第103話 奥州大乱の始まり

 蝦夷徳山館に戻った深雪姫は父親の蠣崎若狭守季広に、当主である新田又二郎政盛との婚約を報告した。嫡男の蠣崎宮内政広も同席している。三戸南部家の嫡女である桜姫も同時に婚約しているため、事情を説明する必要があると考えたからだ。


「それで、本当に殿に嫁ぐことに納得しておるのだな?」


「はい。私は又二郎様をお慕いしております。神童とも、宇曽利の怪物とも呼ばれていた方。お目にかかるまでは不安もありましたが、お会いしてみると噂というものは当てにならないものだと解りました。とてもお優しい方だと思います」


「そうか。殿は優しいか……」


 父親は、そう呟いて頷いた。確かに女子供から見れば優しく見えるだろう。実際、自分にも随分と気を遣っている。蝦夷地の様子はどうか。体調に不安はないか。新たな作物を栽培し始めたから、今度食べてみると良い。三月に一度程度、そうした書状が送られてくる。自分のみならず、評定衆には皆、そうしていると聞く。女子供からすれば、細やかな気遣いをしていると見えるだろう。


(新田家では、公式の書状はすべて楷書を使っている。だが殿から儂への書状は草書だ。つまり私的な書状ということ。こうやって使い分けて「自分」を見せることで、家臣たちの心を掌握しようとしている。ただ優しいというだけではない。統治者としての明確な狙いがあるのだ)


 ただ優しいだけの当主など、戦国の世では頼りないだけである。その点、新田又二郎政盛はアク・・が強い。優しさすら武器に変えてしまう。それくらいが頼もしい。


「父上。三戸南部家は先代の晴政殿の代で、名目上は絶えております。されど旧南部家の家臣たちは、殿と桜姫との間に生まれた男子に、三戸南部家の再興を期待していると思われます。当然、そのことは殿も承知されているはず。蠣崎、南部の対立を避けるために、今一つ手を打つ必要があると思います」


「石川左衛門尉高信殿の子、亀九郎殿のことか?」


 石川高信の長男である亀九郎は、吉松と同い年で、齢一四歳になる。そろそろ元服をする年齢であった。政広はこの亀九郎に、蠣崎家の娘である菜々姫を嫁がせてはどうかと父親に意見した。


「菜々は一つ下になるが、確かに悪くはない。旧南部家臣の筆頭は石川殿であろう。その長男と菜々が結ばれれば、南部家と蠣崎家との融和にもなる。だが殿は、このことを御承知なのか?」


「当然です。ご相談してみたところ、無理に嫁がせる必要はない。まずは互いに顔を合わせてはどうかと仰られていました。互いに相手を気に入れば、自然と結ばれるだろうと」


「殿らしい話だ。宮内、その話を進めよ。蝦夷と津軽の交流はさらに進めねばならぬ。殿はいずれ、四日に一度程度の定期船を設けるとまで仰っていたからな。それが実現すれば、蝦夷はさらに発展する」


 蝦夷地の新田領は拡大こそしていないが、人が増え始めている。アイヌ民族が徐々に取り込まれているのだ。その気になれば、イシカルンクル(※現在の石狩市)あたりまでは飲み込めるだろう。だがそのためには、蝦夷、津軽間の行き来がもっと発展しなければならない。人はどこまでも豊かさを求めるからだ。


「仲人は、浪岡弾正大弼殿にお願いしてはどうでしょう。浪岡家は津軽の重鎮にして、朝廷とも繋がりを持つ家柄。それにより蠣崎、南部、浪岡の家が結ばれまする」


「具統殿とは書状でやり取りをしておる。儂からも頼んでみよう」


 気が付くと、深雪がふくれっ面となっていた。どうしたのかと尋ねると、不機嫌そうに言った。


「父上も兄上も、菜々の話の前に、私の婚儀について話してくださいませ!」


「ハッハッハッ…… いや、済まなかった。そうだな。今は深雪の話であったな。悋気を起こさず、桜姫とも仲良くするのだぞ? 奥の騒動など、家を弱らせるだけだからな」


 婚儀の時期については、永禄二年(一五五九年)の水無月(旧暦六月)あたりとされた。だがこれは後ろ倒しになる可能性が高かった。高水寺斯波家をはじめ、敵対勢力が動き始めていたからである。




「義姉上。殿と桜姫との婚約、恙なく成り申しました。おめでとうございます」


 石川左衛門尉高信は、義姉である南部晴政正室に祝辞を述べた。三戸南部家を再興するには、新田の血を入れるしかない。そこで嫡女である桜姫を新田又二郎の側室に入れる。母親はそう考えていたが、二人同時とはいえ正室待遇で迎えられるのである。大満足の結果であった。


「高信殿。殿との婚儀が成り次第、私は髪を下ろし、亡き夫を弔いとうございます」


「義姉上、それは……」


 南部晴政は遺骨こそ残されているが、未だ葬儀すらされていない。遺言により葬儀も墓も不要と書かれていたためだが、いずれは南部家菩提寺にて葬儀を行いたいというのが、元妻の願いである。


「新田家との婚儀により、南部家は安泰となりました。ですが御家を壟断すると思われるようなことは、慎まねばなりません。私は今後一切、家のことに口を出しません。桜は新田の娘となるのです。それを態度で示す必要があるでしょう」


「石川城を離れ、三戸の菩提寺でお暮しになると…… 承りました。三戸には毛馬内靱負佐がいます。殿の御許しを得て、義姉上が不自由なさらないよう手配しましょう。ですが、今は陸奥が荒れておりますれば、落ち着くまでもうしばらく、御辛抱くだされ」


 葬儀、そして婚儀と続くことになる。だが周囲がそれを許さない。陸奥統一が見えた段階となるだろう。


(水無月までには、姉帯城を落とせるか? 殿のお考え次第だな)


 新田又二郎、南部桜、蠣崎深雪の三人は、いずれも齢一四歳である。婚約さえ発表しておけば、婚儀を急ぐ必要はない。まずは片付けなければならない問題が、他にあるのだ。




 新田家では、騒がしいながらも祝賀の雰囲気が広がっていたが、高水寺こうすいじ城においては戦雲が沸き起こっていた。稗貫、和賀、高水寺、葛西、大崎、小野寺の六家による対新田同盟が成立し、宮野城攻めの戦支度が始まっていたからである。


「かつての南部包囲網すら超える、大規模な戦となるでしょう。輝時殿(※稗貫輝時のこと)、義勝殿(※和賀義勝のこと)も小野寺の不安が無いため全兵力を出すとのこと。葛西と大崎も一時的に手を結び、高田(※陸前高田)、気仙沼、石巻に守りの兵を残す以外は、此方に御味方くださいます。さらには伊達家も不動の約束をしてくださいました。姉帯城の兵と合わせれば、一万を超えます」


 高水寺斯波家の重鎮、雫石詮貞の言葉に、斯波経詮は満足げに頷いた。この決戦に向けて、武器や兵糧も備えてきた。まずは姉帯城の旧南部家国人衆と合流し、宮野城を攻める。その後は北上し三戸城、そして七戸城まで落とすのが目標である。


「七戸まで落とせば、八戸との道が断たれる。そうなれば久慈や九戸なども孤立し、獲ることも容易であろう」


御前ごぜん様、九戸の処遇ですが……」


 旧領を返すのかという問いである。無論、そんなつもりはない。九戸も久慈も、高水寺に仕えたければ召し抱えるが、タダで旧領を返すほど斯波経詮もお人よしではないのだ。


「不満だというのなら、返す刀で九戸も滅ぼしてしまえばよいのだ。もともと南部家国人衆として、我らと敵対していた連中だ。そこまで助けてやる義理などあるまい」


 戦国時代においては、弱いこと自体が「悪」なのである。奥州武士の誇りも、一所懸命の覚悟も、強さが伴わなければ「負け犬の遠吠え」に過ぎないのだ。


「では、兄上……」


「うむ。頼むぞ」


 高水寺斯波家の重鎮、雫石詮貞と猪去詮義の二将が出陣する。奥州大乱の始まりであった。永禄二年如月中旬のことである。

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