第92話 由利衆
天文二四年からの三年間、新田吉松は動かなかった。これは新田領全体をさらに成長させることになったが、副次的に成長した勢力がある。それが檜山安東家である。
「御屋形様、今年も豊作にございまするな」
「うむ。やはり新田に従属したのは正解であったな。新田の内政を真似るだけで、これほどの効果があったのだ。新田に逃げた民も一部は戻っていると聞く。少なくとも最低限、飢えることは無くなった。これは大きい」
安東太郎愛季はこの三年間を振り返った。新田への従属は、家中のみならず湊安東家、さらには由利衆にも衝撃を与えた。特に由利衆の中でも安東家に比較的近かった
「この三年で、南鹿角、比内、能代、土崎の石高は大きく膨らみました。御家の石高は六〇万石に届きまする。能代と土崎という二つの湊を持つ当家は、新田に次ぐ奥州第二の大名となりました。豊島玄蕃頭殿も、
湊安東家の有力国人である豊島玄蕃は、仁賀保と縁戚の関係にある。そのため檜山安東家から由利衆が離れたときに、豊島家はどちらに付くかを決断しなければならなかった。これまでであれば、中立かあるいは由利衆に与したかもしれないが、檜山安東家は比内および鹿角の南半分を押さえている。さらには従属とはいえ新田と同盟関係にあり、後方に憂いはない。全軍を向けることができるという強みがあった。
豊島玄蕃頭は、その点を冷静に判断し、安東家に従うことを早々に決めたのである。その結果、出羽国では中域まで安定し、三年間の繁栄を謳歌した。
「新田が宮野城を落とした。これにより、牽制のために鹿角に張り付けていた軍も前線に出すことができる。筑前、新田の返答は?」
「ハッ…… 得た領地の慰撫に注力するため、今年はもう動かぬとのこと。陸奥守様より、存分に由利衆を喰らえとの御言葉も頂いております。御屋形様、機は熟しました」
パチリッと扇子が音を点てる。愛季の口角が上がった。
「よし。今度は我らが動く。豊島をはじめとする湊衆は、戸沢への備えとして唐松城に入れる。我らは雄物川を越えて羽川館を攻める。さらには赤尾津を経て大内の
「戸沢攻めは、新田と呼吸を合わせるべきでございます。仙北一帯は、戸沢、和賀、小野寺で入り乱れておりますが、新田が高水寺を攻めれば無視はできますまい。その隙を突けば、角舘(※戸沢氏の本城)を落とすのは容易かと存じます」
「で、あるな。東は天神森までとする。それ以上は、和賀を刺激するだろう」
永禄元年長月(旧暦九月)、安東太郎愛季は由利攻めを号令した。動員する兵力は一万二〇〇〇、半農半兵ながら数だけならば新田をも上回った。安東家家臣の中には、もし出羽を統一したら新田に対抗しても良いのではと、酒席の場で冗談めかす者までいる。由利衆、戸沢家、小野寺家を落とし、出羽から最上家を退かせれば、安東家の石高は一〇〇万石を超え、動員可能な兵力は二万に届く。十分に新田と戦える。そう考える者は少なくなかった。
無論、安東愛季はその話を聞くたびに、幾度も
(新田は諜者を使っている。安東家が大きくなれば、それだけ家臣たちの気も大きくなる。不用意なことを言わないよう、引き締めねば……)
由利攻めのための軍議で、今一度引き締めようと思った。
齢六〇を越えながらも未だに旺盛な欲望を滾らせている豊島玄蕃頭は、土崎湊の遊郭で馴染の女三人を侍らせて稗酒を飲んでいた。酒量はそれほど多くはない。女たちが奏でる琴の音を聞きながら、ゆっくり酒を味わう。新田が造っている陸奥酒だが、仄かな甘みと酸味があり、畿内の濁酒とはまるで違う。女性の薫りに包まれながら琴の音を聞き、美酒を味わっていると、ささくれた戦人の魂が癒えるような気がしてくる。酒が注がれる。それを少し口にして、そして目を瞑って琴の音に酔う。
すると大きな笑い声が聞こえてきた。その無粋さに思わず顔を顰めた。
「次郎様もお元気そうで何よりですわね」
「元気すぎて喧しいわ。儂に似て女好きだが、風流を知らぬ。困ったもんだわい」
笑いながら、豊島次郎重村が入ってきた。女二人が両腕にしがみついている。胸と尻が大きな女である。美形ではあるが、どこか品が無い。女の趣味までは、自分とは似なかったようだと思った。
「親父、戦だってな!」
「無粋な奴め。ここは男の癒し場ぞ。戦の話などするな」
だが重村は笑いながら父親の目の前にドカリと座った。玄蕃頭が掌を一振りする。隣にいた女はそれだけで察した。若い女たちを連れて、部屋を出ていく。親子二人となった途端、重村の表情から笑みが消えた。普段は遊んでいるように見えても、この男もまた、武人なのである。
「檜山が動く。狙いは由利よ。豊島をはじめ、湊衆は戸沢の牽制に動く。だがお前は殿に従って、由利攻めの先鋒を務めよ。容赦なく奮迅するのだ」
豊島家は由利衆の有力者、仁賀保氏と繋がっていた。二心がないことを示すためにも、嫡男が奮闘する必要があった。湊安東家譜代の豊島家が、檜山安東家の先鋒を務める。これにより、檜山と湊との融和を示すことにもなる。
「大殿はどこまで攻めるつもりなんだ?」
「詳しくは軍議で明かされるであろうが、戸沢を囲むためには雄物川を取らねばならぬ。大内一帯といったところであろうな」
「ってことは、相手は打越か。いまの安東家なら余裕だろ」
「打越は恐らく、赤尾津、矢島、滝沢に援軍を求めるであろう。下手をしたら矢島と争うている仁賀保まで出て来るやもしれぬ。由利衆すべてが敵だと思え。さらに仙北の戸沢、小野寺まで絡めば、総兵力は六〇〇〇を越えよう。油断するでないぞ」
「そりゃ、解ってるけど。随分と気合入ってるな。親父……」
豊島玄蕃頭はグイッと酒を干して、瞳に力を入れた。
「将来のためよ。豊島、そして湊安東家ここにありと示さねばならぬ。戦国の世だ。将来、なにが起きるか解らぬ故な……」
重村は、父親が呟いた意味深長な言葉に首を傾げたが、それ以上は聞かずに手を叩いた。女たちが入ってくると、玄蕃頭も好色な狒狒親父の貌に戻った。
鎌倉時代以前の出羽国由利郡は、由利氏という豪族が支配していた。由利氏は奥州藤原氏の征伐後も本領が安堵されていたが、鎌倉時代初頭に起きた「和田義盛の乱(※和田合戦)」に連座して所領を没収され、それ以来地頭として子孫が土着していた。その後は小笠原一族が由利郡に下向し、それぞれに一家を立てたと考えられているが、吾妻鏡や十二頭記などには幾つか矛盾する記述が載っているため、由利国人衆の出自については不明な点が多い。いずれにしても、由利郡には大名と呼べるほどの有力勢力は存在せず、幾つかの国人衆が土地を巡って争っていた。
「由利十二頭」というのは天正年間以降のものであり、仁賀保、矢島、赤宇津、子吉、打越、石沢、岩谷、潟保、鮎川、下村、玉米、滝沢の一二の国人衆を指す。実際には一二以上の国人衆が存在したが、十二陣代や十二頭など、常に「十二」で数えられていた。これは出羽鳥海山修験道の「薬師如来十二神将」になぞらえたものと考えられている。
だが由利十二頭が有名となった「十二頭記」は江戸時代に書かれたものであり、永禄年間ではただ「由利衆」と呼ばれていた。
《檜山安東家動く》
この報せを聞いた由利郡
一方、安東が動かないと判断した由利の国人衆は、従来のようにそれぞれに争いを続け、領地も領民も疲弊していた。そのためこの三年は、領民が土地を捨てて北に逃げ出すということが頻発しており、由利郡全体が衰退していた。
そしてここにきて、安東家の南下である。位置的に見て、最初に呑まれるのは打越家で間違いない。当主である打越氏光は、他の国人衆たちに使者を送り、由利全体で纏まらぬ限り安東を止められないと説得に回った。だが……
「うつけ共が! 檜山は、
由利衆は、数十年に渡って時に手を結び、時に争ってきた。由利の国人すべてが一つに纏まることは容易ではない。結局、比較的近しい国人衆のみが味方になってくれた。矢島も仁賀保も、幾つかが安東に滅ぼされた後に従属し、漁夫の利を得るという考えであった。
だが氏光が言う通り、この考えは甘いとしか言いようがない。安東家は国人の土地を取り上げたりはしないが、比内と鹿角を手に入れたことで土地替えなどは行っているのだ。それを由利衆にしないという保証はどこにもない。
「由利衆は比内と鹿角に転封させる。石高が上がった我が安東家であれば、それほど大きな土地は与えずに済むであろう。由利郡は直轄領としたうえで開発し、いずれ功ある者に与える。皆も大いに気張るがよい!」
檜山城で開かれた軍議において、安東太郎愛季は不敵な笑みを浮かべた。
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