第108話 新旧

 宮城県最北端にある「気仙沼」の歴史は古い。もともとは「計仙麻けせま」と呼ばれていたが、その呼称がいつから始まったのかは不明である。日本三大実録には「計仙麻」の地名が出ているが、その前に記された続日本紀では「気仙郡」とあり、表記も統一されていない。少なくとも平安時代初期には、東北地方のリアス式海岸港として計仙麻は中央政府にも知られていたと思われる。

 計仙麻の語源についても幾つか説が解れている。アイヌ語での「ケセモイ(最南端の港)」だとする説もあれば、船を繋ぎ止める杭を指す「カセ」が訛って「ケセ」となり、そこに場所を意味する「マ(間)」が加わったとする説もある。


 新田又二郎政盛率いる八〇〇〇の軍が、姉帯城を目指して動き始めた頃、気仙沼を守る熊谷河内守直正のもとに、一通の書状が届いた。それを一読した直正は、激しく動揺した。そこで叔父であり気仙沼熊谷党の重鎮でもある赤岩直脩なおのぶを呼び、密かに相談した。書状を一読した赤岩直脩は、顔を赤くして頷いた。


「殿。この話に御乗りなされ。我ら熊谷、二〇〇年の雌伏から羽ばたく好機にございます!」


「叔父上もそう思うか」


 熊谷氏の惣領は、元々は赤岩熊谷氏であった。だが天文二年(一五三三年)、熊谷氏の分裂を狙った葛西稙信は、赤岩熊谷直景に背任の罪ありと断じ、いきなり攻め込む。その結果、赤岩熊谷氏は一族郎党皆殺しにされ、断絶してしまう。その後、長崎熊谷氏である熊谷直光の弟、熊谷直脩が赤岩熊谷氏を再興する。このように、葛西家は二〇〇年に渡り、熊谷一党を時に使い、時に分裂させてきた。熊谷氏一族は皆、葛西家に対して一物を抱えていたのである。


「だが、相手は大葛西だ。新田とて苦戦しよう」


「いえ。葛西石見守(※一六代当主葛西義重のこと)様は病弱にして、今も臥せっておりまする。実弟の信清様(※後の葛西晴信のこと)は、新田の相手で手一杯。葛西領南端の我らを相手にする余裕などありませぬ。今こそ……」


 熊谷直正は沈思した。新田は急速に大きくなったが、それだけに歴史が浅い。一方の葛西家は五〇〇年の歴史を持つ名門だ。この陸奥での根は深い。いかに新田とて、葛西家を相手に簡単に勝つことはできないだろう。だが、ここに自分たちが加わったらどうか? 熊谷はかつてと比べたら大きく力を落としている。だが気仙沼一帯には、熊谷の血を受け継いだ者たちが大勢いる。彼らと力を合わせて蜂起すれば、葛西領南を大きく混乱させられるだろう。

 その後は新田に降る。領地は没収するが、熊谷の地である気仙沼に留まり、南陸奥の開発を任せると書かれていた。切り取った土地の分も含めて、家禄として毎年与えると。土地は失うが家は残る。

 葛西と新田、どちらを選ぶか? 答えは決まっている。「いつか葛西に一泡吹かせる」、これが熊谷の血を受け継ぐ者たちの悲願なのだ。


「……やってしまうか」


 長い沈思の後、直正はポツリと呟いた。口にしてしまうと、何かがストンと落ちた気がする。そうか。自分は、この為に生まれてきたのか。そうとすら思えた。


「やろう! 叔父上、信頼できる者をかき集めるのだ。今の葛西領は空き家も同然、五〇〇もいれば十分に切り取れる!」


「殿!」


 赤岩直脩は涙ぐみながら一礼し、慌ただしく部屋を出て行った。ブルリッと直正は背中を震わせた。




 一戸から馬淵川を下り、姉帯城へと進む。山頂にある本城を囲むように、二ノ曲輪、三ノ曲輪に守られた姉帯城は、確かに南陸奥の要と呼ぶに相応しい守りであった。


「なるほど、確かに攻め難い城だな。盾を構え、梯子を肩にして突撃するという従来の攻城法では大きな犠牲が出るであろう」


 戦国時代の城攻めには、幾つかの方法がある。「正面からにしろ、あるいは搦手からめてからにしろ、城内に攻め込み占領することを目的に攻める」「兵糧攻め、あるいは水攻めにより降伏を促す」「何らかの方法で内応者を作り出し、内側から城門を開けさせる」などだ。又二郎は城攻めを構造分解し、利点と欠点を洗い出した。


《一番目は、短時間で終わるかもしれないが犠牲が大きい。二番目は、犠牲は少ないかもしれないが、時間が掛かりすぎる。三番目は方法が限られ、しかも確実性に乏しい。短時間で、犠牲も少なく、しかも確実に城を落とす方法を考えよう》


 そこで新田家が考え出したのが「城そのものを遠距離から破壊してしまう」という方法である、着火した炮烙玉を投石器で射出し、城壁などを破壊してしまう方法である。この方法の欠点は、大量に火薬を使用するため、その手段を使える大名家が限られるという点である。つまり新田家以外では使えない手法であった。


「釜石に高炉を建造して鋼鉄を造れるようになれば、大砲を製造できるようになるだろう。それまではこのやり方でやるしかないな。まぁ、十分に効果はあるんだが……」


 黒備衆の手によって、巨大な投石器が組み立てられていく。出羽の材木を使い、宇曽利で幾度も試験を重ねた投石器は、人が投げるには些か大きすぎる炮烙玉を確実に城内に放り込んだ。大きな爆発音がいたるところで響く。


「わはははっ! 山城など新田には不要よ。破壊しつくしてしまえ!」


 縄を掴んだ足軽たちが、投石器から飛び降りる。兵たちを重石にしてグルンッと梃子が動く。複数の玉が城内に向けて宙を飛ぶ。二ノ曲輪、三ノ曲輪は簡単に吹き飛び、本城の城壁も弾け飛ぶ。火薬の臭いで吐きそうになりながら、久慈治義と姉帯兼信は、なんとか兵を率いて討って出た。だがそこに、麓から鉄砲の斉射が浴びせかけられる。


「おのれ新田めぇっ! こんなものが戦と呼べるか! どこまで武士を虚仮にすれば気が済むのだ!」


「ハーハッハッ! 戦に卑怯もラッキョウもあるか! 勝てば良かろうなのだ!」


 久慈治義は味方が一方的に撃たれていく様を見て歯ぎしりする。一方、又二郎は次々と爆破されていく城と、爆発に巻き込まれて宙を飛ぶ敵兵を見ながら、怪物の笑みを隠すことなく嗤った。




「姉帯兼信、兼直の親子は揃って討死か。姉帯氏は滅び、姉帯城も取り壊しだな。それで、多くの者が死んだ中、しぶとく生き延びたわけだ。久慈殿……」


「おのれ……」


 姉帯城に籠った二〇〇〇のうち、半分は新田に降った。だがそれを良しとしない者たちは抵抗を続け、その大半は討ち取られた。だが幸運にも、捕縛されて生き残った者たちがいる。その一人が、久慈治義であった。


「姉帯城は落ち、旧南部家国人衆は滅ぶか、あるいは新田に降った。それでどうする? 御嫡男は新田領で暮らしているが、降られるか?」


「断る! 新田に降るくらいなら死んだほうがマシだ! さっさと首を刎ねろ!」


「まぁ待て。死ぬことはいつでもできる。その前に聞いておきたい。俺は久慈殿とこうして話すのは初めてのはずだが、どうしてそこまで俺を嫌うのだ? 別に好いてくれとは言わんが、そこまで嫌われるようなことをしたか?」


「何を寝ぼけたことを。貴様がやっていることを思い返してみろ! 平和に暮らす国人衆を攻め、その土地を根こそぎ奪い尽くす。貴様がやっていることは、武士の所業ではない! 野盗山賊の類と同じではないか!」


 後ろ手に縛られ、地面に座らされていた久慈治義が、床几に座る一四の若者に吠える。だが若者はニタリと口元を歪めた。顔に影が差し、悪人めいた笑みを浮かべる。


「何を寝ぼけたことを。武士とは野盗山賊を滅ぼし、治安を回復するために生まれたという。だがそれは勝者側が作った建前よ。実際は食い物と土地の奪い合いを繰り返し、残った家が武士となったにすぎん。俺から言わせれば、お前ら土地持ち国人衆こそ、野盗山賊の類だ。百姓から年貢を取ることを当然と思っていよう? 自分の領地だから、自分の領民だから、年貢を取るのが当たり前…… たわけがっ! 当たり前のはずがなかろうが! 百姓が汗水たらして耕した田畑を戦で荒らし、あまつさえわずかな収穫さえも年貢としてとる。その年貢で誰を救った? 誰を幸福にした? 領地があることを当たり前だと思うな! 言ってやろう。国人衆とは合法化された山賊だ。己が悪に気付かない分、そこらの山賊より始末が悪い。だから俺が退治してやるのだ。日ノ本の全ての国人から、土地を取り上げる。国人という名の山賊から、民を救う。新田こそ日ノ本唯一の、真の武士なのだ!」


「おのれ! 言うに事欠いて、我らを山賊呼ばわりするか! 貴様の言葉など、ただの巧言に過ぎん! 己が野心を覆い隠すための綺麗事ではないか! 口でそう言いながら、貴様は何人殺した! 鉄砲などという卑怯な武器を使って、我が領民を、百姓をどれほど殺した! この先、どれほど殺すつもりだ!」


 互いに睨み合う。南条広継、武田守信らは、黙って二人を見ていた。確かに、新田又二郎政盛は、既存の武士を否定している。新田家における年貢や税とは、それを使ってもっと豊かな領地にしてくれという「願い」なのだと定義している。無論、それだけではないが、たとえ大義名分であろうとも、年貢をそう捉えている大名家など、日ノ本には他にないだろう。新田が日ノ本を統治すれば、より多くが幸せになる。南条広継も武田守信も、そう信じて又二郎に仕えている。

 だが一人の武士として、久慈治義の気持ちは痛いほどに解った。正しい、間違いではない。見ているモノが違うのだ。巡り合わせが違えば、久慈治義と同じ立場にいた可能性も十分にあったのだ。


「何を言おうとも、貴殿には理解できぬであろう。見ている世界が違い過ぎる。この旧き武士を解き放ってやれ。日ノ本は広い。奥州にもまだまだ山賊・・がいるからな。どこへなりと流れて、己が生き様を貫くがいい」


 又二郎の指示で、久慈治義を縛っていた縄が解かれた。取り上げられた太刀と脇差、そして馬一頭を与えられたが、それに対して礼も言わず、治義は南へと去っていった。今ここで、太刀を抜いて又二郎に斬りかかろうとはしない。今日のところは見逃してやる。自分が正しいのだ。まるでそう言っているかのような、堂々たる姿であった。


「必要ならば、何百万でも殺すさ。だからこそ、その果てにできる新たな日ノ本は、より強く、より豊かにならなければならん。それが、死んでいった者たちに対してできる、俺なりの弔いなのだ」


 旧き武士の背中を見つめながら、自分に言い聞かせるように呟いた。

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