第100話 元禄二年、年初

 永禄二年(一五五九年)睦月(旧暦一月)、吉松が元服して新田又二郎政盛となったことで、祖父の新田盛政は本格的に隠居し、恐山麓の温泉街でのんびり過ごしている。もう自分の時代は終わりだ。若き当主が、新たな時代を切り拓くとともに、自分の家を一から創っていけ。新田家本拠地の田名部を離れたのも、そうした思いからであった。

 新たな新田家の始まりと共に、年始の大評定が浪岡城で開かれる。今回の大評定には、蠣崎家当主の蠣崎季広のみならず、檜山安東家の安東太郎愛季まで参加する。又二郎の元服を祝う目的もあるが、今後についての話をしなければならないからだ。新田に対して興味を持つ家臣、国人衆を一〇名ほど連れて、安東家一行は津軽に入った。


「これは、恐ろしく道が良いな」


「橋もしっかりとしておりますな。それに所々に馬の水飲み場や休息所を整えています。新田家では治水と道造りに力を入れていると聞いていましたが、聞くと見るとで、ここまで違うとは」


 浪岡城の城下町に入ると、さらに驚く。大通りの両側には煉瓦と陸奥漆喰の壁で整えられた商店が整然と並び、すべてが瓦葺となっている。道は広く、荷車四台を並べてもまだ余裕があるほどだ。そして道の両脇には側溝があり、浪岡川から引き込んだ水が流れている。雪かきをした残雪を落とすためのものだ。側溝には石蓋が填められ、人が落ちないように工夫されている。


「京の都…… いや、それ以上の賑わいではないか?」


 人々は活気に満ち溢れ、まるで街全体から湯気が上っているようだ。安東愛季は目を細めた。この賑わいを日ノ本中に広げることが新田の目標だとするのなら、それを邪魔する者は「悪」だと見做されないだろうか。少なくとも、目の前の民たちはそう断じるだろう。

 同じ気持ちを持ったのか、家臣たちも複雑な表情を浮かべた。鎌倉から続く「一所懸命」「御恩と奉公」の考え方。武士の根幹を形成するこれらが、本当にこれからも必要なのか? 変わるべきは武士のほうではないのか? そう突き付けられている気がした。


「某は浪岡弾正少弼具運ともかずと申します。主君より、安東様の御接待を任されております。どうぞごゆるりと、お過ごしくださいませ」


 三〇手前の働き盛りの男が出迎える。父親は新田家の重臣だが、浪岡北畠家の当主は目の前の具運である。その当主が自ら出迎えてきたのだ。安東愛季も頭を下げた。


「いやはや…… 凄まじい賑わいですな。浪岡の繁栄は、我が父の代から噂となっておりましたが、これほどとは思いませんでした。特に側溝の考え方は目から鱗です。やはりこれは、新田又二郎殿が?」


「いいえ。側溝については、我が祖父、浪岡左中将具永が始めたものです。とはいっても、これほど徹底はしていませんでした。主君は大変驚かれ、糠部津軽の主要な街々に側溝を普及させると仰せになり、浪岡家が始祖であると書に認めてくださいました」


 具運は照れくさそうに、それでいて誇らしげにそう言った。愛季は頷き、又二郎の家臣掌握について考える。手柄の認め方が普通ではない。誰が始めたものなのか、誰が考えたものなのかを明記し、それを残す。まるで歴史に刻み込むかのようである。たった一枚の書状なのに、浪岡家にとっては累代に渡る家宝となるであろう。


「……学ぶことばかりだな」


 愛季の呟きに、国人たちも真剣な表情で頷いた。





「……伏して、お詫び申し上げます」


 評定の間において、安東太郎愛季が頭を下げる。家臣および国人衆は別間に待機させている。家臣の前で頭を下げさせるほどではないという、又二郎の配慮からである。


「頭を挙げられよ。戦に負けは付きもの。新田家とて、いずれ負ける時が来るであろう。家が滅びたわけでもなし。一の矢で仕留められねば二の矢で。二の矢でも仕留められなければ、三の矢を放てばよいではないか」


 評定の間にいるのは、新田家の中でも重臣のみである。こういう場には、あまり人を入れる必要はない。だが安東家が動けなくなった以上、陸奥統一は新田単独で行わなければならない。負担が増えるのは確かだ。


「殿。我らだけで陸奥統一というのは、些か負担が大きくはありませぬか? 安東殿はこれから土崎湊と事を構えられますが、せめて鹿角方面からだけでも、援軍を出してもらっては如何でしょうか?」


 石川左衛門尉高信の発言に、南条越中守広継や他の重臣も頷く。兵力としては出せても二〇〇〇程度であるため、それほど活躍は期待できない。肝心なことは寡兵であっても、とにかく出させるということである。これにより、安東家が新田に従属しているという証になるからだ。


「二〇〇〇も必要あるまい。後詰や助攻、あるいは牽制を任せるのであれば、一〇〇〇で十分だ。安東殿、如何か?」


「ハッ、寛大なお言葉、かたじけのうございます。兵一〇〇〇、必ずお出しいたします」


「うん、頼む。糧食はすべてこちらで用意する故、その点は心配無用だ。雪解けの頃だから、弥生(旧暦三月)上旬の頃となるであろう」


「殿、その前に九戸らが動く可能性もありますが?」


 南条越中守広継が懸念を示す。又二郎もその点は考えていた。


「俺なら来月(旧暦二月)の中旬から下旬に動かす。大崎家や葛西家、そして高水寺斯波家も動くだろう。総兵力は八〇〇〇から一万といったところか?」


「兵力だけなら我らと五分ですな。もっとも、宮野城(※現在の九戸城)を落とすには些か……」


 南条越中がクククッと笑う。又二郎も口を歪めた。宮野城での籠城戦は、既定路線である。城門と堀の補強、そして鉄砲を使った防戦のために、改築を続けている。二月までには間に合うだろう。





「それでは、大評定を始める。毎年、年初で必ず言っていることだが、新田家の目標は天下の統一である。飢えず、震えず、怯えずの三無を、日ノ本の隅々にまで普及させる。職人、商人、百姓たちが、どこそこの領民ではなく、日ノ本の民と名乗るようにする。そのためには、すべての土地を平定し、その土地を主上にお返しし、新たな統治の仕組みを創り上げなければならない。現在、新田家で行っている統治は、すべてそのための試金石であり、随時見直していく。では、まずは現在の領内状況からだ。吉右衛門……」


 又二郎の言葉を聞いて、安東愛季は鳥肌が立った。齢一四歳、自分よりも七歳も年下なのに、明確な将来像を持っている。そして家臣全員が、それを受け入れている。きっと、幾度も説明し続けているのだろう。今の話は、安東家のためにしているに違いない。


「新たに得た久慈、葛巻、九戸などの土地の検地は一通り終えております。残念ながら山林が多いため、まとまった米作りは困難です」


「うん。指示していた山葡萄はどうか?」


「既に見つけておりまする。雪解けと共に棚田をつくり、殿の御指示に沿って葡萄栽培に入ります」


「山葡萄を絞って樽に入れて保管すると、酒になる。南蛮ではワイン、あるいはヴィーノと呼んでいるそうだが、明においても造られているそうだ。この日ノ本で出来ないはずがない。また葡萄の実は干すことで日持ちする。兵糧としても使えるし、新たな交易品となるだろう」


 それ以降も産業振興、新たな集落の建設、治水などの賦役、蝦夷地での交易など様々なことが紙で報告されていく。出来れば、目の前の紙を持ち帰りたいくらいだが、安東家に配布された紙は、すべて回収されてしまった。内容からして、他家には教えられないということである。本来であればこの場に参加が許されることすら、有り得ないのである。


「さて、戦の話に移ろうか。今年中に九戸、高水寺を潰す! 雫石城を落とし、仙北までの道を拓く。これが必達の目標だ。その上で、可能な限り葛西を叩く! 藤六(※長門広益のこと)、軍備はどうか?」


「常備兵を一〇〇〇増やし、一万三〇〇〇としました。いずれも身体は出来上がっております。御下命を頂ければすぐにでも動けます」


「左衛門佐(※北信愛のこと)、兵糧および街道の整備は?」


「宮内城までの道の中でも、特に整備が必要なところは終えております。されど、久慈や野田などは離れすぎております故、未だ手を付けられておりませぬ」


「構わぬ。久慈については琥珀採掘と港湾整備が優先だ。計画については判九郎が既に整えているので、すぐにでも着手せよ」


「ハッ」


 大評定は、時間にすれば一刻にも満たないが、内政の話に大半の時間が費やされる。戦については期限と目標だけが明示され、あとは武官たちによって詳細を練り上げる。こうした評定の在り方も、安東愛季にとっては新鮮であった。明確な目標を立て、一人一人に役割を指示し、いつまでに何をするのかを理解させる。そしてそれらがすべて、紙に落とし込まれている。評定一つとっても、安東家とはまるで違った。


「さて、最後に皆も気にしているであろう、従属同盟をしている安東家についてだ」


 評定の最後に、又二郎は安東家について触れた。


「皆も知っているであろうが、安東家は由利衆との戦で不覚を取った。安東家はこれを立て直し、離反した土崎湊、そして由利衆へと進むだろう。本来であれば、新田の戦に兵を出す余裕などない。だがそれでも、安東太郎愛季殿は一〇〇〇を出すと言ってくれた。少ないなどと思うなよ? なんとか絞り出した真心を俺は重視する。よって新田家は、陸奥侵攻の支援が出来なくなったことで、安東家を責めることはせぬ。安東殿には心置きなく、出羽で活躍していただきたい」


「は…… ハハァッ!」


 安東太郎愛季は、思わず手をついて頭を下げてしまった。下げながら思った。器が違うと。

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