第90話 武士の覚悟

「この愚か者が! お前には恥というものが無いのか!」


 評定の間に罵声が響く。九戸右京信仲はワナワナと震えながら、息子に怒りの表情を向けた。だが、父親がこのような反応をすることを予想していたため、九戸政実は畏縮することなく言葉を続けた。


「父上。このままでは必ずや、新田を手引きする者が現れます。そうした裏切りを防ぐためにも、降りたい者は降ることが出来るようにすべきです。某が、そうした者をまとめます」


「あぁ、降りたい恥知らずは降れば良かろう! だがまさか九戸の一族から、それもよりにもよって嫡男からそのような腰抜けた言葉が出るとは思わなかったわ! 南部三郎光行公より三〇〇年、家祖行連ゆきつらが九戸村を拓いて以来、我ら九戸一族は連綿とこの地に生きてきた。お前は御先祖にどのような顔を向けるつもりか!」


「どのような顔も向けませぬ! 死んだ者たちへの詫びなど、ただの自己満足です! 土地を守るという父上の御気持ちはわかります。されど、その土地はすでに奪われているのです。かくなる上は、生きて九戸の血を残すことを第一に考えるべきではありませぬか」


「たわけが! 九戸の名は、九戸郷からついたのだぞ! 九戸郷なくして、なぜ九戸を名乗れる!」


「それを言うならば、南部とはもともと、甲斐国南部郷のはず。葛西とはもともと下総国葛西郷から取ったものではありませぬか。その土地から自分の家名が付けられた。だからその土地に未来永劫縛られるなど、それこそ愚かなことです!」


 評定の間にいる者たちは、両者の意見の違いから、自分たちについて考えていた。父親は過去を見て、息子は未来を見ているのだ。どちらの意見にも一理ある。心情としては、土地を奪った新田になど仕えたくない。だが一人の親としては、子供たちには生きて欲しい。この二つに挟まれ、誰もが悩んでいた。


「申し上げます。敵方より使者が参っております」


「使者だと? 誰だ?」


「それが…… 武田甚三郎守信様にございます」


「大浦家の大黒柱、武田家当主自らだと?」


 皆が顔を見合わせた。信仲は数瞬迷い、通すように命じた。




「殿、某に使者を……」


「ならぬ。甚三郎。お前は新田の重臣だぞ。内容は書状で足りる。お前が命を懸ける必要などない」


「殿。相手は一所懸命の武士です。その武士を説得するには、此方も懸命するしかありませぬ。右京殿は無理かもしれませぬが、せめて若き侍たちは、救いたいと思います。どうかお許しを……」


 吉松は腕を組んで悩んだ。この一ヶ月、武田甚三郎守信の人となりと能力は十分に理解した。新田家の重臣を十分に勤められる能力を持っている。織田家で例えれば、丹羽長秀のような男だ。失うにはあまりにも惜しい。

 だが言わんとしていることも理解できる。吉松から見れば馬鹿馬鹿しいが、先祖から代々受け継いだ土地を守るために、命を懸けることを当然と思っている。日本開闢から受け継いだわけでもあるまいし、国替えや土地替えで移転したらどうするのかと思うが、彼らはそれが正しいと思っているのだ。それを打ち崩すには、此方も命を懸けるしかない。


「……わかった。そこまで言うのなら、甚三郎に任せよう。ただし一度だけだ。それと、俺の言葉を伝えよ」


 そしていま、評定の間において武田甚三郎守信が吉松の言葉を伝えた。


「宮野城の南側を解放致す。新田に降ることを良しとしない方々は、そこから逃げられよ。降る者は新田が受け入れる。所領と同石高の禄で召し抱える。最後に我が殿の言葉をお伝えする」


「聞こうか。吉松の小童は何と言っておった?」


 守信は瞑目し、息を吸った。この言葉がどれ程の衝撃を与えるのか、守信自身も想像できなかった。


「よもや腹を切って逃げるような臆病者ではあるまいな。切腹した場合は、史書から名を消す。墓すら建てることを認めぬ。新田に抵抗するのならば、土地に潜り一揆を起こすなり、他家に仕えて戦場に出るなり、薩摩、琉球、さらには明や南蛮まで逃れようとも、とことん最後まで抵抗せよ。膝を屈して新田に降るまで、何度捕らえても解放し、抵抗させてやる。以上が殿の言葉である」


 それほどまでに一所懸命したいのであれば、最後までやり遂げろ。切腹など生温い。この先何十年かかろうとも、生きて抗い続けろ。お前らが膝を屈し、自らの意思で所領を放棄するまで許さぬ。激烈極まりない吉松の言葉であった。


「当然、その御覚悟はお持ちであろう? 各々方の所領に残された老臣たちは、土地を守るために命を散らした。御先祖に対して、そして死んでいった家臣や兵たちに対して申し訳ないと思うのならば、切腹など許されぬ。最後の最後まで、戦われるがよい」


 草木の根を喰らい、泥水を啜りながら、この先何十年と戦い続ける。その覚悟があるのか? なければ、一所懸命など口先だけのただの御題目に過ぎない。さぁ、覚悟を見せろ。

 だが評定の間はシンとした。武士誕生から四〇〇年、連綿と続いた歴史に対する、吉松の激烈な宣戦布告である。最初に口を開いたのは、九戸信仲ではなく久慈治義であった。


「甚三郎殿。以前も言ったな。儂は、新田吉松が嫌いなのだ。新田は武士を否定している。儂はそれが許せぬ。今でもそれは変わらぬわ。儂は姉帯城に向かう。とことん最後まで、あらごうてやろう」


 武田守信は頷いた。治義に釣られるかたちで、何人かが立ち上がる。そして最後に、九戸右京信仲が立ち上がった。


「良かろう。我らは姉帯に退く。新田吉松に伝えよ。奥州武士を舐めるな。我らは決して屈せぬとな。それと彦三郎(※九戸政実の幼名)、お前は廃嫡の上、九戸の家から追放する。これより先は、親子ではない。二度と儂の前に顔を見せるな」


「……父上、どうかお健やかに」


 政実は手をついて頭を下げた。信仲はそれに目もくれず、ドスドスと評定の間から出て行った。だが政実には解っていた。これこそが、父親が自分に呉れた最後の愛情なのだと。




「一〇〇〇名か。思いの外、莫迦が多いな」


 九戸右京信仲に従って姉帯城へと向かったのは、およそ一〇〇〇名であった。宮野城に入った吉松は、九戸政実らが平伏する評定の間に入り、当主の席に座った。姉帯城に向かった者たちの話を聞いて眉をしかめたが、すぐに表情を戻す。


「九戸左京政実、よく決断してくれた。其方の決断によって多くの命が救われた。その功績は大きい。他の者たちもだ。禄で仕えるということに不安を覚えるであろうが、安心せよ。新田で責められるのは怠惰のみ。たとえ失敗しようとも、誠実に取り組んでの失敗ならば、俺は責めたりはせぬ。そして驚くほどの繁栄を約束する。新田が掲げる三無は、決して偽りではない」


 そしてフゥと息を吐いて、苦笑した。


「俺も、少し反省せねばならぬ。一所懸命の覚悟を舐めておったわ。新田では国人が土地を持つことを認めておらぬ。だがその理由について、もっと告知すべきであった。鹿角への入り口である大清水館まで押さえたら、そこで一旦止まるぞ。大評定を開き、俺が目指す天下を皆に示す。疑問があれば、夜を徹してでも説明しよう。左衛門尉、藤六、甚三郎。後は任せた」


 身体が休みを欲していた。だがそれ以上に、精神が疲れていた。少し眠ろうと思った。




(これが、新田吉松か……)


 吉松を見た政実は、自分より年下で元服すらしていない男に最初は戸惑った。だが言葉を聞いているうちに、なぜこの男が「宇曽利の怪物」と呼ばれているのか、解った気がした。言葉遣いや気遣いが、年不相応なのだ。自分の父親よりも年上なのではないかと思った。そして自分の信じる道を進もうとする力強さがある。きっと新田の家臣たちは、不安を覚えつつも魅せられているのだろう。


「若……」


 奥寺左衛門定正にそう声を掛けられ、九戸政実は苦笑した。自分は廃嫡されている。もう若と呼ばれるべきではないのだ。そういうと定正は首を振った。


「某は最後までお供すると申したはずです。それではこれより、殿と呼ばせていただきます」


「わかった。俺は新たな、九戸の家を興そう。新田の中でな」


 解らないことだらけである。だがこれまでとは空気が違う。平安から鎌倉へと移るときも、こんな空気だったのだろうか。新しい世を見ることができるかもしれない。不安と期待の両方が、政実の中にあった。

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