第142話 宮城野の合戦(前編)
現在においてこそ「杜の都」と呼ばれる仙台だが、この始まりは江戸時代である。伊達政宗の仙台開府によって植林が行われ、城下町が整備された。それ以前の戦国時代は、仙台には国分という国人衆が治め、千代館はあったものの、ほとんど木の生えていない草原であった。
仙台城の東は「宮城野」という平原で、ススキや
宮城野は何もない平原であったが、その名称自体は知られており、たとえば平安時代の古今和歌集にもその名は見ることができる。奥州合戦において、藤原泰衡が源頼朝を迎え撃つため、国分原に本陣を置いたが、江戸時代の「封内風土記」では、国分原と宮城野は同地とされている。
ガシャガシャと音を立てながら、物見の兵が駆け戻ってくる。かつての藤原秀衡と同じく、国分原鞭館(※現在の
「申し上げます。新田軍は七北田川を越え、川を背にして陣を張りました」
「なんと、川を背に? 退路を断ったということか?」
「決して退かぬという意思の表れでござろう。だがそれは此方も同じこと。ここで食い止めねば、奥州どころか関東にまで新田は出るぞ」
その関東からは嫡男の佐竹義重が参戦している。一五歳という若さだが既に初陣も終えており、文武両面に秀でた若武者として期待されている。
「義重殿はどうお考えか?」
晴宗はまるで探るかのように、佐竹次期当主に問い掛けた。義重は躊躇うことなく堂々と答えた。
「新田がそこまでして決戦に挑む意味。それは恐らく、幕府への反逆を鮮明にしたかったのでしょう」
「ほう? もう少し詳しく聞きたいの」
義重は晴宗から視線を外し、本陣に掲げられる足利家家紋に視線を向けた。
「我らは幕府のお墨付きを頂き、こうして纏まっておりまする。この家紋に矛を向けることは、即ち幕府への反逆。新田家中においても疑問を感じる者もいるでしょう。そこで、川を背にして退路を断ったのです。新田は天下統一を目指しているとか。それは現在の幕府を打ち倒し、新たな政府を開くという宣言です。恐らく、日ノ本すべての武士を敵に回してでも、戦うつもりでしょう」
「馬鹿な。もしそうなら狂うておるわ」
誰かがそう言って笑った。だが伊達晴宗や最上義守などは笑わない。それどころか一層、深刻な顔つきをした。そしてそれは、佐竹義重も同じであった。晴宗はボソリと呟いた。
「つまり、新田との和睦は不可能ということか。どちらかが滅ぶまで、血を流し続けるしかないと」
「新田は決して妥協しないでしょう。幕府を、武士を、一所懸命を完全否定する。そのために敢えて、決戦の道を選んだのだと思います」
血で血を洗う壮絶な戦になるだろう。晴宗は改めて、腹を括った。
鶴翼の形で構えられた敵陣を又二郎は目を細めて見つめていた。防御力に優れた陣形で、特に平原で大軍を展開し、攻撃側を包囲するときに用いられる陣形である。そこで新田軍は魚鱗の陣形を敷いた。魚鱗の陣は後方からの奇襲に弱いが、川を背にしているためその心配はない。攻撃力に優れ、敵を粉砕するときに使われる。
「各将各部隊、位置に付きました」
「いよいよだな。甚三郎、頼むぞ」
「お任せを……と申し上げたいところですが、一つだけ気になります。本気ですか?」
武田甚三郎守信の言わんとするところを、又二郎はすぐに理解した。自分が考える決め手に疑問を呈しているのだ。確かに危険ではある。だがハマれば一気に決着がつくだろう。
「奴らは新田を止めればいい。だが我らはこの先も戦がある。真正面から激突すれば、たとえ勝ったとしても兵の半分を失うだろう。それでは負けも同じではないか」
「……解りました。もう申し上げません。始めましょう」
ボォォッと法螺貝の音が鳴り、そして地響きが聞こえる。両軍併せて一〇万近い人間が、一斉に動き始めた。奥州決戦第二幕、宮城野の戦いが始まった。
「いいな、らんまく! 常に三人一組で戦うんだ。絶対に一人になるんじゃねぇぞ!」
「気を付けてね、兄ちゃん!」
足軽組頭に取り立てられていたがんまくは、組下の者たちに細かく指示を出しながら戦場を駆けた。やがて敵が見えてくる。腰に旗を刺しているが、どこの誰だかは知らない。敵だということさえ解れば十分であった。
「いくぞぉぉぉっ!」
男たちが吠え、そして激突した。
「ついに……」
左翼第二陣に構えていた佐竹義重は、敵が魚鱗の陣形を取っていることに気づいていた。鶴翼の陣は左右に翼を広げ、それを閉じることで敵を包囲する。その片翼を担うのが自分であった。翼が閉じなければ包囲は完成せず、魚鱗の突破力によって本陣を突かれてしまう。非常に重要な役目である。
「最果てからノソノソと出てきた田舎者に、我ら坂東武者の益荒男ぶりを見せてやろうぞ!」
江戸忠通の檄に兵たちが呼応する。士気は高い。だが自分は誰とぶつかるのか。見慣れぬ旗であった。あれは一体……
「あれは蠣崎家の旗です。新田の武将の中でも最年少、蠣崎政広ですな」
「蠣崎…… 名前だけは知っている。遥か北の蝦夷の地を治めている大名であったな。いや、今はもう治めていないのか?」
新田は大名、国人が土地を領することを禁じ、すべての所領を新田領としている。この話だけが先行し、どのように統治が行われているのかは、あまり知られていなかった。土地を取り上げられるというだけで、戦うには十分な理由だったからである。
「新田陸奥守政盛か。会ってみたい人物だった。だが縁が無かったな。この戦で、新田を屠る! 進むぞ!」
佐竹義重率いる左翼の翼が動き始めた。延びるように左に回り込み、閉じるためである。
一方、連合軍の右翼を担うのは最上、延沢、天童ら一万一〇〇〇の軍である。当然、最上義守も新田の狙いを読んでいた。敢えて決戦を選ぶという苛烈さには瞠目するが、ならばこそ決死で戦わねばならない。ここで負ければ、最上は滅びるだろう。
「敵は長門広益、新田でも名の知られた名将だ。相手にとって不足なし!」
左翼の翼も広がり始める。一方、悲劇的なのは中央であった。大崎、黒川、留守、国分ら先鋒六五〇〇が激突したのは、新田軍の先鋒、圧倒的な破壊力を持つ柏山明吉、三田重明の軍であった。ただでさえ強い柏山軍に新田式の調練(喰わせ、鍛え、寝る)を施したのだ。突破力は新田家中随一である。
「進めやぁっ!」
粉砕という表現が相応しいだろう。本拠を失い、士気が落ちていた宮城野の国人たちは一撃で蹴散らされた。だがその先に硬い壁があった。三つ引きの家門、蘆名である。
「我らはここから動く必要はない。落ち着いて守るのだ。ここで食い止めれば敵は左右から挟まれる」
猪苗代盛親は鶴翼の陣の中心にいた。左右には蘆名四天とも呼ばれる重臣、平田
「冗談ではないわ。所領を取り上げる新田なぞに従えるか!」
猪苗代盛親としては、この戦に関しては裏切る気などさらさらないのだが、蘆名家としては違う。いっそここで死んでくれとすら思っていた。
「ここまでくれば、盛親も裏切ることはあるまい。槍隊、押せぇ!」
蘆名軍の抵抗が強くなる。三田重明は思わず舌打ちした。天下は広い。手強い敵というのは幾らでもいるものである。利水や狭い土地を巡ってピシパシ殴り合っていた頃とは隔世の感であった。
「慌てるな。まだ戦は始まったばかり。木皮を剥ぐように、じっくり時間を掛けて削っていけ」
個々の兵の力なら、此方が上回っているのである。敵を舐めているわけではないが、落ち着いて時間を掛ければ勝てるはずであった。だが連合軍の抵抗も激しい。序盤はほとんど互角の展開であった。
まだ陽は天頂に上っていない。両軍は各所で入り乱れながら、ほぼ互角の戦となっていた。
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