第93話 出羽騒乱
出羽仙北郡と聞くと、戸沢氏を思い浮かべる人は多いだろう。その認識は間違ってはいないが十分ではない。戸沢氏はもともと大和国の豪族であったが、鎌倉幕府成立以前に奥州磐手郡滴石庄(※現在の岩手県雫石町)に下向する。その後、鎌倉、南北朝、室町と時代を経るうちに仙北郡、北浦郡へと進出する。
だが仙北郡は北に安東、南に小野寺という有力国人に囲まれた土地であり、由利郡と同じように幾つもの国人衆が割拠していた。戸沢氏はその中では大きな国人ではあったが、それ以外にも
仙北郡=戸沢氏という印象は、戸沢氏の歴史が波乱万丈に満ちながらも、戦国時代を生き延び、ついには幕末まで残るからであろう。一時は本城である角舘すら失いかけながらも、家臣が力を合わせて苦境を打開し、やがて「鬼九郎」とまで呼ばれた戸沢盛安が登場し、仙北三郡の平定に成功するのである。こうしたドラマチックな歴史が、仙北=戸沢という印象を与えているのである。
「檜山が動いた。豊島をはじめとする湊衆も動いておる。檜山の狙いは由利郡であろうが、我らが動けぬように湊衆を牽制に置いたのであろう。比内、鹿角を手にした檜山であれば、それくらいの余裕はある」
仙北郡角舘において、戸沢家当主の戸沢道盛を中心に、対安東家について評定が開かれていた。安東家には苦い思い出がある。天文一四年に、檜山と湊衆によって角舘の支城である淀川城が奪われ、一時は戸沢家滅亡の危機に瀕した。だがその危機は、まだ若かった道盛と家臣団を結束させることになり、二年後には淀川城を奪還することに成功する。以来、北に安東、南に小野寺と挟まれながらも、戸沢家は戦い続け、
だが永禄元年、戸沢家に最大の危機が訪れる。新田家に従属した安東家が、三年の沈黙を経てついに動き出したのだ。評定の間に集められた重臣たちも、悲壮な表情を浮かべていた。
「殿。安東家の兵力は一万を超えると思われまする。我らだけではとても対抗できませぬ。本堂および六郷に助勢を求めましょう」
家老の門屋宗盛の言葉に、重臣たちも頷く。
「待たれよ。本堂と六郷だけでは足りぬ。ここは一時的にでも、小野寺と手を結ぶべきではないか?」
白岩兵庫頭盛重の言葉に、他の家臣たちは顔を見合わせた。小野寺家とは長年にわたって抗争を続けてきた。今さら手を組むなど出来るのか。皆がそう思っていた。
「安東、そして新田への危機感は小野寺とて同じはず。仙北の国人衆と由利衆、そして小野寺が手を組めば、安東とて簡単には動けぬ。雄物川で安東を食い止め、三月堪えるのだ。そうすれば安東とて退かざるを得ぬ」
「だが退かせてどうする? 安東は北に憂いが無い。年が明ければ再び攻めてくるぞ?」
「然り。その間に地歩を固める。富樫、本堂、六郷の三家を束ね、仙北三郡を手にする。さすれば安東とて、御家を無視はできぬ。取り潰すのではなく従える。そう考えるのではないか?」
安東家は大きい。ここまで差がついてしまうと従属を選ぶしかない。相手が新田家であれば、それすら認められないかもしれないのだ。従属を申し出るのなら、安東家の方がマシであった。
「よし。儂が書状を認めよう。兵庫頭は小野寺との交渉に当たれ。本堂と六郷は宗盛に任せる。急げ!」
道盛の命により、家臣たちが一斉に動き始めた。
永禄元年(一五五八年)長月中旬、檜山安東太郎愛季は、一万二〇〇〇の軍を率いて出陣した。雄物川一帯の各館を落とし、最終的には打越家の本拠である大内までを領することが目標である。およそ二ヶ月でそこまで進まなければ、雪が降り始めてしまう。また仙北の国人衆が東から攻めてくることも予想されていた。そこで湊衆三〇〇〇を仙北の備えとして唐松城に置く。
安東家の現状では、仙北と由利を同時に相手にすることはできない。まずは二年かけて由利衆を従え、そして仙北郡から平鹿郡までを一気に攻める。それにより、出羽国の北半分は安東家で統一される。
「掛かれぇっ!」
雄物川の南に位置する白華城を出陣した安東軍は、由利国人衆の中でも最北に位置する羽川館を攻め始めた。一方、由利衆も黙ってはいない。赤宇津、打越、滝川などが兵を出し、羽川館で備えとしている。狙いはできるだけ、安東の侵攻を遅らせることであった。
「御屋形様、敵の士気は中々に旺盛でございます。御味方の犠牲が大きくなる前に、一度、立て直しては如何でしょうか?」
「確かに、そろそろ陽も傾いてきたか。よし。一旦退くぞ」
安東軍は館を囲むように陣を張った。確かに守りは堅いが、兵力が違い過ぎる。二、三日で落ちるだろうと予想していた。だが、意外な展開が待っていた。
「申し上げます! 戸沢、六郷、本堂、小野寺が旗を掲げ、唐松城に進軍中。その兵力はおよそ四〇〇〇!」
「なに? 戸沢と小野寺が手を組んだだと?」
安東太郎愛季はチィと舌打ちした。だが、さらにそこに急報が飛び込んでくる。
「申し上げます! 仁賀保、矢島、石沢、鮎川、下村が兵を挙げ、此方に進軍中とのこと。その数、およそ三〇〇〇!」
「仁賀保と矢島まで手を組んだと? どうなっておるのだ?」
「これは…… まるで出羽における安東包囲網ではないか」
誰かがそう呟いた。愛季はただちに軍議を開いた。総兵力ではまだ勝っているが、まともにぶつかれば犠牲は大きくなる。今後の動き方について、見直す必要があった。
「それにしても、長年の敵同士であった戸沢と小野寺が手を組んだといい、仁賀保と矢島が共に動いたことといい、これは偶然ではない。誰かが仕掛けたとしか思えん……」
ここまで周到な根回しを短期間で行える人物など、相当な知恵者である。一体誰が。家臣たちは皆が疑問であった。
「さすがは大和、我が張子房よ。お前の予想通りになったな」
小野寺孫四郎輝道の言葉に、涼しげな眼差しをした男が一礼した。
「殿。ここはあくまでも、我らは助勢という立場を守るべきです。戸沢らを前に出し、我らは側面から戦いましょう。今年いっぱいは助勢に努め、その間に安東に使者を出し、仙北三郡を切り取り次第ということで従属を認めさせます」
「クックックッ…… 恐ろしき知恵よ。表面は戦いつつ、裏で生き残るための手を打つか。すべて其方の掌の上だったと知った時には、由利も戸沢もさぞ歯噛みするであろうな」
「某としては、安東太郎の顔を見たいですな」
男の言葉に、輝道は大笑いした。男の名は
「安東愛季はおそらく、由利衆は纏まらないと考えていたのでしょう。実際、仁賀保と矢島は、表面上は対立を続けておりましたからな。ですが……」
「二年も前から今日が来ることを予想して、根回しを掛けていた。すべては安東を引き出すため。ここで安東が敗れれば……」
「湊衆の離反。特に豊島あたりは狙い目です。某がそのように唆しましょう」
「クックックッ…… 既に手を伸ばしているのであろう? 悪い男よ」
小野寺家には二人の名臣がいる。智謀の将である八柏道為と、剛勇の将である鮭延貞綱である。この二人の名臣に支えられ、小野寺家は短期間で急拡大した。無論、これには当主である小野寺輝道の器量もある。輝道は戦場では勇猛でありながら、内政の手腕も確かであった。本拠である横手城城下は、南北の要衝にあることから、相当に繁栄していた。
「戸沢も安東も悪い器ではない。だが生まれた時期が悪かったな。我が殿であれば、出羽を統一できる。そしてその後は……」
今張良と呼ばれる男は、来たる大戦への高揚を静かに滾らせていた。
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