第109話 不来方

 姉帯城の落城により、旧南部家国人衆の領地はすべて、新田又二郎政盛の所領となった。ここから先は、南部晴政の手が及んでいない領地となる。そこで案内役を買って出てくれたのが、一方井いっかたい城城主の一方井丹後安政である。一方井氏と南部家は繋がりがある。一方井安政の娘が、石川左衛門尉高信の側室であり、石川亀九郎(※史実の南部信直)を生んでいる。つまり一方井安政は、石川高信の縁戚なのである。その関係から、一方井氏は新田包囲網には参加していない。一方井城は、北上川から外れた場所に存在するため、斯波家から攻められることもなかった。こうした縁を捨てるほど、又二郎は愚かではない。


「初めてお目にかかります。一方井安政でございます。沼宮内常利ぬまくないつねとし殿と共に、参上いたしました。我ら二人、奮迅に働きまする」


「頼もしきかな! 左衛門尉から丹後のことは聞いておる。民部殿(※沼宮内民部常利のこと)を説得してくれた功績、決して小さなものではないぞ。よくやってくれた!」


「有りがたきお言葉」


 一方井安政は頭を下げつつ、目の前の若き主君を観察した。取り立てて身体が大きいというわけではない。顔にはまだ幼さが残っている。宇曽利の怪物と噂されるような恐ろしさは無く、ニコニコと笑っている。非常に機嫌が良さそうに思えた。


(いや、油断はできん。南部晴政を倒し、短期間で南部領を超える広大な領地を獲り、さらにその土地を信じられないほどに豊かにしたのだ。怪物とも妖術使いとも呼ばれるお方。気を引き締めねば……)


 高信からの書状では「所領を預ける」という表現であったが、事実上の没収である。だが預けた石高分は毎年、家禄として与えられる。また役目に応じた俸禄が別口にある。そして領民を持たなくなるため、自前で兵を用意する必要が無い。領地経営のための家臣を持つ必要もない。せいぜい、屋敷の警備や掃除などの小回りを任せる者が、家臣として残る程度だ。その結果、石川家は驚くほどに豊かになったと、娘からの書状にもあった。

 斯波領最北端の沼宮内城城主、沼宮内民部常利を説得するにあたり、その書状を使った。常利は先の宮野城攻めにおいても兵を出していたため、新田に許されるか不安であった。城を捨てて逃げることまで考えていたところ、新田家の家老、石川高信の縁戚から説得を受け、降る決断をしたのだ。


「沼宮内民部常利でございます。先の戦においては、斯波家国人として宮野城攻めに加わっておりましたが、これより先は陸奥守様を主君とし、忠誠を誓いまする。何卒……」


「よい。新田も元々は、宇曽利の小さな国人衆であった。立場があることは理解しておる。責めもせぬし、気にもしておらぬ。丹後、民部の両名は、新田に預けた所領にさらに五〇〇石を加えて家禄とする。これより先は、新田家にとっても知らぬ土地。案内を頼むぞ」


「「ハハッ」」


「さて、沼宮内城を使わせてもらいたい。沼宮内城は北上川の上流に位置し、南陸奥を攻める上での橋頭保となる城だ。民部、良いな?」


「存分に、お使いくださいませ。某がご案内致しまする」


 降伏が認められ、さらに加増までされた沼宮内常利は、早速の役目に喜んだ。




 高水寺斯波家は、単体で見るならばそれほど大きな所領は無い。高水寺城を中心に、斯波郡(※現在の岩手県紫波郡紫波町一帯)が所領となるが、現当主の斯波経詮つねあきには雫石詮貞しずくいしあきさだ猪去詮義いさりあきよしという二人の弟がいる。雫石詮貞は雫石城を、猪去詮義は猪去館(※現在の岩手県盛岡市)を本拠とした。この兄弟三人を合わせて「斯波御所」と呼ばれ、三人の領地を合わせると二〇万石を超える。さらに斯波家は岩清水家、大萱生おおがゆ家などの直臣を持つほか、稗貫や和賀との血縁関係もある。斯波家、稗貫家、和賀家で事実上の「一勢力」であった。


「姉帯城を落とした新田は、北上川を使って南下してくると思われる。手の者の話では、姉帯城は僅か半日で跡形もなく破壊されたとのことだ。方法は解らぬが、新田には籠城は通じぬ。野戦で決着をつけるしかない」


 高水寺城では軍議が開かれていた。斯波家重臣の猪去詮義の言葉に皆が頷く。参加しているのは南陸奥の主だった国人衆である。斯波家の重臣は無論、稗貫、和賀と当主の他に、葛西家からは熊谷、江刺、柏山、浜田、大原などの有力国人が加わっている。事実上の、南陸奥の総連合であった。


「新田の脅威は、あの鉄砲にある。残念ながら、新田には竹盾は通じなかった。だが鉄砲は止まった状態からでなければ使えぬ。つまり攻めの武器ではなく、守りの武器ということだ」


「新田に攻め込ませる。そういうことか?」


「然り。先の戦とは違い、我らは守勢となり申した。ならば守るに最適の場所で、新田を迎え撃てばよい。そこで北上川を堀として、不来方こずかたで新田を迎え撃つ」


 不来方とは、現在の岩手県盛岡市を指す言葉である。その由来は意味深いものである。かつて「羅刹」という鬼がいて、村人たちを苦しめていた。そこで村人たちは三ツ岩の神(※現在も三ツ岩神社として残っている)に鬼の退治を祈願したところ、神の手によって鬼は捕らえられた。この時、鬼は二度とこの地に来ないと約束し、岩に手形を残した。これが「岩手」の由来である。そして「二度と来ない」という意味で「不来方」という地名となった。この時の神への祈願が「さんさ踊り」として、盛岡の夏の風物詩となっている。


「不来方か…… 宇曽利の怪物を迎え撃つに相応しい場所よな」


「あの場所は川の合流地帯。新田とて渡るのに苦労しよう。だが渡らねば攻めることはできぬ。そのまま対陣すれば、兵糧の問題も出てくるであろう」


 皆の合意を確認した猪去詮義は、実兄に顔を向けた。


「だがこの策には問題がある。雫石城や八幡館はちまんだてなど、雫石川の上流に新田が兵を向けた場合だ。兄上……」


「構わん。ここで新田を倒さねば、いずれにしろ城は失う。むしろ沼宮内から不来方までのすべての集落に移動を命じるべきだろう。米粒一つ残さず家臣、領民を退去させ、井戸を埋めるのだ。やるからには、そこまで徹底しろ」


 悲壮な決断である。だがその効果は大きい。新田家は急進撃している。後方の補給物資は三戸城に置かれており、宮野城でさえ今年の収穫は期待できない。つまり三戸城から沼宮内、さらに不来方まで、およそ四〇里(約一六〇キロ)を輸送しなければならない。さらに井戸が使えなくなれば、負担は大きくなる。


「新田政盛は、宇曽利の怪物などと呼ばれているが、率いる兵は人間だ。腹も減るし眠くもなる。兵糧が尽きれば退かざるを得ぬ。それを追い討ちすれば、大勝は間違いない!」


 自分の領地を犠牲にしてでも、なんとしても勝つ。雫石詮貞の覚悟に、皆の士気が高まった。




「恐らく敵は、この不来方で我らを迎え撃つでしょう。この地は見晴らしがよく、川も太いため渡河には小舟が必要です。我らが川を渡っているところを急進して討つ。某であれば、そのような策を立てます」


 沼宮内城において軍議が開かれている。南条越中守広継は、南陸奥の地図を指しながら自らの予想を述べた。それを聞きながら、又二郎は舌打ちしたい気持であった。


(不来方か。なんとも縁起の悪い地名だ。いずれ盛岡に名前を変えてやる)


「甚三郎(※武田守信のこと)、兵糧の残りはどうだ?」


「は…… 北殿が頑張ってくれているお陰で、まだ兵糧はありますが、この先は警戒もせねばなりませぬ。負担は大きくなるでしょう」


 又二郎は少し考え、二人に顔を向けた。


「うん…… こちらの仕掛けが動くまで、一旦止まるか?」


「「は?」」


 永禄二年(一五五九年)卯月(旧暦四月)下旬、新田軍は沼宮内城において一旦、止まった。又二郎が期待していた仕掛けが動き出したのは、それから一〇日後のことであった。気仙沼熊谷党の蜂起である。

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