第七章 奥州大乱

第99話 酒宴

 時は少しだけ遡る。永禄元年(一五五八年)神無月(旧暦一〇月)、安東太郎愛季は主だった国人衆を集めて酒宴を開いていた。手痛い敗北を喫した後だからこそ、まだまだ余裕だという姿を見せなければならない。安東家はどうなるのかと不安を覚えていた譜代の国人たちも、当主の笑顔を見て安堵した。

 だが安東家に従って間もない旧浅利、鹿角の国人衆の中には、湊安東家や小野寺家あたりと繋がりを持ち始めた者もいる。とはいっても地理的な問題から、いま叛いたところでどこからも援けてもらえない。叛くに叛けない状況であるため、しばらくは様子を見るという姿勢である。

 当然、安東愛季もそうであろうと予想している。いっそのこと叛いてくれれば、四方から攻め込んで取り潰し、その土地を直轄領にしてしまうのだが、表立って離反しない以上、それはできない。酒宴で歓待し、繋ぎ止めておくことしかできないのである。


「いやはや…… それにしても新田は強うございますな」


「確かに。白沢の砦は二重の堀を構えた堅牢なもので、街道沿いの集落も栄えているとか」


 先の敗戦の話など、誰もしたがらない。また湊衆や由利衆の話をしたところで、殺伐とした話題になるだけである。必然的に新田家の話が多くなる。安東愛季は口を開かない。家臣、国人同士で話させる。新田の話を聞きながら、何が違うのかを考える。


(何もかも違うといえばそこまでだが、強いて一つを挙げるとすれば何だろうか? 「当主の器量」などという漠然としたものではなく、誰が聞いても納得できる具体的な点で挙げるとすれば……)


 酒を飲みながら、思考の海に沈む。家臣たちの声が遠く聞こえる。


『銭で雇った兵は弱い。そう思っていたのだが、新田の兵は屈強で、しかも士気が高い』


『新田は豊かだからな。新田に流れた流浪の民であろうとも、飢えることなく暮らせる。もし負ければ、また飢える暮らしに戻ることになる。必死になるのも当然であろう』


『米だけではない。新田では様々な物が造られ、それが銭で売買されているそうだ。土地を取り上げられた国人には毎年、米と銭が与えられ、これまで以上の暮らしをしていると聞く』


『百姓まで銭を使っているからな。新田ではかなり前から、領民たちに読み書きと算盤を教えているらしい。領民皆が、簡単な算術まで使えるなど、信じられん』


 新田領の繁栄と凄さを褒める言葉が聞こえてくる。だがどれも表面的なものばかりだ。アレが凄い、コレが凄い。だがそれらは、新田の強さの本質ではない。目隠しをした状態で、巨大な城に触れているようなものだ。ゴツゴツとした岩山と言う者もいれば、家の壁と言う者もいるだろう。どれも間違いではないが、正しくもない。城という本質を言い当てていないからだ。


『新田吉松殿は一〇年以上前から、領民に算術を教えていたという。その時は齢二歳だぞ? 信じられん。神童。あるいは宇曽利の怪物と呼ばれる所以であろうな』


(一〇年前…… そう。新田の繁栄は昨日今日で始まったことではない。何年も前から少しずつ栄え始めていた。最初は旧七戸領あたりから、人が逃げ始めたという。やがて津軽と陸奥に広がり、今では出羽にまで広がりつつある。物産も、輸送も、人も、何年も前から時間をかけて周到に整えてきた。まるで、現在の繁栄を予想していたかのように……)


「先々が、見えるのか?」


「御屋形様?」


 つい、考えが口に出てしまった。愛季の呟きに、近くにいた家臣が反応する。我に返って苦笑いする。誤魔化すのも変なので、簡単に自分の考えを言う。


「俺が思うに、新田の凄さの本質は、明確な将来像を持っていることにあると思う」


「と、仰いますと?」


 愛季は手にしていた盃を置いた。数瞬、沈黙する。誤解を与えないように言葉を選ばなければならない。


「恐らく、新田吉松殿は二歳で家督を継いだ時点で、どこまで戦い続けるか。自領をどのように統治するかといった将来像を持っていたのだろう。米作りも人づくりも交易も…… すべては手段でしかない。天下を獲ると言っていたが、それも手段であろう。吉松殿の中には、新たな日ノ本の姿があるに違いない」


(そう。それこそが俺と新田吉松の最大の違い。新田吉松には、日ノ本全体の将来像があるのだ。それを実現するためには天下を統一しなければならない。国人の土地を取り上げるのは、その将来像への布石であろう。天下統一後にすべての土地を取り上げるなど宣言すれば、間違いなく方々で反乱が起きるであろうからな)


「御屋形様。新田殿が描く将来像に、武士は存在するのでしょうか?」


 いつの間にか、場が静まり返っていた。家臣も国人たちも、愛季の言葉を待つ。どう言うべきか迷う。だが逃げるわけにはいかない。ここに、安東家の将来が掛かっていると思った。


「恐らく…… 我らが考えるような、所領を持った武士というものは、存在しないであろうな。武士にとって土地は命そのもの。守るために命を懸ける。吉松殿は我らに…… いや、武士という存在そのものに突き付けているのだ。土地への執着を捨てず、飢え、震え、戦乱に苦しむ世を選ぶか。それとも土地を捨てて、平和で豊かな世を共に創るか。どちらかを選べとな」


「……両方というわけにはいかないのでしょうか。武士が土地を持ちつつ、平和で豊かな世を創るということは、できないのでしょうか?」


 重臣の竹鼻伊予守広季が、深刻な表情で主君に尋ねる。安東家は新田に従属している。いずれ自分たちの土地を新田に差し出すことになるのではないか。それを拒否すれば、新田に攻め滅ぼされるのではないか。家臣、国人の皆が不安であった。滅亡を避けるための道を真剣に模索しなければならない。

 安東愛季も、彼らの不安を十分に理解している。なにより自分自身も不安であった。所領を持たない武士など、武士と呼べるのか? だが新田では武士は禄で仕え、豊かに暮らしているという。だがそれは、新田に「飼われている」ということではないのか? たとえ小さくとも、自らの領地、領民、兵を持つからこそ御恩と奉公ができるのではないか?


「来年早々、年賀の挨拶を兼ねて浪岡城を訪ねよう。陸奥侵攻の助攻ができなくなった。その詫びをせねばなるまい。その際に、吉松殿に尋ねよう。新田家が目指す、新たな世の姿を」


 自分に理解できるかは解らないし、国人衆がそれに従うかも解らない。そして家臣、国人が望むのであれば、新田とは袂を分かつ必要があるだろう。たとえ従属していようとも、安東五郎より続く檜山安東家の当主なのだ。家臣、国人を守らなければならない。


(新田と戦うことになる。出来れば避けたいが、その覚悟だけは持っておこう。)


安東太郎愛季は、そう肚を括った。





 蝦夷地徳山舘においても、ささやかな酒宴が開かれていた。和睦をしたアイヌ民族の首長であるチコモタイン、ハシタイン(※いずれも、現在の道南一帯のアイヌ民族の長)の呼びかけで、イシカルンクル(※現在の石狩市)、ユウヲチ(※現在の余市から宗谷までの沿岸一帯)の首長も参加している。大勢力のメナシクル、シュムクルからは参加者はないが、蠣崎家の存在は疎んじられてはいない。


「今年のトノト(※稗酒のこと)です。作り方を少し変え、さらに良い味となりました」


 蠣崎季広の勧めで皆が白濁の酒を飲む。甘みと酸味がありつつ、酒精が少し強くなっている。醤油と味噌で味付けられた熊肉や鹿肉などが出される。無論、「イオマンテ(※魂を送る祭事)」の形式に則って、熊の頭が捧げられている。


「旨い。捌き方が違うのであろうな。カムイ(※精霊、魂のこと)も喜んでおろう」


 奪うのではなく与えるというやり方を取ることで、アイヌ民族は徐々に取り込まれている。無論、アイヌの各集落には、それに眉をしかめる長老衆もいる。だが若い者たちは積極的に街に出て、大和言葉(※日本語)を学び、中には商いまで始める者もいた。


「ヤウンモシリィ(※北海道のこと)は豊かな土地だ。我らはそれを巡って争い続けてきた。だがシサム(※意味は隣人、この場合は新田のこと)のやり方を見ていると、そうではない生き方もあると思えてくる」


「時は移ろいゆくものです。急な変化には不安を持つ人もいるでしょう。ですが、和人との交易でチセ(※アイヌ式住居)に住むようになったと耳にしました。飢えることなく、震えることなく、皆で笑って暮らせるようになりたいと願っています」


 アイヌ民族は、必ずしも平和的な民族ではない。釧路地方と十勝地方では、長年にわたってアイヌ民族間で抗争が続いている。アイヌ民族内にも、幾つもの豪族が存在しているのだ。


「我が新田家は、皆さんと平和的に交易を続けたいと願っています。また、希望される方は領内に受け入れ、新たな暮らしもご提供します。つきましては、一つご提案があります。交流を深めるために、道の整備をお許し願いたいのです」


 各集落から希望者を募って賦役を行う。食事を出し、銭を支払う。その銭は道南でも使えるし、整備した道を使って行商人を出して売買もする。そうすることでアイヌ民族内に、徐々に貨幣経済が浸透する。そしてその貨幣を鋳造しているのは新田家である。気づかぬうちにアイヌ民族全体が、経済的支配を受けるようになる。

 裏の狙いは黙ったまま、交易の利点を説く。各長たちは簡単に了承した。酒が気を大きくしているのかもしれない。蠣崎季広は人の良さそうな笑みを浮かべつつ、主君の発想に舌を巻いていた。


(いずれ反対派の長老たちが消え、豊かさを知る者たちばかりとなる。五〇年もすれば、蝦夷地は新田家が支配しておるであろうな。新田の胃の中で、蝦夷の民はゆっくりと消化されていくのであろう)


 照り焼きという新しい料理に舌鼓を打ち、稗酒を干した。

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