第96話 米本位の欠陥

《檜山安東家、大敗す》


 この報せは九十九衆によって、直ちに新田家に齎された。三戸城の評定の間には、重臣たちが集められ、安東家敗北の経緯について聞くこととなった。長門広益、南条広継、下国師季、石川高信、武田守信ら武官は無論、文官である田名部政嘉、浪岡具統、奥瀬判九郎、北信愛、増田元長など文官も集められた。さらには蠣崎政広、九戸政実などの若い家臣まで集まっている。大評定ではないため発言権は無いが、吉松が許せば質問は許されていた。


「段蔵、説明せよ。できるだけ詳しくな」


「ハッ。結論から申し上げれば、小野寺家家臣、八柏大和守道為の策謀によるものでございます」


 加藤段蔵の口から、九十九衆による調査結果が伝えられる。安東家に対抗するために出羽の国人衆を纏めんと、二年前から八柏が動いていたこと。その結果、今回の安東家南下に対して、由利衆および仙北が纏まったこと。さらには湊衆の背信があったことなどが伝えられる。


「主だった者の討死は、檜山安東家では大高筑前守、安東摂津守、嘉成常陸守。湊安東家では岩屋右兵衛、川尻中務でございます。また三〇〇〇近い兵を失ってございます」


「……ほとんど壊滅ではないか」


「これは…… このままでは安東家は割れるぞ」


 重臣たちがざわめく。吉松は顔色を変えずに、段蔵に話を促した。


「それで、安東太郎愛季はどうなった?」


「辛うじて、檜山城に逃げ延びましてございます。城を固め、湊衆に備えております。ですが湊衆も割れており、当主を失った岩屋、川尻の領地は豊島の手に落ちてございます。おそらく、土崎湊一帯は、豊島が統一するかと……」


「豊島か。湊安東家を見限り、この機に一気に大名になるつもりだな。おそらく、湊衆の中で最初に裏切ったのが豊島であろう。最初から調略を受けていたのか。それとも安東太郎が攻めあぐねていたのを見て、裏切りを思いついたか…… まぁ両方だろうな」


 扇で掌をパシパシと叩きながら、吉松は面白そうに自分の推察を語った。だが重臣たちも首を傾げている。裏切る動機が理解できないからだ。


「殿。豊島が裏切ったのは確かでしょうが、理由が解りませぬ。なぜ、豊島玄蕃頭は檜山を裏切ったのでしょう? 安東太郎殿は、少なくとも内政では実績を上げていました。この四年で、土崎湊も豊かになったはずです。それを捨てるとは思えぬのですが?」


 南条広継が疑問を口にする。他の武官たちも一斉に頷く。元国人という立場から、家を大きくしたいという気持ちは理解できる。だが所領が増えたところで檜山から離れれば、その豊かさは消えてしまうのではないか? 信義以前の問題として、得より損の方が多いように思えたのだ。


「吉右衛門。どう思う?」


「恐らくは、米の値崩れが原因ではないかと……」


 吉松の問い掛けに、新田領の内政の最高責任者が答える。その答えは単にして的を射ていた。文官たちは一瞬で悟った。だが武官たちはまだ理解できていない。そこで吉松が説明する。


「安東家は鹿角において、新田家の農法を盗んだ。まぁわざと盗ませたんだがな。その結果、安東領内の米の生産量は飛躍的に増えた。問題はそこからだ。人は米だけでは生きていけぬ。米を炊くためには薪が必要だ。米を盛る器、箸、さらには肉や魚、漬物なども必要であろう。着物、炭薪などなども必要だ。何か一つの生産量が極端に増えた場合、どうなる?」


「なるほど…… 相対的に、米が安くなりますな」


 ここまで説明されて、南条広継は理解した。吉松は頷き、説明を続ける。


「新田領では、銭による取引が中心となりつつある。だが安東領では未だに、米と何かを交換するという米本位制だ。一所懸命と石高という考え方なのだから仕方がない。米本位制の最大の欠点は、米の収穫が増えれば増えるほど、米はどんどん安くなるということだ。段蔵。この三年で、檜山の石高はどうなった?」


「およそ二〇万石から六〇万石へと、三倍になりました」


「米だけが三倍になって見ろ。安東領では米がダブつき、ロクに取引もできなくなっておろう。そうならぬよう、新田では様々な物産に力を入れてきた。米の石高を一〇〇万石に留め、余剰人員を他の物産に充てている。そして領内で値崩れが起きないよう、余剰物資を外に吐き出すために交易を重視してきた。いずれも、安東領では行われておらぬ。すべて新田から米で買っているのだ。金崎屋などは相当買い叩いておろうな」


 安東領全体を見れば、確かに米の生産は豊かになったのだろう。それに伴い、少しは生活も楽になったはずだ。特に百姓などは、米を食べられるだけで幸福を感じるだろう。だが国人衆はどうであろうか。年貢の量は三倍になっても、食べる量が三倍になるわけではない。最初は豊かさを感じるであろうが、稗酒や清酒、醤油や味噌、和紙や麻布などは、すべて新田から輸入しているのだ。国内で米が余っていれば、結局は、安く買い叩かれるということになる。


「豊島も迷ったはずだ。確かに豊かにはなったのだ。領地が増えれば、いずれは他の物産も行われるようになる。そうなればさらに豊かになる。そう考え、様子を見ていたはずだ。だが攻めあぐねているのを見て、見限った。土崎湊を得て独立し、交易による利で豊かになろうと考えているのであろう」


 評定の間にいる全員が理解した。この裏切りは、領地を持つ国人という一所懸命の制度、仕組みが生み出したのだ。だがその仕組みを変えるには、米の生産量を上げるだけではダメなのだ。あらゆる物産を活性化させ、さらにはそれを運ぶ交易路を整備し、商取引の構造そのものを変えてはじめて、領地を手放すことができるようになる。新田吉松は田名部三〇〇〇石の頃から、そこまで見通していたのである。


「領主、文官の役割は、領民の仕事を創ること。殿の言葉を思い出しました。我ら文官、身の引き締まる思いでございます」


 吉右衛門はそう言って笑うが、それができる領主など日ノ本にどれだけいるだろうか。陸奥、津軽において、吉松以外でそれを理解していたのは、浪岡弾正大弼具永くらいであろう。北信愛などは、頭に刻み込もうと必死な表情になっていた。


「段蔵、檜山から目を離すな。そして高水寺にも人を入れろ。この先、出羽は荒れる。安東が滅びるとは思えぬが、少なくとも陸奥攻めの頼りにはならぬ。そうなれば斯波、葛西、大崎あたりは本腰を入れてこちらに来るかもしれん」


「ハッ」


「左衛門尉(※石川高信のこと)、白川砦の守りを厚くせよ。比内は旧浅利領。離反が起きるやもしれん。靱負佐(※毛馬内秀範のこと)は鹿角柏崎館だ。鹿角安東領から目を離すな」


「「御意」」


「吉右衛門(※田名部政嘉のこと)、土崎との交易は……」


「遮断致しまする。金崎屋殿と蝦夷徳山館にも、左様に伝えましょう」


 最も長く仕えている田名部吉右衛門は、皆まで言われずとも主君の考えを理解できる。頷いて他の文官に指示を出す。


「判九郎(※奥瀬判九郎のこと)は陸奥新領での戸籍整備と刀狩を急げ。状況によっては今年再び、合戦となるやもしれぬ。左衛門佐(※北信愛のこと)は街道整備の賦役を強化せよ。三戸から宮野城までの街道が最優先だ」


 吉松が次々と指示を出す。武官筆頭の長門広益が、吉松に大事な確認をした。


「殿、檜山を攻めますか?」


 今の檜山なら、攻めるのは難しくない。新田には常備軍がいるのだ。宮野城と白川砦を押さえておけば、鹿角から比内まで攻め取れるのではないか。武官たち皆がそう考えた。だが吉松は苦笑して首を振った。


「安東は新田に従属している。俺は怠惰こそ責めるが、失敗は責めぬ。それは安東に対しても同じよ。安東太郎は新田を真似た。決して簡単ではなかったはずだ。その努力によって、確かに出羽は豊かになったのだ。此度の戦も、結果は失敗であったが悪くはない。今ここで攻めることはせぬ。だが、もし安東太郎愛季が挫けるようであれば、話は別だがな」


 勝敗は兵家の常という。確かに手痛い敗北だが、安東家が滅びるほどではない。旧領を守れないほどに弱体化したわけではないのだ。自分なら守りを固めた後、来年の年賀に三戸城に挨拶に行き、そこで陸奥攻略支援が出来なくなったことを詫びる。その上で、どうすれば良かったのか教えてくれと図々しく聞くかもしれない。この戦国の世で大名として生きるのなら、それくらいの逞しさは持って欲しい。それが期待できないのなら、従属取引関係を打ち切るまでのことだ。


「安東太郎の様子次第で、出羽をどうするか決める。戦への気持ちは切らすなよ? さぁ、みんな。仕事に取り掛かろうか」


 パンッと手を叩く。その顔には、宇曽利の怪物と呼ばれるに相応しい獰猛な笑みが浮かんでいた。

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