第143話 宮城野の合戦(後編)

 合戦が始まってからおよそ一刻(二時間)が経過した。敵の先鋒は突き抜けたものの、その後は壁に阻まれて一進一退のまま乱戦となっている。間もなく、陽も天頂へと上る。


「……膠着していますな」


「しているのではない。させている・・・・・のだ。もう一刻が経過したな。そろそろ馬脚が露わになる頃だろう」


「そうですな。それにしても、敢えて手を抜いて・・・・・戦えとは。最初に聞かされた時は、驚きましたぞ」


「クククッ…… それでも敵の先鋒を撃ち破ってしまったがな。さすがは柏山といったところだ。だがそろそろ、兵たちも慣れてきただろう。そして確実に差が出始める」


 又二郎の言葉通り、一進一退だった前線が徐々に押し始めた。柏山明吉、三田重明率いる軍である。特に攻め方が変わったわけではない。率いる将も変わっていない。だが各所で綻びが出始める。連合軍本陣の伊達は前線を見ながら眉間を険しくした。


「……なんなのだ、あの兵は? なぜあれ程までに、戦い続けられる?」


 その原因は一言でまとめれば「兵の体力の違い」である。新田軍は三人に一人が新兵である。調練を終えているとはいえ、殺し合いはこれが初めてであった。そこで又二郎は、最初の一刻をとにかく犠牲が少ない戦い方をするように各将に命じた。どれ程に調練しようとも、初めての殺し合いとなれば恐怖と緊張で、身体もロクに動かない。ましてこれほどの大戦である。気がふれたように滅茶苦茶な戦い方をする、あるいは怯えて逃げ出すかもしれない。まずは戦場の空気に馴れさせるために、一刻は「実戦調練」の時間にしたのである。

 伊達晴宗の呟きが聞こえたわけではないが、又二郎は笑みを浮かべて答えた。


「新田の調練はとにかく足腰を鍛えること。運は天にあり、鎧は胸にあり、手柄は足にありだ。途中で休憩を入れつつ、最大四刻まで戦えるように仕込んである。もっとも、その翌日は身動きすら取れなくなるがな」


 混戦では三人一組で互いに背中を守るが、前線が出来ているときは交代で後ろに下がり、呼吸を整える時間を作る。その指示は組頭たちが行う。同じ飯を食い、同じ屋根で眠り、苦楽を共に過ごす。連帯責任の意識と集の中の個という自覚を持つようになる。農民兵ではなく常備兵だからこそできる調練方法であった。


「吾平、下がれ! らんまくは空いた穴を埋めろ! 弥吉と三郎太は、田吾作の組を援けてやれ!」


 目に見えるところのみだが、がんまくは的確に指示を出した。呼吸を整え、水を飲む時間を作るために仲間が支える。現在の時間にすれば僅か数分であっても、気力と集中力が戻った兵は再び力を発揮する。 

 こうした戦い方により、混戦ではあるが意外なほどに新田軍の犠牲は少なかった。


「いかん! このままでは中央が押される。翼を閉じるぞ!」


 鶴翼の陣を敷いていた連合軍は、伸びた左右の翼を閉じ始めた。右翼(※連合軍側から見て)の最上は魚鱗の陣の中段、長門広益の陣と激突した。このまま左翼が閉じれば、鶴翼の陣による包囲が完成する…… はずであった。


 ダダダーン!


 この戦場で初めて、鉄砲の音が響いた。




「敵右翼(※新田軍から見て)を鉄砲で迎撃する。ここが肝心だぞ。敵を近づけるな!」


 蠣崎政広が率いる一万二〇〇〇のうち五〇〇〇が鉄砲隊であった。閉じようとしてきた佐竹軍や相馬軍を三段撃ちで迎撃する。永禄四年には、関東にも鉄砲は伝わっていた。だが値段が高いことと、火薬の入手が困難であったことから、ほとんど「道楽品」の扱いであった。史実では、関東以北で鉄砲が初めて用いられたのは、永禄一二年(西暦一五六九年)の片野城の戦いである。


「あれが話に聞いていた新田の鉄砲隊か! 一旦、兵を退け! このままでは一方的に殺戮されるぞ!」


 佐竹義重は慌てて兵を退かせたが、万を超える人間が一度動き出したら、簡単には止まらない。次々と鉄砲の餌食となっていく。一〇〇〇以上の犠牲を出して、ようやく連合軍左翼は一旦、兵を退いた。


「ハッハッハッ! ここまで予想通りだと空恐ろしくなるな。鶴翼の陣は両翼が閉じて初めて効果を発揮する。片翼だけでは魚鱗を止めることは出来ん」


「まして、最上が相手にするのは長門殿です。引きつけつつ長時間、食い止められるでしょう。そして、道が出来ましたな」


 左右に延びた翼のうち、左翼(※新田軍から見て)が閉じた。それはつまり、敵本陣への道が開いたということである。無論、それは敵も同じだが、正面から迫る柏山を食い止めるために、本陣を固める伊達の兵も、前に出さなければならない。


「よし、行くぞ。奥州探題の首を獲る!」


「殿…… もはや止めませぬ。ご武運を!」


 新田又二郎政盛は、自ら兵を率いて動き始めた。




「押せぇ! とにかく敵を破るのだ!」


 最上義守は声を張り上げていた。だが敵は異様なほどの硬さを見せている。敵の陣形はまるで乱れることなく、攻め掛かってきた最上軍を弾き返す。まるで巨大な巌と対峙しているような気分であった。


「無理に首を獲ろうとはするな。ここは出来るだけ敵を引きつけ、留めることが肝心だ。この戦の狙いは奥州探題の首を獲ること。羽州探題の首などいらぬわ」


 長門広益は余裕の表情を浮かべて顎鬚を撫でた。柏山軍は押しているだろうが、間もなく伊達が前線に出てくる。そうなればそこで膠着するだろう。蠣崎は鉄砲で寄せ付けぬようにし、自分は最上を引きつけ、本陣への道を作る。そして、新田政盛自ら率いる五〇〇〇が、手薄になった敵本陣に一気に強襲する。


(天空から見下ろしているならともかく、平地で敵の数を把握できるのは、せいぜい三万から四万が限界であろう。四万も四万五〇〇〇も、敵から見ればわからぬ。そこで五〇〇〇を分離させ、旗本のみとなった敵本陣に一気に攻め込む。最上はあるいは気づくかもしれぬが、混戦状態では簡単には切り返せぬ。もし戻ろうとしたら存分に背中を討ってやれ)


「フフフッ…… 我が殿はまさしく宇曽利の怪物よ。どれ、もう少し引きつけるかの。全軍を一〇歩後退させるぞ! ただし、ゆっくりとだ。最上からは、押し始めたように見えようて……」


 少しずつだが長門広益の軍が退きはじめる。義守はようやくかと思った。


「全軍で一気に押せぇ! 長門を抜けば、敵本陣は目の前ぞ!」


 最上軍の全将兵が前のめりになり、攻め掛かる。誰も後方など気にしていなかった。その時、最上軍の後方、約一〇町(約一〇九〇メートル)の距離に、五〇〇〇の軍が猛然と進んでいた。


「殿、後方に敵が!」


「なに?」


 さすがに五〇〇〇名が動けば、気づく者は気づく。だが既に全軍で攻め掛かり、混戦状態へと突入している。今さら切り替えるなど不可能であった。


「新田め、一気に本陣を狙うつもりか! だが伊達軍は八〇〇〇、あの兵力では簡単には抜けぬ。我らは目の前に集中するのだ!」


 この時、もし最上義守が切り返して新田軍を追っていたら、どうなっていただろうか。無傷の五〇〇〇を追うこと自体がまず不可能であり、長門広益に散々に背後を討たれ、最上軍は瓦解していただろうという見解もあれば、たとえ半数になっても追いついて、新田の背後を討つことができたという見解もある。 

 最上義守を非難する声もあるが、そもそも連合軍なのである。伊達と最上は別の家であり、最上家が多大な犠牲を払ってまで伊達を助ける義理はなく、戦場の中で其々それぞれの役目を果たそうとしただけに過ぎない。最上義守一人に責任を押し付けるのは、酷と言うものであろう。




「申し上げます! 右手から敵が迫っております! その数、五〇〇〇!」


「なんだとぉっ!」


 伊達本陣はその報せに浮足立った。周りを固めるのは本陣旗本の一〇〇〇のみである。そこに五〇〇〇が突入してくるというのだ。とても勝負にならない。伊達晴宗はそれを聞いたとき、空を仰いだ。


「……やられたわ。逃げるぞ!」


 立ち上がり、すぐに馬を連れてこさせる。時は僅かしかない。たとえ自分単身になったとしても、生きていれば米沢で再起を図ることもできる。旗本一〇〇〇が、本陣を固める。晴宗が僅かな供回りを連れて陣を離れようとしたときに、ソレが来た。


「伊達晴宗ぇぇっ! 宇曽利の怪物が首を貰いに来たぞぉっ!」


 ドンという衝撃が本陣を襲った。立派な体躯の男が、漆黒の槍を振り回して若い旗本たちをなぎ倒す。


「天下無双の武辺者、滝本重行様推参!」


 それを皮切りに、次々と騎馬が乗り込んでくる。その後方からは足軽たちであった。皆が屈強な体躯をしている。余程に鍛えられた者たちであろう。


「晴宗を逃がすな! 生死は問わぬ! 俺の前に首を持ってこい!」


「御屋形様を御守りしろぉ!」


 旗本たちが必死に戦う。だが数にあまりにも差があり過ぎた。晴宗自身、馬に乗って槍を振るいながら、なんとか退路を切り拓こうとする。やがて、先ほど名乗りを上げていた男が目の前に現れた。血飛沫で顔を真っ赤に染めながら、ギラギラとした眼差しでこちらを見つめる。


「手柄首と見たぜぇ。テメェが晴宗だな?」


「おのれ……」


 槍を突き出すが、重行は簡単にそれを弾いた。そしてウリャァッという奇声とともに、鋭い突きを繰り出す。血脂に塗れた槍は、それでも正確に晴宗の胸を貫いた。晴宗は口から血を吐き、ゆっくりと馬から落ちた。


「総大将伊達晴宗! 滝本重行が討ち取ったりぃぃっ!」


 大音声が響いた。天頂にあった陽は、いつの間にか傾きつつあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る