第91話 新たな国の姿

 永禄元年(一五五八年)葉月(旧暦八月)も終わりに近づいたころ、鹿角と陸奥の境にある佐比内館までを占拠したところで、新田軍の進撃は一旦、止まった。論功行賞のほかに、新たに加わった国人衆たちに役目を与え、生活を保障しなければならない。なにより、彼らが持っている不安を払拭する必要があった。三戸城内の大広間に、降伏した旧南部家の国人衆たちが集まった。


「さて…… この新田吉松が目指すのは天下の統一である。これは我が家中の者には繰り返し言ってきたことではあるが、他の国人衆は初めて聞くであろう。少し、俺の話を聞いて欲しい」


 小姓たちが立ち上がり、吉松が座る当主の席の後ろに大きな紙を張りだした。和紙を重ね合わせて作った巨大な一枚紙である。それは日本列島の地図であった。吉松が自分の記憶を頼りに、北海道から九州までをおおよその位置で描いたものである。そして下北半島から津軽、陸奥地方が朱で塗りつぶされている。

当然、現代から見れば精緻とは程遠い出来であるが、戦国時代の人間は日本列島の姿さえ見たことが無い者が多い。皆が食い入るように、描かれた図を見つめる。


「これは、日ノ本全土を描いたものだ。いわゆる『天下の範囲』と考えてよい。当然、ここには朝鮮や明、天竺などは描かれていない。そして、わが新田家の領地は朱で塗られた部分だ」


 家臣たちがざわめく。下国師季が「なんと……」と呟いた。皆も同じ気持ちを持っていた。天下は、なんと広いのかと。


「広いと思ったか? そう。確かに天下は広い。だがな。明や天竺、そして近年、日ノ本に来ている南蛮の国々は、日ノ本よりもさらに広い。たとえば明だ。その大きさは、日ノ本二〇個がスッポリ収まる程に広い。理解できるか?」


「日ノ本が二〇……」


「途方もない広さですな。まるで想像ができませぬ」


 家臣たちの反応を確認する。全員が、あまりの大きさに、想像力が追いつかないという反応であった。そこで吉松は、右手を翳した。


「少し解りやすく説明しよう。新田領が、この小指の爪のさらに先程度の大きさと考えよ。そして、日ノ本の大きさが掌全体。では世界は? 自分の躰全体ほどに大きいと思え。そう例えられると、実感は無くとも、世界は広いのだと理解はできるであろう?」


 皆が頷いた。言葉を尽くした説明というのは苦手であったが、我慢して先を続ける。


「朝鮮、明、天竺、そして南蛮などはそれぞれ右掌とは違う場所、左手や左足だと思うがいい。そしていま、南蛮と呼ばれる国々が世界を、身体全体を我が物にしようと浸食を続けている。世界には、それぞれの土地に民がいて、それぞれの暮らしがあり、それぞれの平和と戦争、正義と悪がある。南蛮の者たちは、他の土地を侵略し、その土地の者を奴隷化し、自分たちの文化や正義を押し付ける。仏の教えを捨てよ。これからは南蛮の神を崇めよ。簡単に言えばそういうことだな」


「殿。それはつまり、かつての文永、弘安の合戦と同じようなことが、日ノ本以外の土地で起きている。そういうことでしょうか?」


 南条越中守広継が発言する。さすがに理解が早い。それに質問も良い。他の国人たちにも理解できるだろう。そう思いつつ、吉松は真面目な顔で頷いた。


「その通りだ。文永、弘安の合戦では、朝鮮および元という大陸の国が相手だった。次は、南蛮の国々が来るぞ。髪の色、肌の色、瞳の色が違う者たちだ。彼らには武士の常識など通用せぬ。日ノ本の歴史などどうでも良いのだ。なぜなら日ノ本という存在そのものを消し去り、公家も武士も坊主も百姓も、みな等しく奴隷にするのだからな。ところがだ。いまの日ノ本を見て見よ」


 そう言って吉松は振り返った。日本列島の地図の一隅だけが朱色となっている。そして白地の土地には、その土地を領する大名や国人がいて、各地で奪い奪われる日々が続いている。


「一所懸命は、この広い日ノ本を統治するうえで一定の機能を果たした。だが同時に、武士の視野を狭くした。自分の土地が世界のすべて。自分の土地さえ無事ならばよい。視野狭窄とはこのことよ。この世界の広さを前に、たかが一〇〇〇石、二〇〇〇石の土地に何の価値がある? 海の向こうには、億兆の石高をもつ超大国が存在し、この日ノ本を我が物とせんと虎視眈々と狙っておる。にもかかわらず、日ノ本の武士たちは未だに矮小な土地を巡って、血で血を洗っている。戦のたびに畑は荒れ、民は疲弊していく。このままではどうなる?」


 吉松は言葉を切った。全員の理解が追いついているかを確認し、そして続ける。


「このままでは日ノ本そのものが滅びるぞ。大和やまとの民そのものが消え去る。それで良いのか? 自分たちが争っている間に、気が付いたら日ノ本全土が南蛮人共に占領されていました。気が付いたら自分も含めて奴隷になっていました。そんな未来が来たら、それこそ御先祖にどう顔向けするというのだ? その未来を回避する方法はただ一つ。武士の視野を狭くする一所懸命の概念を排除し、日ノ本を一つに纏め上げねばならぬ。荒れた畑を耕し、産業を振興し、街道を整備し、人々が安心して明日を夢見る世を創らねばならぬ。創らねば、日ノ本そのものが滅びるのだ!」


 吉松がそう言い切り、そして評定の間が静まる。理解できた者もいれば、まだ引っかかっている者もいる。どこで引っかかっているのか、吉松は大体の想像がついていた。


「日ノ本を一つにするのであれば、国人衆たちの従属を認めればよい。そう考える者もいるであろう。だがそれは結局、鎌倉や室町の延長線に過ぎん。俺が死ねば、再び世は乱れよう。俺は太平の世を創りたいのだ。これまでとはまったく異なる、新しい国を創るためには、日ノ本全土を一つの国として束ねなければならぬ」


 室町幕府の統治形態は、鎌倉幕府と驚くほどによく似ている。鎌倉幕府、そして朝廷まで絡んだ権力闘争の上に成立したのが室町幕府である。鎌倉、南北朝、室町までで一つの政体と考えてよい。


「すべての土地を新田が手にした後、その土地は朝廷にお返しする。これにより、鎌倉から続いた一所懸命の歴史は終わる。日ノ本全土の守護が、武士の役目となるであろう。それでようやく、南蛮からの侵略を防ぐ土台が出来上がるのだ。皆が、土地に対して未練があるのは解っている。だが一〇〇年続いた戦国の世を変え、太平の世を創り上げるには、我ら武士が、変わらねばならんのだ。今はまだ信じられなくともよい。これから新田が成すことを見て、そして判断せよ。疑問や意見があれば、いつでも俺に言うがいい」


 吉松の説明が終わる。皆が顔を見合う。多くの家臣が、なにが疑問なのかさえ解らないという状態であった。その中で、声を上げた者がいた。九戸政実である。


「殿、一つお聞きしても宜しいでしょうか?」


「左京か。構わぬ。申せ」


「九戸郷の民たちも、この三戸や新田領の他の民たちのように、笑顔溢れる暮らしが出来るようになるのでしょうか?」


 吉松は頷いた。理念と方針は示した。だが人はそれだけでは動かない。具体的な利益があって、はじめて動くのだ。


「なる。九戸の民だけではない。新田が統治すれば、その土地は栄え、民たちは安心して暮らせるようになる。日ノ本の民全員が、米や魚を毎日食べ、酒を飲めるような世を創る。そのためにも、天下を統一しなければならんのだ」


 その言葉を聞いて、九戸政実は深々と一礼した。




 九戸政実は思った。父である九戸右京信仲が間違っているとは言わない。武士の役目は、所領とそこに生きる民を守ること。九戸信仲は忠実に、その役目を果たそうとした。そして新田に敗れた後も、土地を取り戻そうと足掻いている。それもまた、武士としての一つの在り方であろう。

 だが新田吉松が言葉にも、真実があると思えた。文永、弘安の合戦のようなことが、いつ再び起きるかわからない。だから一日も早く、この戦国の世を終わらせねばならない。だが終わらせ方が大事なのだ。一〇年、二〇年で再び戦国に戻るようではダメなのだ。戦の無い世が続くためには、武士の在り方そのものが変わらねばならない。それを目指す新田吉松の姿もまた、武士の在り方に思えた。


(なにを選び、なにを捨てるか……)


 そして九戸政実は、新田が目指す世を選んだ。正確には、選んでいたことに気づいた。ただ強きに靡いたのではない。新たな世を創るために、自分はこれから戦うのだ。


 何かが、ストンと肚に落ちた。


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