第107話 熊谷氏

 勝っても負けても、戦の後に必ずやらなければならないことがある。それが「戦後処理」だ。誰がどのような働きをしたか。誰をどのように討ち取ったのか。それによって戦がどう動いたのか。そして、より犠牲を少なくするためにはどうすれば良かったのか。反省も含めて、将たちが集まって振り返る。


「まだ確認は続いていますが、討ち取った者のうち、主だった者としては旧南部、鹿角の国人衆では一戸政連、野田政義、花輪親行、九戸信仲……」


 おぉっ、という声が漏れる。九戸右京信仲は、全身に鉄砲を浴びて討死したらしい。霧の中、何発もの玉が浴びせられたのだ。無念と思う余裕すらなかっただろう。


「久慈治義と姉帯兼信は無事のようだな」


「はっ…… 残兵を率いて姉帯城に退いております」


 又二郎は頷いて、続きを促した。


「稗貫では、重臣の根子高純の首が確認できておりまする。また和賀につきましては、未確認ではありますが当主の義勝に手傷を負わせたようです。葛西、斯波、大崎にもそれなりの傷は与えましたが、侍大将以上は討ち取れておりません」


「それはやむを得まい。国人衆にとって第一は、自分たちが生き延びることだ。葛西はこの戦で、熊谷、及川、米谷まいや武鑓むやりを出していた。だが負けた。熊谷などは独立の機と捉えるやもしれん」


 熊谷氏の歴史は古く、源頼朝の奥州合戦に参戦後、気仙沼一帯を与えられて奥州熊谷氏が成立する。その後は血縁を広げて「気仙沼熊谷党」と呼ばれるほどの隆盛を誇ったが、南北朝時代に「奥州南朝方」として北畠顕家に従軍したところから、運命が分かれ始める。同じく南朝方であった葛西高清は建武二年(一三三五年)、北畠顕家の「征西」に熊谷と共に従軍し、足利尊氏、新田義貞を破り、京を占領することに成功するが、その直後に奥州に戻り、そしていきなり「北朝方」に転じるのである。


 葛西高清としては、本領安堵程度では満足せず、本吉・気仙の両郡を欲していたのだろうが、熊谷氏にとってはたまったものではない。がら空き同然だった所領に攻め込まれ、熊谷氏は激怒した。その後、馬籠合戦などを経て葛西氏は完全に北朝方に転じ、奥州は徐々に北朝方が強くなる。若き英傑であった北畠顕家の死によって、奥州南朝方は衰退し、それに伴い熊谷氏も追い詰められていく。そしてついに貞治二年(一三六三年)、熊谷氏は葛西氏に降伏し、その所領の大半を失うのである。


「熊谷の中には、葛西に対する二〇〇年の恨みが溜まっていよう。この辺を突っつけば、面白いことになるのではないか? クックックッ」


 どうせ新田に降ったところで所領は認められないのだ。ならば土地を失う前に、二〇〇年前の怨讐を晴らすべきではないか? 葛西領は、今はがら空きだぞ? かつて葛西高清がやったことと同じことをしてみてはどうだ? そう持ち掛けるのである。


「殿、御顔が……」


 南条広継も悪い笑みを浮かべながら、又二郎を窘めた。武田守信は、自分もいずれそんな笑い方をするようになるのではないかと不安になった。




「まだまだこれからだ! この姉帯城ならば守り切れる! 新田が攻めてきたら、返り討ちにしてくれるわ!」


 久慈治義は一人、気を吐いていた。だが厭戦気分の者も多い。新田は土地の所有を認めない。だが武家として家を残すことは認めている。新田に逆らい続けてついに討ち死にした九戸右京信仲でさえ、九戸家は息子の政実が残している。葛西や斯波は土地を奪われていないが、旧南部家国人衆の大半は、土地すら失っている。もはや意地だけで戦っているのだ。


「姉帯殿、某はここで失礼を致す。右京殿への義理で戦ってきたが、亡くなられたことで義理も果たしたと思う。兵たちを弔い、帰農したいと思う」


 また一人、国人衆が消える。こうやって徐々に、陸奥は新田の色に染まっていく。この姉帯城が、旧南部家国人衆の最後の砦である。だが兼信は、これで良いと思っていた。攻城戦において最も厄介なのは、内部からの裏切りである。去るべき者は去ったほうが良いのだ。嫡男の兼直に対しても、その覚悟を問う。


「儂は九戸家の一族として、最後まで新田と戦う。だが其方まで、それに付き合う必要はない。この城を出て、左京太夫政実殿を頼れ。新田は敵する者には容赦しないが、降った者には寛容だ。姉帯の家を残すこともできよう」


「父上、この城あってこその姉帯ではありませぬか。姉帯の地を離れて、どうして名乗れましょう? 私も父と共に、最後まで戦いまする」


 兼直は九戸政実よりも若い。だが九戸一族として、姉帯の地を守ることを使命として育てられてきたのだ。今さら、城を出るなどという選択肢はなかった。父親は目を細めて頷いた。


「よう言うた。それでこそ姉帯の嫡男よ。共に最後まで戦おうぞ」


 一方で、籠城戦となれば葛西や大崎、斯波などはかえって邪魔になる。八〇〇〇近くの軍を数ヶ月養うほどの蓄えは、姉帯城にはない。そこで止む無く、連合軍は解散となった。万一にも姉帯城が落ちた場合は、改めて高水寺斯波家を支援するということで纏まる。


「フンッ。要するに腰が引けたのであろう。本来であれば、この姉帯の地でもう一度、新田と戦うべきなのだ」


「とはいっても、兵糧の問題があるのは確か。また先の戦では、犠牲も大きかった。我らがここで粘れば、新田の背後を突く機会も生まれよう」


 吐き捨てるように罵る久慈治義を、姉帯兼信が宥める。斯波も葛西も、ただ去っていくだけではない。兵や兵糧など、残せるものは残してくれている。姉帯城には二〇〇〇の兵が残った。




「我らに籠城戦は通じぬ。城門など爆破してしまえば良いのだからな。問題はその後だ。葛西も大崎も高水寺に集結しよう。野戦となれば、此方の犠牲も大きくなる。そこで、熊谷を動かす」


 夜、一戸の集落で又二郎たちは軍議を開いていた。机上には南陸奥の地図が置かれている。旧南部国人衆の土地は、残るは姉帯城のみであるが、その先は斯波、葛西、大崎など無傷に近い大名がひしめいている。調略によって、可能な限りその力を削いでおきたかった。


「気仙沼を守る熊谷河内守直正は、表面上は葛西の忠臣の素振りを見せているが、内心は別であろう。本来であれば熊谷の地を守る自分が、熊谷氏本流であるはずなのに、葛西は八幡館の直則を熊谷の旗頭とした。不満が無いはずがない。そこで、熊谷に眠る憎悪を呼び起こす。二〇〇年前、北畠顕家公を裏切った家が、熊谷の旗頭まで勝手に決める。本当にそれで良いのかとな」


「本領安堵を条件としますか?」


 調略をすれば、十中八九まで本領安堵が条件となる。そのため新田家では調略をあまり使わない。力によって粉砕し、土地を根こそぎ奪い取るのが、新田の戦い方である。だが人間は、本領安堵という経済的な理由だけで動くものではない。感情は時として、合理性を上回るものである。


「いや。認めるのは熊谷氏旗頭という地位だけだ。だが先祖代々に渡る葛西への怨讐を晴らしたいのならば、新田が手を貸すと言え。その後は新田の重臣として、南陸奥の開発を役割として与える。家禄と俸禄の二つで、今の数倍の実入りになるぞとな」


 遅かれ早かれ、斯波も葛西も新田に飲み込まれる。そうなれば、先祖の仇を討つ機会は永遠に失われる。また家禄としても、狭い土地の禄しか残らない。いま起ち上がり、葛西を切り取れば、それだけ降伏後の家禄も増えるのだ。又二郎は条件を記した書状を認めた。


「段蔵、いけるか?」


「お任せを。気仙沼には既に、九十九衆が入っておりまする」


「よしよし…… これで大崎と葛西は、尻に火が付くことになるだろう。せいぜい派手に燃やそうじゃないか! 奴らの土地をすべて奪うのだ! クククッ」


 火鉢がパチンと音を立てる。薄暗い灯りに照らされた又二郎の貌には、宇曽利の怪物に相応しい笑みが浮かんでいた。

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