第106話 辛勝

「らんまく! 腹ばいになれ! 絶対に頭、上げるなよ!」


あんちゃん!」


 霧の中、地面に腹ばいになって鉄砲の弾から身を守っているのは、がんまく、らんまくという兄弟である。もともとは姉帯城近くの集落で百姓をやっていたが、新田との戦ということで半ば強制的に徴用されたのである。


(助かったぜ。殿様たちがやっていた妖術を見たからな。頭を下げていればきっと……)


 がんまくは、たまたま柏山明吉ら国人たちが行った、竹盾の試験を見ていた。だが渡されたのは竹盾ではなく木盾であった。どうやら自分たちの分までは用意できなかったらしい。このままでは拙いと思ったがんまくは、ある程度走ったところで、霧の中で隠れるように屈んだのだ。その直後、雷のような音がして前を走っていた男の頭が弾けた。敵も妖術を使うのだ。このままでは死ぬ。そう思ったがんまくは、弟と一緒に霧に紛れて逃げようと思った。


「こっちだ。逃げるぞ。こんなところで死にたくねぇだろ」


「あ、兄ちゃん…… 怖いよぉ」


「しっかりしろ。俺についてこい」


 雷のような音が何度か響く。あんな妖術に、竹で作った盾なんて通じるのだろうか? がんまくは負けだと思い、勝手に逃げ出すことにした。


(新田様ってのは、お優しい人だって聞いたからな。何とか逃げ出して、降伏すれば……)


 ドドドドッ


「兄ちゃん、なんの音かな?」


「解んねぇ。けど、雷の音が消えた。走るぞ!」


「ま、待ってよ。兄ちゃん!」


 がんまく、らんまくは頭を上げて走り出した。この判断は正解であった。彼らがいた場所はその直後、一〇〇〇を超える騎馬隊が駆け抜けていった。その場に留まっていたら、踏み殺されていただろう。




「申し上げます! 竹の盾は通じず、味方の被害は甚大! 敵は騎馬隊を出して突撃を仕掛けてきました」


「なんだと! 竹盾が通じなかったというのか? では、九戸らは……」


 第三陣として構えていた三田主計頭重明が叫ぶ。第一陣の九戸、久慈、姉帯ら旧南部国人衆、第二陣の稗貫、和賀ら陸奥国人衆は、鉄砲の餌食となったか、あるいは逃げだした。第三陣は本来、葛西軍のみであったが、柏山はあえて第三陣に下がった。新田の出方が解らなかったからである。そして結果は、目の前の惨状であった。


「主計、なにをしておる! 騎馬隊、来るぞ!」


 三田重明に鋭い声が届く。主君の柏山明吉は、第一、第二陣が敗れたことを当たり前のように受け止め、新田の騎馬隊に向き合おうとしていた。主君の頼もしい姿を見て、三田重明も自分を取り戻す。


「長槍隊、構え!」


 霧の中から、騎馬と足軽が飛び出してきた。長槍隊と激突する。


「怯むな! 落ち着いて一騎ずつ確実に仕留めるのだ!」


 騎兵の強みは突破力である。だがそれは、構えられた槍に馬ごと突っ込むという諸刃の剣でもある。柏山軍の強さは、主君の沈着冷静な判断力と家臣の優秀さ、厳しい調練を経て足腰を鍛えられた兵たちの力強さにある。ドンッという衝撃を受け止め切った柏山軍は、そのまま乱戦へと突入した。




「柏山か。初めて当たったが、手強いな。柏山を避け、葛西を攻めるぞ」


「申し上げます! 斯波、大崎の兵が左から動いております」


 いつの間にか、霧が晴れていた。騎馬隊を率いていたのは武田甚三郎守信であった。チラリと左に視線を送る。自分たちを避けるように回り込み、一気に本陣を突くつもりだと判断した。


「殿が蠣崎、滝本を動かす。敵の頭を押さえて中央に捻じ曲げよう。鉄砲が来るぞ! 葛西陣に突っ込めぇ!」


 守信の読み通り、蠣崎政広、滝本重行の二人が率いる部隊が、斯波、大崎軍と激突した。打ち破るのではなく、新田陣から見て左斜めから当たって、その動きを中央に寄せるためである。


「おりゃおりゃおりゃおりゃっ!」


 滝本重行は槍を振り回し、足軽たちを弾き飛ばした。堅い壁にぶつかった敵は、(新田陣から見て右に)向きを変える。さらにそこに蠣崎の部隊がぶつかる。さらに向きを変える。


「仕留めることに拘るな。その場に留まる巌となれ! 敵の流れを中央に持っていくのだ」


 蠣崎政広は段階的にぶつかり、誘導した。混戦状態の中、武将でもない一兵卒が、いま自分が全体のどこにいるのかなど判断することは難しい。斯波、大崎の部隊の一部が、鉄砲の射線へと飛び出してきた。


「撃てぇ!」


 鉄砲の音が響く。敵がバタバタと倒れていく。勝利が見え始めていた。だがまだ敵も戦い続けている。勢いは新田にあるが、兵力的にはようやく互角になったところである。勝利のためには、今一度の強力な一撃が必要であった。




「このままでは負ける。ここで逆転するには、大将首が必要だ。我らは(連合軍から見て)左翼から一気に敵の本陣を狙うぞ」


 柏山明吉は、自ら兵を率いて動き出した。柏山の強兵一〇〇〇は、鉄砲の射線を回避する形で進む。最初の突撃を何とか生き延びた兵たちを吸収しつつ戦場を駆ける。


「殿、柏山が突っ込んできます!」


「師季、頼むぞ!」


 又二郎の指示で、下国師季が本陣の軍を動かす。鉄砲二〇〇〇、騎兵二〇〇〇、足軽三〇〇〇をすでに出している。本陣には二〇〇〇しかいない。その中から一五〇〇を率いて、柏山を迎え撃つ。左右どちらも敵の突撃を食い止める形である。もし突破されれば本陣を守るのは僅か五〇〇、又二郎の首も危うい。


「楽勝に思えたが、案外ギリギリだな」


 だが大将が簡単に逃げるわけにはいかない。又二郎は漆塗りの軍配を握りしめた。




「わぁぁっ! 怖いよ、怖いよぉっ!」


 らんまくは気が付いたら、再び戦場に戻っていた。槍を前後左右に滅茶苦茶に振り回すが、そんな戦い方で敵兵を討ち取れるはずもない。背中を狙っていた敵兵を兄のがんまくが槍で刺し、弟を助ける。


「らんまく! 俺の背中を守れ!」


「あ、兄ちゃん、怖いよぉっ!」


「ここは戦場いくさばだ! 手柄なんて考えんな! とにかく生き残るぞ!」


 兄弟は互いに背中を守りながら、とにかく生き抜くことに必死であった。


「これが新田の兵か。よく鍛えられている」


 敵の本陣が見えているというところで、堅い壁にぶつかった。柏山明吉は突き出された槍を躱して、足軽の顔を手にしていた豪槍で叩き潰した。兵一人ひとりの身体つきが違う。自分が鍛えた兵たちと互角以上に戦える敵など、初めてであった。


「殿、右から南条軍が……」


 三田重明の言葉に舌打ちする。南条広継は鉄砲隊の半分一〇〇〇に槍を持たせ、柏山の側面を突いたのだ。これは賭けでもあり、読みでもあった。九戸、久慈などの国人衆はすでに蹴散らした。葛西は武田守信が、斯波と大崎は蠣崎、滝本が食い止めている。鉄砲隊を半分割いても、一〇〇〇を残せば、突っ込んでくる敵は蹴散らせる。そう判断し、本陣を狙っている柏山の側面を突いたのだ。


「殿、敵は我らの倍。ここは退くべきかと……」


「やむを得んか。退くぞ!」


 墨で塗ったような黒い旗を掲げると、柏山軍は一斉に退き始めた。調練の中で、撤退の合図として教え込まれているのである。だがこの合図を知らない者もいた。吸収された陸奥国人衆の残兵たちである。

 潮が引くように柏山軍が撤退していくと、浜辺に打ち上げられた魚のように、幾つかの場所に取り残された兵がいた。下国師季も本陣を守るために追撃を打ち切った。


「殿、敵が撤退していきますぞ」


 柏山軍の撤退が契機となったのか、他の軍も一斉に撤退を始めた。又二郎は武田、蠣崎、滝本の三名に追撃を命じた。ただし追撃するのは一戸までとした。姉帯城までは兵の体力が持たないのと、思わぬ反撃を受けかねないと判断したからである。


「辛勝、といったところか?」


「ですが、勝ちは勝ちです」


 主君の呟きに、下国師季はそう返した。確かに勝ったが、こちらも相応に兵を失っている。概算で一〇〇〇程度であろうか。一方で、三〇〇〇は討ち取ったと思われた。その中には、それなりに名のある者もいるに違いない。犠牲は出したが、確かに勝ったのだ。


「それにしても、最後は危なかったな。あれが柏山か。攻めるのも退くのも、見事なものだったな」


 惜しむらくは、兵の数が少なかったことだろう。柏山にあと一〇〇〇あれば、あるいは自分は討ち取られていたかもしれない。そう思うと首元が寒くなり、又二郎は自分の首を摩った。




「兄ちゃん、俺たち死ぬのかな?」


「まだ生きている。今は黙ってろ」


 がんまく、らんまくの兄弟は、乱戦の中を何とか生き残った。だが柏山の撤退には付いていけなかった。気が付いたら新田軍に取り囲まれていた。そこでようやく槍を捨てて降伏したのである。


「殿は、無駄に血を流すことは好まれぬ。戦が終わった以上、この者たちとて新田の民だ。飯を食わせ、傷の手当てをしてやれ」


 立派な武将がそう指示する。兄弟は何とか生き延びられそうだと喜びあった。そして驚いた。手を洗わされた後、大きな握り飯三つと肉が入った汁が出てきたのだ。


「兄ぢゃぁっ、うんめぇなぁ」


「あぁ…… 生きてんだなぁ、俺たちゃぁ」


 弟は泣きながら握り飯を頬張った。兄も握り飯を齧りながら、行き交う兵たちを眺める。するとどう見ても弟よりも年下と思える男が、先ほどの立派な武将を連れて此方に歩いてきた。自分を含め、捕まった兵たちが呆然としている。


「控えよ! 新田家御当主、新田陸奥守様である!」


 慌てて頭を下げようとしたら、それを止めて言う。


「良い。腹が減っていよう。食いながら聞け。これより我らは姉帯城に進む。家に帰りたい者がいれば、ここで解放する。だが新田の兵として働きたいという者は歓迎する。いま食っている飯を毎日当たり前に食えるぞ? さらに、手柄を立てた者は新田で召し抱えてやる」


 ゴクリッと飯を飲み込んだ。これが毎日食える。どうせ村に帰っても飢える暮らしが待っているのだ。それならば……


「あ、兄ちゃん!」


「あぁ…… 俺らも行くぜ! 殿様!」


 がんまくは声を震わせながら、大声で叫んだ。弟の手前だから気を張っていたが、本当はがんまくも、ずっと怖かったのだ。緊張が解けて、それが出てきてしまった。だが目の前の、少年とも思えるほどに若い大将は、ニッコリと笑って頷いた。

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