第141話 決戦前夜

 新田討伐連合の動きが遅かったというわけではない。伊達をはじめ最上、蘆名、相馬、田村、岩城など主要な大名、国人衆は如月(旧暦二月)に入ると出陣の準備を始めていた。新田よりも南に位置する彼らは、新田がまだ雪に閉ざされている間に兵を整え、移動がままならない状態の中で、旧葛西領を突こうと考えていた。だがこれは、逆の見方をすれば新田にとって、雪が早く溶ける南は攻め易い、ということにもなる。


「それにしても、なんという早さだ。二万の軍が、僅か五日で整うとは……」


「それが新田の強みよ。一人ひとりが常備兵で、槍も刀も甲冑も、すべて練兵場の蔵に収まっている。つまり常時臨戦態勢ということだ。この動員の早さについてこられる敵などおらぬ」


 この数ヶ月間、柏山明吉は自分の中にあった戦の概念が崩れるのを幾度も実感した。天性の用兵家も、武芸秀でる兵法者も、膂力ある武辺者も不要。とにかく兵に食わせ、足腰を鍛える。調練では徹底した集団行動を繰り返し、集で戦うことに馴れさせる。そして電光石火の速さと圧倒的な物量で進撃し、一気に敵を押し流す。これまでの戦の考え方など、まるで通用しない。


(飛車も角も必要ない。そのかわり、金銀桂馬を一〇〇枚用意する。たとえ卑怯と呼ばれようとも、それが新田の戦だ)


 だが明吉は、それを卑怯とは思わなかった。武士は、その土地と民を守らなければならない。そのためには土地を耕し、民を育み、皆で強くならなければならない。柏山は代々そうしてきた。

新田は、それが桁外れて極まっているのである。新田に負けたくなければ、新田と同じように土地と民を育て、強くなれば良いのだ。それができない家は、降るか滅びるしかない。弱さは即ち悪。武士とは本来、そうあるべきなのだ。


「大崎領は昨年も攻めている。道案内は任されよ」


「高清水城はすでに熊谷殿が囲んでいる。このまま一気に攻めようぞ!」


 明吉率いる柏山の男たちが先鋒となり、二万の軍は無人の野を駆けるが如く、本城である名生館みょうだてまで迫った。だが異変に気付いた。城門が開け放たれ、無人に近い状態なのである。


「……逃げた?」


「逃げたようですな。当主自らが……」


 互いに顔を見合わせ、呆れたように溜息をついた。





「左京太夫殿、御安心されよ。必ず新田を撃ち破り、名生館を取り返して差し上げる」


「かえすがえすも、忝い。何卒、良しなに……」


 高館城に軍勢を集結させていたところに、大崎家当主、大崎左京太夫義直が逃げてきた。それを聞いた伊達次郎晴宗は、最初こそ呆れたがそれも仕方がないことかと切り替えた。大崎家単体では、新田の大軍に対抗することは難しい。だがすぐ南には、連合軍が集結しつつあるのだ。城を捨ててそこに逃げ込み、失地回復を狙うというのも、確かに一つの手であった。


「殿、誠に名生館を取り返して差し上げるのですか?」


「約束したからの。だが他の城をどうするかは約束しておらん」


 謀臣である中野宗時の問いに、晴宗はそう答えて歯を見せた。血を流すのは此方なのだ。タダで領地が戻ってくると考えているのなら、御目出度いにも程がある。館一つが戻るだけでもありがたいと思うべきだろう。


「それで、新田の動きは?」


「大崎領全土を掌握した後、新田陸奥守率いる本軍と合流いたしました。総兵力は四万五〇〇〇になり、黒川領、留守領を狙うでしょう。ですが、まだ動きがありませぬ」


 晴宗は顎を撫でた。電光石火の速さで大崎に雪崩れ込み、数日で大崎を滅ぼしたにもかかわらず、そこからの動きが遅い。一体、なにを狙いとしているのか……


「待っているのか? こちらが整うのを」


「御意。恐らく新田の狙いは、野戦をもって一気に決着をつけることでしょう。最上や蘆名も、間もなく到着します。さらに田村、相馬、岩城、佐竹も追って来るでしょう」


 伊達軍九〇〇〇、最上軍六五〇〇、天童軍二〇〇〇、延沢軍二〇〇〇、蘆名軍七〇〇〇、田村軍二五〇〇、相馬軍三〇〇〇、岩城軍二〇〇〇、佐竹軍八〇〇〇、合計四万二〇〇〇の大軍である。無論、兵糧の問題がある。時間を掛ければ、此方が不利になる。自分であれば守りを固め、時を味方につけるだろう。

 だが新田は野戦での決戦を選んだ。なぜ、そこまで急ぐのか。


「新田家中は譜代の家臣が少なく、ほとんどが外様と聞いています。これまで勝ち続けることで大きくなりました。もし籠城などすれば、裏切りの動きも出るやもしれません。それを警戒したのでしょう」


「それもあろうな。だが儂には、新田又二郎政盛という男の気質が出ているような気がする。南部晴政との決戦でも、柏山との戦いでもそうであった。ここぞという戦には、必ず自分が出る。野戦にて激突し、相手を打ち砕く。儂には、新田又二郎はなにか別のものと戦っているように見えるの」


 それが何なのかは晴宗には解らなかった。いずれにしても野戦での決戦は、此方にとってもありがたかった。これなら数日で決着がつく。兵糧の心配はなくなった。


「黒川、留守にも使者を出せ。兵を率いて一旦退かれよ。此方に合流し、野戦で一気に決着をつけ、その後に所領を取り返せばよいとな。宗時、決戦となればどこになると思う?」


「左様ですな…… 両軍一〇万を広げることができる平地となれば、千代城あたりでございましょう」


「千代か……」


 一〇万が入り乱れて戦う大合戦など、生涯二度とないだろう。史に残る大合戦に、総大将として自分が参戦する。一人の武士としてこれほどの名誉はない。晴宗はブルリと武者震いした。





「黒川、留守、国分も加わり、敵の総兵力は四万七〇〇〇に達しておりまする。総大将は奥州探題、伊達次郎晴宗、副将は羽州探題、最上義守でございます」


「蘆名と佐竹は?」


「蘆名からは猪苗代いなわしろ盛親(※後に盛国と改名)、平田舜範きよのり、富田氏実うじざね。佐竹は嫡男の義重、小野崎義昌、江戸忠通が出ております」


 名生館で開かれた軍議には、新田の主だった武将たちが揃っていた。新田政盛を筆頭に、長門広益、南条広継、武田守信、柏山明吉、下国師季、熊谷直正、蠣崎政広らである。さらに侍大将として九戸政実、石川信直の姿もある。


「殿、僅かではありますが敵は我らを上回る数を揃えました。我らの強みは常備兵と無尽蔵の物資です。ここは無理をせず、敵の瓦解を待っては如何でしょうか?」


 ここまで、まるで一大決戦をすることが決まっているような空気であったが、こういう時は誰かが慎重論を唱えなければならない。軍師役である武田守信がそれを買って出た。なにも危険を冒す必要はないのだ。伊達や最上は農民兵である。これほどの大軍を二ヶ月、三ヶ月と維持することは不可能だ。敵が崩れるのを待って、一気に攻めるべきではないか。


「確かに、甚三郎(※武田守信のこと)の意見にも一理はある。だがこの戦は、ただ勝てば良いという戦ではない。新田が目指す新たな日ノ本と、鎌倉室町から続く旧き日ノ本との激突なのだ。正面からぶつかり、撃ち破ってこそはじめて意味がある。なにより、奥州探題と羽州探題が必死に集めたのだ。せいぜい華々しく散らせてやろうではないか」


 武田甚三郎守信は、無言で一礼して引き下がった。もともと採用されるとは思っていない。むしろこれほどの大決戦を差配することに、喜びすら感じていた。


「千代城の北東、宮城野が良いでしょう。我らは七北田川を越え、多賀城を東に進みます。宮城野は何もない広大な平原。ここで正面から激突しては如何でしょうか?」


「だがそうするとこちらも犠牲が大きい。やはり引き付けて鉄砲で片を付けては?」


「いや、敵も新田の鉄砲隊は知っているはず。安易に攻め寄せて来るとは思えぬ。装備も、兵の質も此方が上。ならば負けるはずがありまえぬ」


 意見が百出する中、政盛は地図を見ながらポツリと呟いた。


「南部晴政を真似てみるか……」


 永禄四年弥生中旬、奥州決戦の第二幕が上がる。

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