第102話 大陸との交易

 本来、大名家における仕事は多様にある。屋敷の掃除をする者、洗濯をする者、馬の世話をする者などなどだ。こうした仕事をする者たちを総称して「武家奉公人」という。武家奉公人には大きく三種類ある。


1.主君の側に仕え、日々の細々とした仕事の中で、武士の心得を学ぶ「若党わかとう

2.口入れ屋(※現在の軽作業スタッフ派遣会社のようなもの)を通じて有期雇用された「中間ちゅうげん

3.主君に私的に雇われて、草履取りなどを行う「小者こもの


 織田家で例えるならば、木下藤吉郎秀吉などは、3の「小者」から始まったといわれている。一方、秀吉の近習として仕えた「加藤清正」「石田三成」などは、1の「若党」に入るだろう。1と3の違いは、1は将来の幹部候補と期待され、主君が自ら鍛えるが、3は「雑用係」という仕事に就く者に過ぎないということだ。プロ野球で例えるならば、1は「ドラフト育成枠」であり、3は「球拾い」である。


 本来、小者から足軽、武将となることはない。なぜなら小者の仕事は雑用であり、武士の仕事ではないからだ。つまり人事制度上の「キャリア形成」そのものが違うのである。小者であった木下藤吉郎も、足軽という「武士におけるキャリアのスタート地点」から始まっている。織田信長という当時としては非常識な主君が「やれそうだから」という理由で登用しなければ、木下藤吉郎は面倒見の良い小者頭の親爺で一生を終えていたであろう。




 久慈村で新田又二郎政盛に拾われた市丸は、新田家お抱えの「小者」として、新たな人生を始めていた。永禄元年時点で、齢九歳の童である。戦国時代においては子供であっても普通に働くため、これは珍しくはない。孤児や百姓の二男以下を小者として召し抱えることなど、新田家以外にも普通にある。


「市丸、飯だぞ!」


 もっとも、新田家における小者の待遇は、他家とは比較にならないほど良い。まず飯が違う。子供にはしっかり食べさせろという理由から、獣肉(※とはいってもスジ肉だが)が入った汁と麦飯、山菜の漬物、おからの煮物などが晩飯に出る。そして驚くべきことに、主君を含め皆が同じものを食べている。


《飯を統一すれば費用が安いし、何より毒味の必要が無い。酒宴などの時はさすがに別にするが、普段であればその方が良かろう》


 又二郎の指示によるものだが、今では新田家中のすべてがそうなっている。理由は「新田家の飯が美味すぎる」からである。家臣の中には、家の者に料理を学ばせるために厨奉行に人を派遣しているほどである。


「うんめぇっ! オイラ、こんな美味い飯、初めて食った!」


 鶏の骨を煮た汁に、洗った鶏の内臓や骨の周りに付いていた肉、大根や牛蒡などの野菜類をぶち込み、火が通ったら雑穀米を入れ、ひと煮立ちさせてから溶き卵を加える。醤油で味を調えた「雑炊」に、子供たちが群がる。宴会の残り物で作ったとは思えないほどに旨い。


「また始まったぞ。市丸の、初めて食った!がな」


 冷やかされるのを気にせず、市丸は夢中で雑炊を掻き込んだ。新田家の小者となってから半年以上になるが、市丸はまだ文字すらロクに読めない。小者たちは全員が、読み書き算盤を学ばされる。市丸は最初、刀や槍を振り回して戦で活躍するのが侍だと思っていたが、小者頭から「まずは目の前の仕事をしっかりできるようになれ」と言われ、とにかく夢中で働いていた。




「殿、どちらへ?」


「金崎屋の店だ。珍しいモノが入ったと聞いた。銭衛門も忙しかろう。久々に街も見ておきたいし、俺から出向こうと思う」


「では、すぐに支度致します」


 永禄二年(一五五九年)睦月(旧暦一月)末、又二郎は浪岡の城下町へと繰り出そうとしていた。北日本最大の商人となった金崎屋善衛門と共に、大陸の商人が来ているというのである。十三湊はもともと国際交易港である。アイヌ民族が暮らす蝦夷地やその北のカラプト(※樺太のこと)から交易の船が来る。大陸からの交易船は、豆満江下流域(※ウラジオストクの南西で北朝鮮との国境地帯)から来るが、その数は多くはない。日明貿易には室町幕府の勘合が必要であるため、十三湊では行われていなかった。又二郎としてはこれを機に、明の非統治地帯である女真族との交易に力を入れたかった。


「ん?」


 屋敷を出ようと草履に足を入れると、微妙に温い。草履取りを見ると毛皮を羽織った童が頭を下げている。冬の草履取りは寒いため、毛皮を使いまわさせていたが、それが少し震えている。


「……たしか、市丸という名であったな? 俺の草履を尻に敷いていたか?」


「いえ! 殿様が寒くないよう、温めてました!」


 大きな声でそう返す。又二郎は苦笑した。要するに尻に敷いていたのである。ただ言い方を変えるだけで、受け取り方が大きく変わる。その機転の速さを又二郎は気に入った。まるで木下藤吉郎ではないか。


「小賢しい奴だ。これより出かける。市丸、荷物持ちをしろ」


「は、はいっ!」


 市丸は嬉しそうに大声で返した。




「銭衛門、いつの間に明の言葉など覚えたのだ?」


「ヘッヘッヘッ、まだ片言ではございますが。殿様に御満足していただくには、アッシも商いを大きくせねばなりません。十三湊が整備されたことで、大陸との交易もできるかと思いまして、ハイ」


「クククッ、いいぞ銭衛門。その勢いでじゃんじゃん稼げ!」


 二人して悪い笑みを浮かべて、親指と人差し指で輪を作る。金崎屋善衛門の隣には、髪を三つ編みにして見慣れぬ服を着た男がいた。聞くと女真族の商人らしい。


「倭寇が動いているのは、朝鮮から大陸の南、江南という一帯だそうです。かつては北も、安東水軍が倭寇のような動きをしていましたが、十三湊を殿様が治めたことで、今はがら空きです。女真の商人も、そこに目を付けたらしいです、ハイ」


 クタンシという名の商人であった。金崎屋が新田家から借りている千石船を見て、交易ができるのではと一念発起して、十三湊まで来たらしい。


「アッシも大陸は初めてでしたが、見たこともないものが沢山ありました。新たな農産物を探している殿様も御喜びになると思って、こんなものを持ってきました」


 ゴロンッとした珠のようなものが置かれる。又二郎は瞠目した。思わず叫んでしまう。


「玉葱かっ!」


「へ? 殿様は御存じでしたか?」


 又二郎が知っていたことのほうに、金崎屋は驚いた。又二郎は書で読んだことがあると誤魔化した。玉葱は、中国では歴史が古く、紀元前から栽培されている。だが日本に持ち込まれたのは、なんと一九世紀後半である。鎖国というものが、どれほど日本の発展を遅らせたかわかる、端的な例であろう。


「よくやった銭衛門。言い値で構わん。すべて買う」


 玉葱は連作障害が起きにくく、香味野菜として使える。涙を出させる成分「硫化アリル」は、高血圧や糖尿病にも効果がある。塩分を採りがちな武士にとって、玉葱は健康食としても使えるだろう。


「それで、女真の商人は何を望む?」


 金崎屋がクタンシに聞くと、やはり昆布、そして銀であった。女真族は大都(※現在の北京市)とも交易が可能らしい。数年前に「庚戌の変」が発生し、国境に互市(※朝貢によらない私貿易を認めた市場)が出来たらしい。明の政治状態は極めて不安定だが、今のところは女真、蒙古、明との三点交易が可能だという。


(いずれ明は崩壊し、女真族のヌルハチが清を築き上げる。今のうちに、ヌルハチの祖父であるワンカオと繋がりを持ったほうが良いだろう。いずれできる清国に、朝貢ではない交易を認めさせるためだ。それともう一つ。これはできるだけ早く欲しい……)


「銀や昆布、あるいは干し鮑などは用意できる。だが今後のためにも、ぜひとも調達してほしいものがある。難しいかもしれないが、やって欲しい」


「殿様、それは……」


「明の製鉄技術を持つ職人だ。明では、日ノ本とはまるで違う鉄の作り方をしている。それを知る者を連れてきて欲しい」


 金崎屋が通訳する。クタンシは少し考えて頷いた。そして金崎屋に何かを話す。


「クタンシの話では、明では職人の地位は低く、あまり厚遇されていないそうです。家族まで含めて面倒を見てくれるというのなら、来てくれるかもしれないとのことです」


「……儒教の弊害だな。新田では職人を厚遇するぞ。この町を見れば解るであろう? 皆が笑顔でモノを造っておる。大歓迎すると伝えてくれ」


(クックックッ…… 明の阿呆どもは知らぬ。高炉とコークスの両方を知る職人が、どれほど貴重なのかをな。さて、陸奥を獲るぞ。あそこには釜石がある!)


 金崎屋の言葉を聞いて、クタンシは頷いた。だが又二郎に顔を向けて、思わず震えた。そこに怪物が座っていたからである。又二郎は頬を揉んで、ニッコリ笑った。

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