第95話 赤尾津崩れ

 主君がいよいよ元服し、嫁を娶る。この噂が新田家中に広がり、大半の家臣が「あぁ、そういえば元服していなかったな」と今更ながら思い出して苦笑していた頃、出羽地方においては二つの戦線が存在していた。一つは赤尾津城、もう一つは唐松城である。

 羽川城を落とした檜山安東軍は、そのまま南下し、衣川を越えて赤尾津城を目指した。赤尾津城は標高一七〇メートルほどの小山の上に建てられた山城で、由利十二頭の一人赤尾津氏の居城である。だがそこに強力な援軍が入っていた。三〇〇年近く係争を続けてきた由利衆が一時的とはいえ手を組んだのである。赤尾津城には四〇〇〇近い兵が入っており、後方の長坂館をはじめとする各館からの補給も万全である。由利衆のほとんどが手を組んでいるため、遮られることなく道を使うことができる。

 赤尾津家保いえやすは万感の思いで、援軍に駆け付けた由利衆たちを出迎えた。仁賀保家の当主、仁賀保挙久きよひさは気軽な様子で家保の両肩に手を乗せた。


「仁賀保は、赤尾津家とは深い縁がある。矢島殿を説得するのに、思いのほか時間が掛かってしまった。不安にさせたこと、申し訳ない」


 その光景に、打越宮内少輔くないしょうゆう氏光は内心で安堵しつつも、疑問も抱いていた。確かに、たとえ一時的にでも由利衆が纏まらねば、安東に各個撃破されてしまうだろう。だが安東家が兵を興してから一月程度しか経っていない。共通の危機感があったとしても、こんなに早く纏まるものであろうか。実はもっと前から、密かな話し合いが続いていたのではないか……


「宮内少輔殿もよう来てくだされた。頼もしく思うておりまする」


 考え事をしていると、赤尾津家当主が満面の笑みで語り掛けてきた。氏光は思考を止め、笑顔で返す。たとえ一時的でも、今は皆が共通の敵を抱えている。まずそれを片付けてから考えればよいのだ。


「安東は、赤尾津の後は打越と考えているはず。他人事ではない。これは当家の問題でもあるのだ。この打越氏光、全力で御支援致す」


 そして赤尾津城の評定の間で、各国人の当主のみが車座で集まる。最初に口火を切ったのは、仁賀保挙久であった。


各々おのおの方の中には、仁賀保と矢島が和睦をしたことを不思議に思われる方もいるであろう。まずはその事情を御説明する。大井五郎殿、宜しいか?」


 矢島義満の嫡男である矢島大井五郎満安は頷いて、懐から書状を取り出した。仁賀保挙久の言葉を受けて、満安が説明する。


「実は二年前、一通の書状が矢島家、仁賀保家に送られてきました。それは、両家の和睦を勧めるものでした。御存じの通り、両家は累代に渡って争い続けてきた関係。本来であれば一笑に付すのですが、送り主が問題でした。送り主は、八柏道為殿」


「八柏? あの、小野寺の懐刀の?」


「なるほど。此度の連合は、小野寺の勧めによるものでござるか」


 納得したように皆が頷く。だが連合がここにいない他家の策だったと聞けば、面白いはずがない。当然、それに見合う見返りが必要であった。満安の言葉に続いて、仁賀保挙久が話し始める。


「八柏は二年前に、いずれ檜山安東が動くことを予見していた。そこで一つの策を出してきた。安東包囲網だ。我らには、この赤尾津城で安東軍本軍をできるだけ防いで欲しいそうだ。その間に、小野寺と戸沢によって唐松城を攻め落とすそうだ。その後は西に進み、椿台と白華を獲る。するとどうなる?」


「南に我ら、北に戸沢、小野寺。安東は退路を断たれる」


「だがどうやって唐松城を落とすのだ? あの城には湊安東の一党が入っている。その数は三〇〇〇にはなるであろう。小野寺と戸沢が手を組んだとしても、簡単には落ちぬと思うが?」


「確かに。だが果たして、湊安東はそこまで檜山に忠心を抱いていようか?」


 湊安東家と檜山安東家は、今でこそ檜山が飲み込む形となっているが、湊安東家譜代の家臣たちからすれば「従属」に近い意識である。もともとは国人衆として独立し、一時は檜山すら上回る勢いだったのに、当主の死去により乗っ取られる形となってしまった。そこに対して不満が無いはずがない。


「安東太郎愛季は、短期間で大きくなった。比内を獲り、鹿角の半分を得た。だがその弊害も出ている。米が多く取れるようになった分、米そのものが安くなったそうだ。石高が伸びても、そこまで豊かにはなっていないという。湊安東家の者たちは、今は大人しくしている。だがもし、ここに湊安東家自立の機会が訪れたとしたら……」


「既に唐松城内にまで、調略の手を伸ばしているということか。策士らしいわ」


 滝沢備中守政安が皮肉交じりに言う。それを無視して、仁賀保挙久は言葉を続けた。


「完全に調略できたわけではない。湊の連中も様子見をしておる。だが、もし安東愛季がここで苦戦するようなことになれば、彼らも考えるであろう。そのためにも、我らは安東軍を釘付けにせねばならぬ」


 禄で仕える者と、所領を与えられた臣従している国人と、どちらが裏切りやすいか。それは現代的に考えると解りやすい。禄で仕える者は、大企業の社員である。一方、臣従している国人は、大企業から発注を受ける下請け会社の社長と考えることが出来る。たとえ小さくとも、会社のオーナーなのだ。もし自分の会社が大きく成長できる機会があるのなら、迷うことなくその道を選ぶであろう。誰だって、安くこき使われたくはないのだ。




「まさか戸沢と小野寺が手を組むとは……」


 戸沢の押さえとして唐松城に入っていた湊安東家の国人衆は、一様に顔色を変えていた。その中で豊島玄蕃頭がいち早く発言する。こうした時は往々にして、最初の発言者が主導権を握るものである。


「我が豊島の手勢五〇〇で、小野寺一五〇〇を相手しよう。小野寺とて戸沢と手を結ぶことには忸怩たる思いもあるはず。士気はそう高くあるまい。上手く引き付けて足止める故、皆々衆はその間に戸沢の相手をお願いしたい」


 三倍の敵を相手に食い止めるという。だが逆を言えば、それが出来れば戸沢相手に有利に戦える。自分たちの役割は、敵に勝つことではない。檜山が由利に侵攻するまで敵を食い止めることにある。ならば戦いようもある。軍議が一通り終わると、豊島玄蕃頭は自陣に戻った。


「さて…… 安東太郎殿はどうするか。これまでのような幸運では打開できぬぞ?」


 豊島家には、小野寺の知恵袋である八柏から、調略の話が来ていた。だが玄蕃頭はその話を受けたわけではなく、様子見という立場をとった。内通したは良いものの、檜山がアッサリと勝ってしまったら、それこそ豊島家は滅亡する。そのため嫡男にさえも教えず、奮迅せよと背中を押した。由利方面において、豊島が疑われることはない。

 安東太郎愛季は、内政においては優れた手腕を持っている。それはこの三年間で証明した。だが今は、戦国の世である。大将は、戦に強くなければならない。野戦で南部晴政を倒した新田吉松と比べ、安東太郎愛季は「漁夫の利」で領地を拡大した。戦才については未だ証明していない。それがこの戦で問われる。


「担ぐに値するのなら良し。だがもし、そうでなければ……」


 国人にとって最も大事なことは、自分の家と所領を守ること。次に主家の繁栄である。檜山安東家は、新田家に従属している。自分たちの土地ですら、将来どうなるかはわからない。ならば大きくなれる機会は逃すべきではないだろう。


「安東太郎も漁夫の利を得た。儂がそれを真似たところで、非難はできまいて」


 歳に似合わぬ野心を滾らせながら、老人は低く笑った。




 赤尾津城は西側に二ノ丸、北側に三ノ丸があり、南と東は山のため攻め口が無いという、守りに優れた城である。そこに三〇〇〇以上の兵が入って守っているのだ。たとえ四倍の一万二〇〇〇で攻めたとしても、簡単に落とせるものではない。


「御屋形様。由利衆の士気は高く、御味方は攻めあぐねております。我らはすでに君ケ野川までを領しておりますれば、此度の戦はそれで良しとされては如何でしょうか?」


 大高筑前守光忠が進言する。目標としていた大内までは攻められなかったが、それでも幾つかの館を落とし、数千石分の土地は切り取ったのだ。ここで退いても損はない。だが安東愛季は赤尾津城にこだわった。ここで退けば檜山安東家は由利衆に舐められる。湊の国人にも悪影響だろう。退くならば、赤尾津城を落としてからだと思った。


「ならぬ。ここで退けば我らは舐められる。さらには新田との約定である陸奥への牽制も難しくなろう。何としても落とすのだ!」


 だが意気込みだけで城が獲れるはずもない。連日の猛攻に対して、山城である赤尾津城からは、弓矢の他に投石や熱湯が浴びせかけられ、安東軍も徐々に被害を出し始めていた。そして赤尾津城攻めから二〇日が過ぎようとしていたとき、安東軍本陣に急報がもたらされた。


「申し上げます! 唐松城が落ちましてございます!」


「なんだと! どういうことか!」


 愛季は信じられないという表情であった。唐松城には湊衆三〇〇〇が入っている。たとえ戸沢と小野寺に攻められようとも、簡単に落ちるはずがない。大高筑前守も有り得ないと呟いた。


「小野寺勢が搦手を攻めましてございます。その勢い凄まじく、守っていた豊島方も守り切れず、止む無く撤退したと……」


「馬鹿な! たとえ搦手から入られようとも、兵力ではほぼ互角。護れたはずだ!」


「豊島玄蕃頭…… まさか…… 御屋形様、このままでは我らは退路を断たれます。ここは急ぎお退きくだされ! 殿は某が努めまする!」


「クッ…… おのれ…… 爺、任せるぞ!」


 大高筑前守光忠ら一部を残し、檜山安東軍は撤退した。だがそれは簡単ではなかった。山城から三〇〇〇の由利衆が一斉に駆け下り、安東軍の追撃に入ったからである。大高筑前守は自らを犠牲にして、辛うじて安東軍の撤退を支えることに成功した。

 だがそこから先も地獄である。湊衆の一部、あるいはすべてが裏切った。戸沢と小野寺が側面をついてくるであろうし、土崎湊を無事に抜けられるという保証もない。愛季は自分の失態に歯ぎしりしながら、とにかく北を目指して進んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る