延沢もそうだ。最上の家臣というよりは、天童の一族と言えるだろう。さらには延沢には銀山がある。最上が全盛だった頃は従っていたが、先の戦で最上は大きく力を落とした。となれば、どうなる?」


「羽州探題と天童、延沢の間で、争いが?」


「必然であろうな。天童や延沢は、最上八盾と呼ばれているが、この最上は最上氏のことではない。最上という地方名のことだ。天童や延沢には、最上家に対する忠義など微塵もあるまい」


 田子九郎は、なるほどという表情を浮かべた。又二郎は額に手を当てた。まだ見えていないようだ。この婚儀にはさらに奥があるというのに。


「天童、延沢と争う。最上家中には、それを面白くないと思う者もいるだろう。また戦か、今は内政に力を入れるべきではないか。そうした声は、やがて一つの流れを生む。今回の戦は、奥州探題と羽州探題によって始まった。奥州探題は戦で討死したが、羽州探題は生きている。なんの責任も取らないのかとな」


 又二郎は田子九郎から書状を取り上げ、指でつまんでヒラヒラとさせた。


「今回の婚儀は、両家を結び付けて天童、延沢ら最上八盾に後顧の憂いをなくしたという姿を見せるのが一つ。もう一つは家中に向けてだ。この婚儀を結んだのは嫡男の義光の手柄。実際は違っても、形の上ではそうなっている。これは家督相続のための準備だ。早晩、最上義守は隠居するであろう」


 僅か一枚の書状からそこまで読み取れるものなのか。田子九郎信直としては半信半疑であった。だが浪岡城に戻ってから知った話で、主君の恐ろしさを改めて実感した。最上義守が隠居したのである。




「伊達、最上ともども当主が若返りました。これは、当家にとってはあまり宜しくないことです」


 浪岡城の評定の間では、又二郎と重臣たちが集まって、陸奥と出羽に残る大名、国人たちをどう対処するかについて、話し合いが続いていた。残っているのは大きなところでは伊達、最上、小野寺、蘆名、天童、延沢、田村、相馬、二階堂あたりである。石高も動員兵力も、新田には及ばない。それどころか連合軍の失敗により、もはやバラバラの状態となっている。


「そうだな。輝宗も義光も、父親よりは頭が柔らかいだろう。新田の統治についてもある程度は理解できるに違いない。だが時期と継ぎ方が悪い。強硬姿勢を見せぬ限り、家中は纏まるまい」


 東北地方のみならず、戦国時代の大名家とは国人の集合体である。当主の意思のもとに結束して従うというのは、織田信長の中央集権体制から来る幻想にすぎない。実際には様々な国人たちが意見を出し合い、調整(※談合)し、根回しを掛けて、ようやく一つに決まるのである。当主の意見が無視されるというわけではないが、個人的な思いで国を動かせるほどには纏まっていないのが普通であった。


「特に伊達ですな。伊達家にとって、当家は不倶戴天の仇です。どちらかが滅びるまで、戦を諦めることはありますまい」


「そういう意味では最上も似たようなものだな。最上義光は家中でも評判が高く、期待されているそうだ。その期待に応えるためにも、天童や延沢を取り、出羽に地位を築こうとするだろう」


 又二郎は満足して聞いていた。チラリと石川信直に視線を向けると、聞き落としが無いよう、必死になっている。それでいい。一〇年後には、この面子の中に加わっていて欲しいのだ。そのためにも学び、考え、試さなければならない。幸いなことに、新田には次代を担う若手も揃い始めている。彼らを鍛える場をもっと作らねばと思った。


「殿。小野寺ですが、本気で戦うつもりでしょうか? 某には、小野寺輝道は自分を納得させたいだけのように見えるのですが……」


「ふむ…… 藤六は、小野寺の心情が解るか?」


「そうですな…… 小野寺輝道は、一度として殿に会ったことがありませぬ。人から話を聞いているだけです。それゆえ、納得し難いのでしょう。武士としての矜持と家を守るという現実の狭間で、苦悩しているのだと思います。ケジメと申しますか、踏ん切りが必要なのでしょう」


「なるほど。武士とは、不自由なものだな……」


 又二郎がしみじみと呟く。重臣たちは微妙な表情を浮かべた。それを言っている本人自身もまた武士ではないか。それをまるで、他人事のように言う。宇曽利の怪物は、自分のことを武士と捉えていない。この言葉が、その証拠であった。


「殿、小野寺と一度、お会いになられてはどうでしょう?」


 南条越中守広継が進言する。武士の常識がまるで通用しない、あるいは虚仮にしているようなこの当主なら、戦をすることなく小野寺を口説き落とせるのではないか。そうすれば苦労なく出羽の半分以上を領することが出来るのだ。


「小野寺自身はまだしも、他の家臣もいるだろう。簡単にはいかぬ。戦はする。だが敵味方入り乱れての野戦などはせぬ。武士と戦うのは武士であるべきだ。ここは源平合戦といこうではないか」


 そういってケラケラと笑った。主君の言葉から、皆がある光景を想像した。それは今からすれば信じられないほどに、格式と様式美に満ちた「戦という名の儀式」であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る