第144話 討伐例の裏

 たとえ総大将を討ち取ったとしても、それで戦が終わるわけではない。新田討伐連合軍にとっては、むしろここからが地獄であった。伊達本陣の異変に最初に気づいたのは、もっとも近い場所で戦っていた伊達軍、そして蘆名軍であった。


「若君、ここは一刻も早く撤退を!」


「ち、父上…… 父上ぇっ!」


 混乱して父親を叫ぶ輝宗を抱えるかのように、伊達軍の撤退が始まる。だが前方には柏山軍、後方には新田軍がいるのだ。簡単に撤退できるはずがない。


「目的は達した。これ以上の手柄は必要ない。できるだけ足止めして他に……」


「ウリャァッ! 天下の大武辺者、滝本重行様が行くぜぇっ!」


 又二郎の指示をロクに聞かず、滝本重行は手勢と共に伊達軍に突撃した。又二郎はポカンと口を開いてそれを見ていたが、やれやれと首を振っただけであった。


「……まぁ、アイツはアレでいい。五郎と彦九郎(※九戸政実、実親のこと)は足止めを意識しろ。柏山が背中から敵を討つ。田子九郎(※石川信直のこと)は……」


「某は殿の御側におりまする。父からも、命を捨てて御守りせよときつく命じられておりますれば……」


 又二郎が期待する次代の武将たちの中でも、石川信直はもっとも若く、又二郎と同い年である。もっとも、信直自身は同い年という感覚は持ったことがない。目の前の主君は、父よりも年上なのではないかと錯覚するほどに大人びていた。


「冗談じゃねぇ! なにが奥州探題だ。呆気なく死にやがって!」


 猪苗代盛親は毒づきながらも、必死に軍を編成していた。柏山明吉率いる新田軍を抑えつつ撤退するのは容易ではない。間もなく両翼にも事態が伝わるだろう。下手をしたら自分たちが殿しんがりを担うことになりかねない。


「逃げるぞ。この戦は負けだ!」


 半ば無理やりに離脱を始める。するとどうなるか。蘆名軍の中央が凹み、穴が空く。そこに柏山軍がドッと流れ込む。所謂、戦線崩壊である。


「おのれ盛親の奴め。己一人、逃げるつもりか!」


 富田氏実は額に血管を浮かべた。こうなってはもう支えきれない。自分たちも早く離脱するしかない。誰かが逃げ出せば、我も我もと続くのは今も昔も変わらない。中央は完全に瓦解した。




「撤退する。これ以上の戦は無意味だ。新田は、関東で食い止める」


 討伐連合の中で犠牲が少なく撤退できたのは、鶴翼の陣の左翼を担っていた佐竹軍や相馬軍である。これは蠣崎政広の鉄砲隊を忌避し、翼を閉じなかったためである。混戦状態ではなかったため、素早く撤退を開始することができたのだ。


「宮内殿(※蠣崎政広のこと)、我らも追うべきでは?」


「そうだな。だが我らの多くは鉄砲隊、追撃には不向きだ。騎馬を中心とした組隊を出し、背中を追え。ただし数は向こうが多い。無理はするな」


 この戦での役目は果たしている。追撃による手柄はオマケのようなものだ。それで多くの将兵を失えば、それこそ責を問われることになる。政広の冷静な判断により、佐竹義重は無傷に近い形で撤退することに成功した。


「御屋形様、某が殿を務めまする。ここは一刻も早くお退きくだされ!」


 最上家の重臣、氏家定直が顔を赤黒くして主君に詰め寄る。死ぬ気なのだ。その覚悟がなければ、殿など務まらない。それほどに目の前の敵は強く、それを率いる将に隙が無かった。


「伊予(※氏家定直のこと)…… 済まぬ!」


 義守は奥歯を噛みしめながらも兵を退き始めた。氏家定直は齢五七、とうに隠居していてもおかしくはない。だが最上家再興を担った一人として、重臣筆頭として今でも最上を支えている。嫡男の守棟も智将として頼もしいため、本人は隠居を考えていたのだが、義守が留め続けたのだ。それがこの結果である。

義守は兵を退きながら、詫びることしかできない自分を責めた。


「なんの…… 最後の最後に、このような大舞台を用意してくださったこと、感謝いたしますぞ」


 主君が退いたことを確認した定直は、槍を握りしめた。全身に力が漲る。生涯最後の戦に、高揚しているのだ。


「羽州探題最上家家老、氏家伊予守定直! いざ、参る!」


 最上軍六〇〇〇のうち一五〇〇がその場に留まり、長門広益を足止めした。




 宮城野は夕暮れを迎えていた。新田軍は街道整備を行う黒備隊が加わり、死体処理や近隣集落への施餓鬼を始めている。各将たちは、黒川、留守、国分といった各国人の館を接収するため、各方面に向かった。又二郎は手勢五〇〇〇と共に千代館に入る。論功行賞を考えねばならないからだ。


「家禄、俸禄の加増は無論だが、それ以外にも何か物品を与えてやりたいな。第一功は重行か? いや、それぞれが役目を果たしたのだ。皆を第一功とし、公平に加増してやろう。重行にはそれ以外に、何か欲しいものはないか、聞けばよいだろう」


 身体は疲れているが、論功行賞は大将の仕事の中でも最重要のものだ。後回しにすることは許されない。誰がどう働いたのか。しっかりと記録し、気前よく加増して激賞してやる。失敗しても減俸はせずに、次の機会を与えてやる。所領を認めない新田家に仕える者は、いつ素寒貧で捨てられるか知れないという、潜在的な恐怖を抱えている。意識して、気前の良さと寛容さを見せなければならない。

 眠くなるため食事を抜いて、ひたすらに論功を書き留める。筆を置いたときには、日付が変わっていた。又二郎はようやく、眠気を覚えた。


「そろそろ寝るか……」


 立ち上がりかけた時、微かな気配を感じた。後方に飛び跳ね、刀を手にする。


「殿、御騒がせをして申し訳ございませぬ」


「段蔵か…… いや良い。書き物に集中していたからな。油断したと思っただけだ」


 襖の向こうから、宿直が何事かと尋ねてくるが、何でもないと返事し、又二郎は段蔵と向かい合って座った。相変わらず無表情な男だが、持ってくる情報はいずれも重要なものばかりである。


(そろそろ、九十九衆も加増してやるか。ドーンとな)


 別に口にしたわけでもないのに、なぜか段蔵は目を細めて一礼した。そして用件を口にする。


「此度の御戦勝、おめでとうございまする。されど、戦の隙をついて動いた家がありまする」


「小野寺か?」


「御意。小野寺輝道殿、大宝寺を飲み込みましてございます。さらに出羽を南下し、延沢や天童を伺う様子。このままでは、出羽の大部分を小野寺が握ることになりまする」


「最上を飲み込んでからと思っていたが、その前に小野寺を削るか。伊達も最上も、この戦で大きく傷ついた。しばらくは動けまい。我らはその間に檜山と仙石峠から一気に攻め込む…… なにかあるのか?」


 だが加藤段蔵は反応しなかった。それはいつものことであるが、何か言いたげであったので問い質すと、九十九衆が調べた「新田討伐令の裏側」について話し始めた。


「結論から申し上げれば、此度の討伐令は小野寺家の八柏道為と伊達家の中野宗時の合作でございまする。最上家嫡男の側仕えである氏家守棟に書状を送り、最上家から幕府に奏上するように仕向けたようです」


「なぜ、伊達が自ら動かなかったのだ? 伊達にも嫡男がいる。最上義光を動かすような迂遠なことはせず、伊達が動けばよかったのではないか?」


「どうやら、伊達家御嫡男の輝宗殿は、中野宗時を嫌っているようでございます。中野宗時も八柏道為も、謀臣として家中で一目置かれているものの、なにを考えているのか知れないと、煙たがられている様子。その点、最上義光は家中でも評価が高く、氏家守棟も側仕えの一人に過ぎませぬ。動かしやすかったのでしょう」


「なるほど……」


 よくもまぁ考えたものだと、又二郎は顎を撫でながら感心した。だが討伐令までは上手くいったが、その後は失敗した。小野寺は確かに領地を増やしたが、新田はそれ以上に力を増した。伊達も最上も、風前の灯火である。もっとも謀臣である以上、他にも狙いがあるのかもしれない。まだ油断は出来ないなと己を引き締めた。


「よく知らせてくれた」


 眠気が襲ってきている。話は終わりだと腰を上げ掛けるが、段蔵が動かない。上げかけた腰を下ろし、再び段蔵と向かい合う。


「……まだなにかあるのか?」


「はい、もう一つ。関東で動きがありました。小田原城、落城でございます」


 眠気が一気に吹っ飛んだ。

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